福島第一原発では、「氷の壁」というのと「凍土壁」というのがあるらしい。
どちらも凍結管に冷媒を流して凍らせるもので原理は同じらしい。
だが、どうも凍らないので氷の壁は断念するらしい。
不純物を含んだ高濃度の溶液が非一様に流れているのだから、完全に凍るわけがない。
そもそも話がうますぎる。
業者と官僚が、チャンピオンデータに基づいて書き上げた机上の空論なのだろう。
我が国の国費が、こうした利権のなかで浪費されていく。
先の見えない国策の終末を見る気がする。
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これに対し、福島第1原発の小野明所長は「凍土壁は汚染水対策には重要で、実証試験でも効果が確認されている。
凍土壁がうまくいかないということは思っていない」と話した。
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この実証実験というのが噴飯ものだ。
10m四方で、3-4月にやった実験だ。
これで数キロにも及ぶ凍土壁が大丈夫だと、どうして言えるのだろうか。
これまでいくらお金を使って、今後どのくらいお金がかかるのかを目に見える形で示してほしいものだ。
NHKと一緒に水中ロボットで撮影した琵琶湖湖底のベントだ。
ボコッ、ボコッと噴き出すガスを見ていると、時間がたつのを忘れてしまう。
穴の周辺にはたくさんの微生物がいた。
Daphnia pulicariaの群集だと言われている。
この穴からおいし餌が出ているのだろうか。
とても興味深い。
琵琶湖の底には不思議がある。
https://www.youtube.com/watch?v=agjeO6YR8WQ
女子高生が友人を殺した話。
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長崎県警は7月27日、同県佐世保市の高校1年、松尾愛和(あいわ)さん(15)を殺害したとして、殺人容疑で同じ高校のクラスメートの女子生徒(15)を逮捕した。
生徒は「全て自分1人でやった」と容疑を認めている。
松尾さんは、女子生徒が1人で暮らす市内のマンションの部屋で、首と左手首を切断された状態で発見され、複数の工具も発見された。
学校側は、2人の間にトラブルはなかったと主張。
県警は動機や生徒の精神状態を調べている。
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今日のテレビ番組に中で、ある人が、この女の子が殺人を犯したのは100%親の責任だと言っていた。
そんな短絡的な話なのだろうか。
マット・リドレーの「やわらかな遺伝子」の中に次のように書かれている。
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統合失調症が器質性疾患であり、発達による病気であり、第4の次元―つまり時間の次元―の病気だという点では、研究者の意見はほぼ一致している。
この病気は、脳の発達と分化に異常が生じることによって起こり、身体が-そして脳が―模型飛行機のようにただ部品を組み合わせて作られるものではないという事実を、改めて強く思い出させてくれる。
身体は成長するのであり、成長を命じているのが遺伝子なのである。
しかしそうした遺伝子は、お互い同士や環境要因、偶然の出来事に対して反応する。
遺伝子が「生まれ」でそれ以外が「育ち」だというのは、どう見ても間違いだ。
遺伝子は、「生まれ」を表現する手段であると同時に、「育ち」を表現する手段でもある。
(中略)
統合失調症は、世界中のどの民族でも同じくらいの頻度で見つかり、およそ100人に一人の割合で発生する。
しかも、オーストラリアの先住民でも、イヌイットでも、症状はほぼ同じだ。
これは特別で、遺伝子に影響される多くの病気は、一部の民族に特有であるか、ほかよりはるかに多く見られる集団が存在するものである。
ひょっとしたら、統合失調症になりやすくする変異は古く、アフリカにいた祖先がアフリカを出て世界各地に散らばる前に生じたのかもしれない。
統合失調症は、石器時代には、子育てはもちろん、ただ生きながらえるのにも障害となるはずだから、それが普遍的に見られるのは不思議だ。
なぜ、この遺伝子変異は死に絶えなかったのだろうか?
統合失調症患者が名家や頭のいい家計に現れることには、昔から多くの人が気づいていた。
軽度の障害がある人―「統合失調症型」人間と呼ばれたりもする―は、並はずれて賢く、自信と集中力があることが多いのだ。
(中略)
ジェームス・ジョイス、アルバート・アインシュタイン、カール・ダグラス・ユング、バートランド・ラッセルには皆、統合失調症の近親者がいた。
また、アイザック・ニュートンとイマヌエル・カントは、どちらも「統合失調症型」人間とされている。
(中略)
統合失調症は、良いものを持ちすぎる結果、患うのかもしれない。
通常は脳の機能に有益な遺伝的・環境要因が、あまりに多く一人の人間に集まりすぎたせいなのだろうか。
(中略)
統合失調症について確実に言えることが二つある。
冷淡な母親のせいだとするのは全くの間違いであることと、この症候群にはかなり遺伝的なところがあるということだ。
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この考えが正しいとするならば、遺伝的な異常気質が潜在的に存在し、何らかの外的な要因でスイッチが入って発症したと考えるべきなのだろう。
それが何であったのかについては、今後の報告を待たないといけない。
モンゴルのハドバータルから便りがきた。
「モンゴルでは急に寒くなってきて秋が訪れました。」
8月だというのに、モンゴルでは寒波が訪れている。
日本の上空に冷たい空気が来ているのかもしれない。
海水温が高いだけでなく、上空の空気が冷たいことが、台風の巨大化や竜巻の発達を加速しているようだ。
台風12号、台風11号の来襲は、大きな影響を日本に与えた。
かつて経験したことのないスケールでの自然現象は、これからも増えてくるのだろう。
サバイバル科学が対象とするのは、こうした自然現象だ。
岩坪五郎は、1933年に京都で生まれた。
森林生態学者であるが、山岳登山家としても有名である。
京都大学学士山岳会のメンバーとして数々の山岳登山に参加し、1960年にはアフガニスタンの最高峰であるノシャック(7490m)の初登頂に成功している。
生態学者および登山家としてこよなく自然を愛し、野山に親しみ、研究活動を通じて森林が果たしている機能を明らかにしてきた。
とくに、森林へ流入する水(降雨など)と森林から流出する水(河川など)との間でどのような水質の違いがあるのかを調査し、森林がもつ浄化機能に関わる先駆的な研究を行ったことで国際的に知られている。
その研究足跡は、亜寒帯である北海道から、亜熱帯であるタイ国まで広がっている。
注目すべき研究成果としては、降雨や土壌などの環境条件が同じ森林を比較した場合に、植林後5年から10年といった若い森林地帯から流出してくる水より、100年を超える老木が繁茂する古い森林地帯から流出してくる水の方が、窒素濃度(主に硝酸態窒素濃度)が高いことを示した。
すなわち、成長段階にある若い樹木はより多くの栄養塩を吸収するが、成長を終えた古い樹木はあまり栄養を必要としないということを意味している。
このことを、岩坪は「年寄りの屁は臭い」と、軽妙な喩えで表現している。老木には老木の役割があるということなのだろう。
京都大学を退職し80歳を超えた現在でも、認定特定非営利活動法人びわこトラストの副理事長として、森林からびわ湖までの統合的な管理の重要性を説いている。
特に、樹齢300年超のトチノキの巨木を、営利のみを目的とした伐採から守ろうと積極的な活動を行っている。
過去の学術的業績に満足するだけでなく、実践を旨として活躍してきた古武士的な存在として、いまでもなお社会への貢献を行っている。
私が、もっとも恐れていたことが起こった。
理研の笹井さんが自殺をしたそうだ。
マスコミ、社会および学会の犠牲者なのだろう。
過ちは誰にもあることだ。
もちろんそれなりに責任の取り方があるのだろう。
しかし、命まで引き換えにするような話なのだろうか。
少なくとも学術の分野では、間違いを認める社会であってほしいと思う。
そうでなければ、熾烈を極める先端分野での研究など誰もできなくなってしまう。
笹井さんの無念を思う時、強い悲しみを覚える。
今回の事件が示した我が国の異常さに重い不快感を感じる。
拙速な感があったNHKスペシャルによる報道も、笹井さんを追い詰めた要因なのかもしれない。
翻って、身の回りを見た時に、同じような状況がいくつか見受けられる。
福島第一原発で行っている凍土遮水壁もそうだ。
止めた方がよいと言っているのに、強行して、まだ凍結していない。
今、もっとも辛い針のむしろに座っているのが、強硬に進めた人々だろう。
世界は温暖化に向かっているのに、地面を凍らせるなどどいう、摂理に反した手段は陳腐でしかない。
被害が拡大する前にやめたほうがよい。
巨額の国家予算を獲得するために、チャンピオンデータを振りかざしてプロジェクトを進めるケースが多く見受けられる。
失敗することもあるという前提で話を進めるべきなのだろう。
科学などというものは、数%くらいの確率でしか本当の成果は出ないのだから。
大規模な気候変動や地殻変動が現実化している今、「うまくいかない」ことを前提としたサバイバル科学が必要だ。
STAP細胞に関わる一連の騒動で、これ以上の犠牲者が出ないことを心から希望する。
特に事実の報道は大切かもしれないが、それには時宜がある気がする。
笹井さんのご冥福を心より祈りたい。
合掌