日曜日、暖かな日差しの中、長岡天満宮へ行った。
菅原道真公を祀るこの神社には、牛の銅像がいくつかある。
多くの人々がご利益を願って牛の頭をなでるので、額の部分が変色し光り輝いている。
学問の神様、道真公にあやかって、少しでも賢くなりたいと願うのだろう。
道真が丑年生まれで、幾多の災難を牛が救ってくれたことから、彼の守護神として祀っているのだという。
他愛もない行為であるが、古くからこのような民間信仰を保ち続けている日本民族が微笑ましく感じられる。
それにしても、干支というのは道真の時代からあったのだろうか。
それともこじつけか。
親牛から少し離れたところに仔牛の像がある。
こちらはもっとデフォルメしていて愛嬌がある。
芸術的でもある。
大いに気に入って、写真を何枚か撮った。
作られたのは最近であろうが、すでに頭部は変色している。
仔牛にもご利益があるのだろうか。
この日本国に、カジノを作ろうという法案審議が国会であるらしい。
何と馬鹿な、と思わざるを得ない。
金持ちの外国人に、カジノで遊んでもらって、外貨を稼ぎたいのだそうだ。
ウソだろう。
なんで、欧米のギャンブル文化を我が国に持ち込もうとするのだろうか。
私も何回かカジノへ行ったことがある。
一番最初は24歳の時だった。
南米と北米が主だった。
いずれも現地の人に連れて行ってもらったのだが、あれは、砂漠の中などの荒廃地にあるからよいのだ。
そこには蚕食される文化はない。
豊かな文化と歴史のある、温帯モンスーンの恵みを享受している日本に、カジノは似合わない。
どうして自ら厄難を引き入れるのだろうか。
ちょうど、昔、食料増産を意図して外来の動植物を移入したのとよく似ている。
その頃は、それが是とされたのだ。
今、我が国の自然は、これらの移入種で危機的な状況に陥っている。
莫大なお金を使って外来種を駆除している。
考えても見たらよい。
我が国にやってくる海外の金持の文化を。
海外からの粗雑な観光客を多数受け入れて、糊口をしのぐというのだろうか。
止めた方がよい。
そんな、にわか金持ちの観光客はすぐに減少する。
いつまでも金余りの状況が続くわけがない。
海外のバブルがはじけて観光客が減少し、スクラップと化した日本のカジノが目に浮かぶようだ。
それよりも、自国の文化をもっと大切に守った方がよい。
故郷に山河があり、水辺に憩があり、愛すべき人々がいる、この美しき日本の地に、煌々したネオンが輝く不夜城と化したカジノは似合わない。
今必要なことは、耐えて己の文化を守り、進むべき道を黙々と歩む、生業としての我が国の未来だ。
自国が守るべき姿勢をなくした時、その国はすべて失うことを忘れてはいけない。