DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

どうする(83)

2015-02-26 13:49:22 | ButsuButsu


三鷹にある研究所の構内に、猫がいる。

カメラを向けると擦り寄ってきた。

やたら愛想の良い猫だ。

初対面の私に体を摺り寄せて、猫なで声で話しかけてくる。

私を敵だなどとは、ツユにも思っていない。

ごめん、何もあげるものはないのだ。

かように、この研究所に生息する動物は、人間も含めて愛想が良い。

ガツガツしていないのが、特徴だ。

時々、「大丈夫かな」と思ってしまうが、慣れると居心地がいいものだ。

塀の外の世界があまりにもドロドロしているので、ここに来るとほっとする。

東京とは思えない。

バタバタしながら、明日、イギリスへ行く順部を整える。

ディスカウントチケットを購入して、座席指定をしようとしたら、奇妙な表示が目についた。

「bit」ちょっとしたからくりと書いている。

なんだろうと思ってクリックすると、座席のオークションだった。

1bit、最低金額319ユーロでビジネスクラスシートを競売する、と書いてある。

安く買ったチケットをビジネスクラスのチケットに変更するのに、319ユーロが高いのかどうかは判断に困るが、面白そうなので参加してみた。

30時間のオークションで、競争相手がいなければ、この最安値でグレードアップができる。

何のことはない、ていの良い、残席処分なのだ。

今頃の時期に、座席が満席ということはない。

ということで、30時間後に、私の安物チケットは319ユーロでビジネスクラスのシートに化けてしまった。

航空会社も、あの手この手だ。

シートを余らして飛行するのももったいない話だ。

だからといって、安く提供するわけにも行かない。

そこで、オークションなのだ。

こうすれば、少なくとも一般乗客から文句は出ない。

こんな遊び心のある航空会社が世界にいくつあるのかは知らないが、少なくとも日本にはないだろう。

猫だって愛想を使うのだから、企業だって愛想よくしたほうが良い。

国だって、自治体だって、みんなもっと愛想よくして欲しいものだ。

そうしたら世の中はもっと楽しくなるような気がする。
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どうする(82)

2015-02-25 12:13:59 | ButsuButsu


古い友人であるブライアン・バンディが、昨日、死去した。

娘のサンディから電話をもらったとき、思わず、涙がとまらなくなった。

今から、35年も前の話だ。

英国南端のサウサンプトンという港町にいた時に、週末になると家に呼んでくれた。

夕食後に、スコッチウィスキーを片手に、チェスをしながら雑談をする。

ハンプシャーの片田舎で、ゆっくりとした時間が流れていた。

この時に教わったことが、いまでも私の心の中に生きている。

彼が50歳、私が30歳の時の話だ。

「私にとって一番大切なのが家族で、その次が仕事だ」

彼はいつもそう言って笑った。

5人の子供達と愛妻のマーガレットと暮らす彼は、愛車であるワインレッド色のジャガーに乗る、ダンディなおじさんだった。

私は、そんなブライアンと妙に気が合った。

「なぜ、日本人である私にそんなに親切にしてくれるのだ」

と尋ねたとき、

「自分のような年代の人間が、君のような年代の若者に経験を語り継ぐということはとても大切なことなのだよ」

と答えてくれた。

そこに国籍の違いはなかった。

今、私はブライアンの教えに従って、できるだけ若い人を大事にしている。

失敗してもやり直せば良い。

そうやって、人間はゆっくりと成長するのだ。

その後、ブライアンは脳梗塞に倒れながらもリハビリをして普通の生活に復帰し、80歳を超える年まで頑張ってきた。

やっと楽になったのだろう。

週末から2、3日かけて弔問に行く予定だ。

生きるということ、死ぬということ、それぞれに人生の手本を示してくれた、私にとってとても大切な、そして古い友人との別れだ。

私の部屋には、彼からもらったチェスの駒とチェスボードがまだ飾ってある。

そこに彼と私の、心の約束がある。
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どうする(81)

2015-02-22 11:45:05 | ButsuButsu


雲に隠れた富士山を見ながら、久しぶりに東京から帰ってきた。

自宅の部屋で迎える朝は格別だ。

窓を開けて自然の息吹を感じる。

どうも我が家の周辺は、鳥の住処になっているようだ。

そこかしこでいろいろな鳥の鳴き声が聞こえる。

その中に、鶯の声が混じっていた。

今年の初鳴きだ。

まだ春の浅い時期で、鳴き声も不確かだ。

一生懸命に学習しているのだろう。

微笑ましい朝のひと時だ。

さて、気になるニュースがある。

***

安全保障法制の整備をめぐって、与党内の協議が続く中、自民党の高村副総裁は、21日、北九州市で講演し、現行の周辺事態法の改正について、

「周辺事態は地理的概念ではない。誤解されやすい言葉は取った方がいい」と述べた。

自民党の高村副総裁は「周辺事態法は地理的概念ではない。

どこで起こったかは関係なく、(わが国の)平和と安全に重要な影響があるか、そういう話だ。

誤解されやすい言葉だから、誤解されないように『周辺』を取りましょう」と述べ、周辺事態法の改正にあたって、「周辺」の概念を削除すべきだとの考えを示した。

また高村副総裁は、自衛隊の海外派遣を随時可能にするため新設を目指している恒久法での武器使用について、

「武力行使にならないような枠組みを作る必要がある」と述べ、新たな基準を作るべきだとの考えを示した。

***

そうか、我々は誤解していたのか。

「周辺事態は地理的概念ではない」のか。

だから、「周辺」という言葉をとるということなのか。

確かに世界はグローバル化しており、遠い世界の事態が我が国の平和と安全に重要な影響を与えることもあるだろう。

でも、逆に言えば、遠い世界の事態の影響は回避するようにすべきなのではないだろうか。

すべきお節介と、すべきではないお節介がある。

何でも前のめりで、他国に出かけて行ってまでのお節介はすべきではないと思うのだが。

それよりも、もっと真剣に自国の周辺に目を向けた方がよいのではないのか。

わが国には、解決しなければならない案件が山積している。

のんびりした田舎にいると、そんな気がしてならない。
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どうする(80)

2015-02-19 09:53:45 | ButsuButsu


最近の騒がしさを鑑みると、中国の古き哲人の言葉に学ぶことが多い。

今日は、孟子の教えを考えてみた。

***

孟子曰、天將降大任於斯人也、必先苦其心志、勞其筋骨、餓其體膚、空乏其身、行拂亂其所為、所以動心忍性、益其所不能。

【現代語訳】(佐久 協「『孟子』は人を強くする」より)

孟子は言う。

天上の神がある人物に重要な任務を与えようとしたときは必ずその人の心を苦しめ、肉体を疲労させ、生活を困窮させ、やる事なす事すべてがカラ回りするような大苦境に陥れるものだ。

それは天がその人の心を鍛え、忍耐力を増大させ、大任を負わせるに足る人物に育て上げようとしている何よりの証拠なのだ。

まあ、疑う前に周囲をよく眺めてごらん。

われわれが知っている優れた人格を持ち知恵があり、人の心が読める能力を発揮している者は、みんな悲惨な体験をくぐり抜けてきた者といっていいだろう。

自らの心を悩まし、苦痛をとことん味わった者だけが、人間が生まれついて持っている、素晴らしいパワーを自覚し開花させられるものなのだよ。


孟子曰、盡其心者、知其性也、知其性、則知天也、存其心、養其性、所以事天也、殀寿不貮、脩身以俟之、所以立命也。

【現代語訳】

孟子は言う。

自らの心を伸ばし尽くす者は、自らの本性を知る者だ。

自らの本性を知る者は、天から降された意味を知る者だ。

よき心を保ち、本性を養うことこそ、天に仕える道である。

寿命の長い短いなど気にするな。

ひたすら自分自身を修めて命尽きるのを待て。

それが、天命を損なわずにまっとうするということなのだ。

ここでいう「立命」(りつめい)とは、「天命を損なわずにまっとうする」という意味で、立命館大学の名の由来伴っている。

***

なるほどと思う。

***

孟子は領土や軍事力の拡大ではなく、人民の心を得ることによって天下を取ればよいと説いた。

王道によって自国の人民だけでなく、他国の人民からも王者と仰がれるようになれば諸侯もこれを侵略することはできないという。

孟子は「民を貴しと為し、社稷之(これ)に次ぎ、君を軽しと為す」(盡心章句下)、つまり政治にとって人民が最も大切で、次に社稷(国家の祭神)が来て、君主などは軽いと明言している。

あくまで人民あっての君主であり、君主あっての人民ではないという。

***

我々ももう少し歴史に学んだほうが良い気がする。
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どうする(79)

2015-02-17 09:16:49 | ButsuButsu


***

宮崎駿氏、崇拝対象の風刺画「間違いだと思う」

読売新聞2月17日(火)

仏政治週刊紙「シャルリー・エブド」の本社銃撃事件をめぐる風刺画問題について、アニメーション映画監督の宮崎駿さん(74)は、16日放送されたTBSラジオの番組「荒川強啓デイ・キャッチ!」で、「異質の文明に対して、崇拝しているものをカリカチュア(風刺画)の対象にするのは、僕は間違いだと思う。やめた方がいい」と述べた。

番組内で紹介されたインタビューでの発言で、風刺画は「まずもって自国の政治家に対してやるべきだ」とも指摘した。



17世紀の美術史家フィリッポ・バルディヌッチは、『絵画用語事典』(1681年)において「カリカチュア」を「モデルの全体像の可能なかぎりの類似を目ざしたもので、冗談ないしは嘲笑を目的としてその人物のもつ欠点を故意に強調し、容貌の諸要素がすべて変形されているにもかかわらず、全体としてはその肖像がまさにモデルそのものであるように描かれた肖像画を指す」と定義している。

***

私も同感だ。

宗教というのは、生きるための心の拠り所であり、それを風刺するのは良くないと思う。

個人情報の侵害か、またはそれ以上の犯罪的行為だと思う。

確かに表現の自由は存在するが、だからといって他人の心の問題まで土足で踏み込んでよいことにはならない。

キリスト教とイスラム教は、長い年月の確執があり、血で血を争ってきた。

このことについて第三者があまりいい加減なことは言えないが、憎しみの連鎖はどこかで断ち切らないと大変なことになる。

どうしても折り合うことができないのならば、可能な限り干渉しない方がよい。

距離をとれば、あとは時間が解決してくれる。

敢えて火中の栗を拾わない勇気も必要だろう。

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どうする(78)

2015-02-15 21:57:11 | ButsuButsu


森村誠一の著作に「ミッドウェイ」がある。

1942年6月5日から7日にかけての日米海戦が主題だ。

この戦いで、日本は「赤城」・「加賀」・「蒼龍」・「飛龍」の航空母艦4と、重巡洋艦1、重巡洋艦1大破、駆逐艦1中破、戦死者3,057名を失った。

敗戦の理由は、運の悪さと、レーダーや暗号解析の相違も指摘されている。

ただ、私は、日本人は戦争に向いていないのだと思う。

森村はこう書いている。

***

戦場では人間性も非人間性もむき出しにされる。

敵を殺さなければ自分が殺されるという絶対的な戦いの構図の枠の中で、自分一人が生き残るためには戦友をも見捨てなければならないという場面も展開する。

友を見捨てるにしのびず共に死んで行った者もいれば、生き残る意志の下に友を見捨てた者もあるだろう。

生者死者いずれにしても同じ地獄を覗いた。

死んだ者は永久に語らず生き残った者は口を閉ざした。

***

日本民族というのはもともと、弾圧や戦争から逃れてきた人々によって構成されている。

だから決して「果断に」なることはできない。

それを慢心とか軟弱とかと批判することは適切ではない気がする。

奇妙な展開だが、「ミッドウェイ」の中で、森村は立原道造の詩を取り上げている。

なぜに立原を?

24歳という若さで夭逝した稀有な詩人だ。

東京帝国大学工学部建築学科卒業というから、異色でもある。

***

悲劇のやうに思ってはいけない。

これは何でもないことなのだから。

ラムダは山の頂にくらしはじめた。

それはラムダが、人がうつくしい水に身投げするやうに、天に身投げしたかったからだ。

人は死ぬるとき明るい青い海で日が底までまっすぐにさす海を欲しがるものだ。

だがラムダは天を欲しがった。

彼が白や黄の雲の間に浮んで、それから手や足が溶けてゆくのはどんなにしづかであらう。

人は海に沈むとき、きれいに光る白いあぶくをたてて行く。

海では魚は溶けない。

天でラムダは死にたかった。

***

こんな詩を紡ぎだす人々に、戦争なんかできっこない。

ないものねだりをしないで、戦争は放棄しておく方がよい。

それより、どうやったら戦争をしないで生き延びれるかを真剣に考えた方がよい。
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どうする(77)

2015-02-13 17:59:14 | ButsuButsu


松尾芭蕉が、膳所(ぜぜ)の地に埋葬されていることを知る人は多くないだろう。

1694年、51歳のときだった。

木曽義仲を祀る義仲寺(ぎちゅうじ)に埋葬されている。

芭蕉の遺言によるものだが、それほどに彼は近江を愛した。

「元禄7年(1694年)10月12日、芭蕉の遺骸を乗せた舟は夜のうちに伏見まで下り、翌13日の朝、伏見を立って昼過ぎ膳所の義仲寺へ到着した。14日に葬儀が行われ、同日深夜になって境内に埋葬された。葬儀に参列した門人は80名、会葬者は300余名にのぼった。芭蕉の忌日は「時雨忌」などと呼ばれ、旧暦の気節に合わせ毎年11月の第二土曜日に法要が営まれている。芭蕉が木曽義仲が眠る義仲寺に葬られた経緯は、生前芭蕉が死後木曽殿と塚をならべてと語ったことによるもので、芭蕉は源義経や義仲、斎藤別当実盛といった悲劇伝を残した武人や藤原実方などにとりわけ思いを寄せ、「おくのほそ道」の旅中、これらの人物にゆかりのある土地を訪れて句を残し、義仲については寿永2年(1183年)4月に平家軍との戦いで戦場と化した北陸・燧(ひうち)が城を眺め、次の句を詠んでいる。”義仲の寝覚めの山か月悲し”」

当時、義仲寺があった粟津が原は、びわ湖に面し景勝の地であったといわれている。

「1184年、義仲は源範頼と源義経の軍勢に追われこの地に逃れ、31歳の若さで亡くなった。義仲の亡骸は当地に葬られたが、寺伝によれば義仲の側室巴御前が無名の尼僧となって墓所の辺に草庵を結び供養を続けたといわれ、死後、草庵は「無名庵(むみょうあん)」と命名されたという。その「無名庵」は、「木曽塚」、「木曽寺」、「義仲寺」とも称され、現在に至っている。」

”行春をあふみ(おうみ)の人とおしみける”

人との出会い、別れ、無常は、芭蕉の句界にとってはなくてはならないものだったのだろう。

なぜ彼があれほどまでに旅を重ね、そして”旅に病で夢は枯野をかけ廻る”とまで詠んだのだろうか。

決して満たされることのない、芭蕉の創作の意思だったのかもしれない。

それは完成することのない彼の美学だったのだろう。

Jane Reichholdという人が著した「Basho - The Complete Haiku」という英文の本がある。

その中に

”世の夏や 湖水に浮(うか)む 浪の上”

という句が紹介されている。

1688年の夏、大津で作られたものだ。

”the summer world floating in the lake on the waves”

と英訳されている。

井狩昨卜(いかりさくぼく)の家に招かれたときの作だと言われている。

おそらく、びわ湖にせり出した部屋だったのだろう。

暑い夏だというのに、浪が打ち寄せ、まるでわが身が水面に浮かんでいるように涼しく思われる。

今でもびわ湖の湖岸に立つとき、この湖が持つ長い歴史と、水の大きさを感じることがある。

ことほどかように、近江の町には歴史と自然が重なり合っている。

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どうする(76)

2015-02-12 16:05:34 | ButsuButsu


2月3日10時ころ、びわ湖に注ぐ大津市晴嵐の盛越川(もりこしがわ)の河口付近で青色のスーツケースに入った女性の遺体が発見された。

女性の年齢は70歳以上とみられ、髪は白髪交じりで短く身長155センチのやせ型だった。

「SB」というロゴが入った紺色の七部袖のTシャツを着て、2本のラインが入った黒いジャージのズボンをはいていた。

司法解剖の結果、女性は1月28日ごろ死亡したとみられている。

女性の背中には床ずれのような痕があり、紙おむつを着用していた。

外傷はなく、胃の中に目立った内容物がなかったことから、警察は、女性が介護生活を送り自然死した後、何者かによって遺棄されたとみている。

歯が1本もなく、身元を示す所持品もなかった。

びわ湖での遺体投棄は、2008年のバラバラ事件以来、久しぶりだ。

今回は全身が見つかっており、目撃者も多いことから、犯人の発見も時間の問題だと思われている。

ただ、気になるのは、如何に介護疲れとはいえ、簡単に遺体をびわ湖に投棄する神経だ。

びわ湖はゴミ箱ではない。

びわ湖で遺体が投棄されるたびに警察から相談を受ける私は、これではいけないといつも痛感する。

このような強い思いから、2008年秋に、私たちはNPO法人びわ湖トラストを立ち上げた。

びわ湖の調査や清掃活動、環境学習を通して、常にびわ湖に目を向けている。

あらゆる手段を通じてマスコミにも発信する。

だから、近隣の住民がびわ湖に遺体を捨てることは少なくなった。

問題は、びわ湖から離れた周辺府県に住む人々だ。

もっと大々的に広報する必要があるのかもしれない。

そう思って、びわ湖文庫という書籍を発刊しようと考えている。

昨年、認定特定非営利活動法人となったびわ湖トラストでは、4月以降に、滋賀県が廃棄する予定の実験調査船「はっけん号」を入手する予定だ。

これを使って、びわ湖に投棄されいまだに発見されていない死体(大阪府警)や爆弾(第2次世界大戦当時の毒ガス弾か?)の捜索をしたいと考えている。

徹底的に、びわ湖から迷惑ごみをなくしたい。

そう思っている。

そのためには、お金が必要だ。

緊急に寄付金を募集している。

滋賀県から要求されている500万円ほどの資金を集めたいと思っている。

ぜひお知り合いに、以下のURLを転送してほしい。

http://www.biwako-trust.com/labo/kotei-chosa/pdf/e402donate.pdf

ボランティアだけでは、びわ湖をきれいにすることはできない。

一人ひとりの活動が集積すれば、びわ湖もよくなるし、世界文化遺産登録も可能になるかもしれない。

ただ、現実には、人々の意識があまりにも低い。

日本の30%の淡水が貯留されているびわ湖。

この湖を守ることは、国土を守ることにつながる。

一人でも応援団が増えることを期待しながら、今度の遺体遺棄事件の解明に協力している。
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どうする(75)

2015-02-09 10:11:20 | ButsuButsu


冬の日の散歩道には、時々、思いがけない発見がある。

冷たい空気に、太陽の日差しが通り抜ける道端に、万両の実がなっていた。

この実を育てると、お金持ちになると母親が言っていた。

ちっとも豊かにならずに、貧乏なままで死んでいった彼女のことを思うと、時々いたたまれない気持ちになる。

私の宝はお前たちだ、と私たち兄弟に繰り返し言っていた。

ずいぶんと心配や迷惑をかけたのだが、不思議と幸運に恵まれたのは、母親の強い愛情のおかげだと思っている。

冬のこのごろ、こうして万両の実を見るたびに、小さく笑った母親を思いだす。

万両の実は葉の下になり、千両の実は葉の上になるという。

それほど豊かにたれ下がり、己の実を支えているのだ。

日に照らされて鮮やかに輝く赤い実は、陰鬱になりがちな冬の景色を一変させる。

雪の白にもよく映える。

万両、万両、この世の人々に幸せを届けておくれ。

今日のささやかな発見は、私の心を晴れやかにさせた。
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どうする(74)

2015-02-08 23:58:47 | ButsuButsu


シリアに取材に行こうとした人のパスポートを外務省が取り上げたそうだ。

驚いたことをするものだ。

今後、シリアに行こうとする人々のパスポートはすべて取り上げるつもりなのだろうか。

日本の中にファシズム的な強権の臭いがし始めている。

これも、積極的平和外交の成果なのだろうか。

それとも、単なる責任逃れなのだろうか。

面白いもので、世界は長い目で見ればバランスしている。

積極があれば、消極もある。

歴史がその答えを教えてくれる。

多くの情報を多面的に検証しないと、知らない内に戦争に巻き込まれている可能性もある。

戦争はすべてが悪いわけではない、と公言する政治家がいる。

それは勝者の言いわけだ。

敗者になれば、その戦争を憎むのだろう。

犠牲になるのは弱者である女性や子供たちだ。

戦争がよいわけがない。

もっと別のところで知恵を働かせたいものだ。

それにしても段々きな臭い世界になりつつある。

武器を輸出する積極的平和外交ではなく、犠牲者を出さないための消極的有事外交でも進めたらどうだろう。
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どうする(73)

2015-02-05 12:31:56 | ButsuButsu


“自民党の高村正彦副総裁は4日午前、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)に殺害されたとみられる後藤健二さんについて「どんなに使命感が高かったとしても、真の勇気ではなく蛮勇とも言うべきものだったと言わざるをえない」と、党本部で記者団に語った。”

フーム、蛮勇か。

「蛮勇とは、周囲への配慮をも捨てて,事をなす乱暴な大胆さ。事の理非や是非を考えずに発揮する勇気である」と辞書にある。

本当に、蛮勇だったのだろうか?

もし後藤さんの行為が蛮勇ならば、高所登山家や宇宙飛行士も蛮勇なのだろう。

後藤さんは趣味でこのような危険な行為をしていたわけではないのだろう。

彼にとって、今回の行為は、リスクを犯してもやり遂げなければならない、彼にしかできない仕事だったのではないのか。

だからこそ、自己責任という言葉を使ったのだと思う。

その意味で、彼はプロだったのだ。

確かに、彼の優しさとか勇気とかという一面がマスコミで取り上げられているのだが、その前に紛争地の映像を世界に発信するプロのカメラマンとしての自負と責任があったのだと思う。

そこに命をかけたのだ。

決して、蛮勇とはいえないのだろう。

対岸で傍観する人には、蛮勇と見えるかもしれない。

しかし、当事者はいたって真剣だし、周囲への配慮も含めたあらゆるリスクを考えた上での、決断だったのだと思う。

結果的には失敗に終わったが、真の勇気であったことに間違いはない。

だからこそ、取り乱すこともなく生涯を終えたのだ。

彼の命がけの行為は、素直に評価してあげようではないか。
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どうする(72)

2015-02-04 18:22:59 | ButsuButsu


久しぶりにモンゴルからメールが届いた。

アジア開発銀行からの助成で、フブスグル湖のプロジェクトを行うのだそうだ。

2013年に、我々は湖底に沈んだ輸送車の予備調査を行った。

そして、これに関連して報告書を提出した。

フブスグル湖をきれいに保ちたいというのは、モンゴル国民の願いだ。

モンゴルから次のような提案をしてきた。

1.フブスグル湖国立公園に住む人々の生活支援

(1)有機農業の促進

(2)小規模事業の促進

2.フブスグル湖国立公園におけるエコツーリズムの支援

(1)ツーリストキャンプにおける環境負荷低減

(2)地元自治体との連携

(3)地方村落の社会資本整備

3.フブスグル湖国立公園の環境保全

(1)保護区の整備

(2)世界遺産への登録支援

(3)湖底に沈没した車両の撤去

(4)環境修復

総予算は、200万ドルとのことだ。

やっと、モンゴル政府も本腰を入れてこの湖を守る気になったようだ。

なかなかの難問だが、私たちも少しでもお役に立てればと思っている。
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どうする(71)

2015-02-02 23:01:17 | ButsuButsu


朝ドラのマッサンの中で、北海道の余市が登場する。

JR小樽を過ぎて西へ向かうと、この地に到達する。

ここがニッカウヰスキー誕生の地だ。

しかし、私が余市の名を聞いて思い出すのは、58歳の年で夭折した故・堀野収(おさむ)氏のことだ。

余市は彼の故郷だった。

私たちは、1970年に京都大学へ入学し、理学部の同級生となった。

学園紛争の中で、よく議論し、よく酒を酌み交わした。

堀野氏は3回生で経済学部に転学部し、卒業後、北海道新聞社に入社した。

しばらく年賀状のやり取り程度の交流が続いた。

その彼から突然電話がかかってきたのは、1981年の春、私が英国南岸のサウサンプトン大学の研究室にいた時だ。

どうしたの、と問いかけると、なんと同じ英国東岸のコルチェスターにいるという。

どうも入国管理事務所で拘束されているらしかった。

人が使わないルートでオランダから英国に入ろうとして、ロッテルダム発コルチェスター着のフェリーに乗ったという。

そこまではよかったのだが、普段は日本人がほとんど乗船しないので、係官に不審に思われたのだ。

おまけに職業欄に新聞記者と書いたらしい。

お願いだから身元引受人になって欲しいという電話だった。

係官と話をつけて、やっと彼は入国を許された。

ロンドンで待ち合わせて、クラシックコンサートを聞きに行った。

笑い話のような話だが、堀野氏は裏道を歩くのが好きな人だった。

その彼が1990年代にウィーン駐在し、本を書いた。

「ウィーン素描」という本だ。

もう絶版になっているが、アマゾンのネット販売では中古本が手に入る。

新聞記者としてストレスの多い生活を送ってきた彼が、趣味の時間にまとめた名著だ。

その後、函館で再会し、歓迎の宴を開いてもらったのが最後の出会いだった。

走るように生きてきた堀野氏は、2008年の年の瀬に、58歳の若さで人生を終えた。

胃がんだった。

気が付いたときは手遅れだったそうだ。

余市というまろやかな発音を聞くと、私は堀野氏のことを思い出す。

極上のシングルモルトのように味わいのある人だった。

竹鶴のストレートを味わいながら、こうしてかつての友人のことを思い出している。

雄弁で、知的で、そして少し抜けたのが取り柄のダンディな記者さんだった。

「乾杯!」

私の数少ない畏友の一人だ。
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どうする(70)

2015-02-02 00:24:28 | ButsuButsu


昨日は一日、心は喪に服していた。

後藤健二さんの勇気に、敬意を表したい。

もう少しで解放されかかったのに、残念な結末だった。

かの地に出かけるのは覚悟の上とはいえ、死ななくてもよい人が死んでしまった。

本当に助けたかったのなら、ヨルダンにもっとプッシュすべきだったのだろう。

そうすれば、日本政府に責任を押し付けることによって、ヨルダン政府は人質の交換ができたのだろう。

少なくとも後藤さんは助かったはずだ。

今回の選択では、後藤さんとパイロットの両方を失うことになる。

これはゲームとしては最悪の手だ。

ニュースの中では、「残虐で卑劣な行為だ」と非難している。

だが、日常的に多くの人々が殺しあっている世界では、死そのものは珍しいことではない。

中途半端な非難は、「果断に欠けた」態度の裏返しでしかない。

きちんとした責任を持てないのならば、この世界に近づかない方がよい。

そもそも、「イスラム国」という組織を、単なるテロリストとみてはいけないのだろう。

テロリストは未来を語らないが、この国は少なくとも世界を語っている。

既存の価値観から見ればとんでもない話だが、目指しているところはかつてのイスラム帝国の再現のようだ。

そんな連中相手に、「貴様は果断に欠くる」ような態度では通用しないだろう。

このまま進めば、我が国は、大きな戦争に巻き込まれるような気がする。

阻止する道は、三つしかない。

1つの道は、「イスラム国」を壊滅させること。

ということは、あの黒い服を着た人々とその家族をすべて虐殺することにつながる。

そうしないと、もっと大きな復讐の芽を育てることになるからだ。

そんな大虐殺が本当にできるのか?

2つの道は、「イスラム国」を共存すること。

ただ、「イスラム国」と利害関係を持つ国々が決して同意しないだろう。

それに、「イスラム国」には「共存」という言葉はないのかもしれない。

3つの道は、「イスラム国」を無力化させること。

そのためには、経済の動力源である石油を、無価値化すればよい。

ここで登場するのが第4のエネルギー開発だが、その話は今しない。

シリアとイラクの両方にウィルスのように蔓延る「イスラム国」に、経済封鎖は効果的ではない。

いずれにしても、非常に困った状況に陥ったものだ。

どの方向に我が国は向かおうとしているのか、政府はきちんと説明すべきだろう。
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