DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

湖の鎮魂歌(117)

2013-11-30 12:37:12 | ButsuButsu


12月16日月曜の夕方に、ブライアン・ウィリアムズの満月写生会が開かれる。

場所は、大津サービスエリアの下り線にある近鉄のレストランだ。

ちょうど満月の頃である。

このサービスエリアから見るびわ湖は、とても趣がある。

そこでブライアンが写生をしながら琵琶湖について語る。

こんな時間に設定して人が来るのかな、と心配している。

多くの人は勤務中だろう。

芸術家はそんなことは気にしない。

ひたすら己の主張をする。

参加費は3000円だが、食事代が2700円もする。

300円分はチラシの作成費だ。

結局、ブライアンは無料奉仕だ。

年に一度の催しなので、興味があって暇な人はぜひ参加して欲しい。

ちなみに、食事は近江牛の陶板焼だ。

正真正銘の近江牛なので心配は要らない。

私とブライアントの付き合いも長い。

30年近くなるのだろうか。

年令もほぼ同じなので、気軽な友人関係を続けている。

最近やっと画家としてエスタブリッシュしたのではないかと思う。

立体画法の確立だ。

近鉄のレストランには、彼の立体画が二点展示されている。

これも観覧して欲しい。

サインが欲しい人は、色紙を準備してください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月29日(金)のつぶやき

2013-11-30 05:04:54 | 物語
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湖の鎮魂歌(116)

2013-11-29 17:28:49 | ButsuButsu


一夜明けたネズミは、誰かに踏まれて平たくなっていた。

やがてこうしてアスファルトと同化していくのだろう。

それにしても、他の生物が食べに来ないのはなぜだろうか。

周辺には草地もあるのに、わざわざ歩道の路面で死んでいるのはなぜだろうか。

死期が近づいた動物は、他者から見えないところで死ぬと思っていた。

ということは、突然、死期が訪れたということなのだろう。

自分の人生を、ネズミと重ねてしまう。

準備が整わない内に死期が来れば、おそらく路面に倒れて人目にさらされるのだろう。

通行人に踏まれるかもしれない。

さすがにアスファルトに溶け込むことはないだろうが、とてもみじめな気がする。

思わずネズミに同情する。

そう言えばモンゴルで、鳥インフルエンザで死んだ野鳥を見つけたことがある。

手で触るのがためらわれたので、木の枝で突いてみた。

広大な湖のそこかしこに横たわる死んだ野鳥は、獣にも食べられずくちかけていた。

ネズミよ。

おまえはなぜ死んだのだ。

こんな路上にさらられて、悲しくはないのか。

口惜しくはないのか。

まるで石ころのように転がったままのネズミは、他者に食べられもしない。

このことが、たまらない悲しみを引き起こす。

死してなお、役に立たないとは。

巨大な輪から外れたネズミが、再び立ち上がって走り出すことはない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月28日(木)のつぶやき

2013-11-29 05:12:53 | 物語
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湖の鎮魂歌(115)

2013-11-28 18:33:34 | ButsuButsu


歩道わきにネズミが死んでいた。

何気なく通り過ぎてから、わざわざ引き返して写真を撮った。

特に意図があるわけではない。

ただ何となく心の片隅に引っかかったのだ。

この秋になってから2匹目であったこと。

ほぼ完全な死体で、何の損傷もないこと。

なぜ鳥や獣に食べられないのか。

などなど。

ちょっと不思議に思ったのだ。

病気かな。

丸々と太っているところを見ると、飢え死にでもないようだ。

路上でネズミが堂々と死んでいる。

これまでにあまり見たことがなかったし、それに2匹目ということもあって心が揺れた。

自然の変調かな。

そう言えば、身の回りの動物の多くが、元気を失っていく気がする。

元気だ。

力がほしいな。

そう思っても、なかなか気合が入らない。

後ろから追い立てられるように仕事をして、一日が過ぎていく。

こんな時には旅行にでも行くのがよいのだろうが、今はとにかく忙しい。

だから往復の通勤は、格好の散歩道と化した。

歩きながらいろいろ考える。

仕事のこと、季節のこと、著作のこと、人生のこと。

そんなときに見つけた一匹のネズミの死骸。

帰り道にもう一度確認してみよう。

何の変哲もないネズミだが、朝から気になるネズミでもあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湖の鎮魂歌(114)

2013-11-27 23:56:58 | ButsuButsu


人生には説明のつかないことが多くある。

土曜と月曜と、お葬式が2件続いて気が滅入っていた。

親しかった板倉先生のご逝去は堪えた。

気分転換に読み始めた本が、森絵都の「ラン」だった。

1968年生まれの森は、2006年に直木賞を取っている。

軽妙な文体で、私が好きな作家、というより感化される作家の一人だ。

この本、読まれた方もあろうかと思う。

読んでびっくりした。

主人公、夏目環は、ひょんなことから死後の世界へ出入りできるようになる。

彼女は、13歳の時に両親と弟を交通事故で亡くし、20歳の時に保護者だった叔母さんを亡くし、22歳の時に猫のこよみを亡くした。

多くの死と対面してきた環が、廃業した自転車屋から手作りの自転車をもらった。

その自転車屋も妻と息子を亡くしていた。

彼が作った自転車は、もともと息子のために作ったものだった。

ある日、モナミ1号と名づけた自転車が環をあの世へ連れて行った。

そこで、環は父と母と弟に出会う。

ファーストステージと名づけられた死後の世界は、この世に未練を残した死人たちが暮らす世界だった。

つまり幽霊の世界だ。

この世界では、死んだ家族たちは皆、善人となっていく。

次第に悪い心を失っていくのだ。

森絵都は、このことを「とける」と表現した。

完全にとけてしまうと、セカンドステージに移る。

完全に形をなくした死者は、他者とも渾然一体となって生まれ変わるのを待つ。

ファーストステージの幽霊たちは、マジックミラーを通すように現世を観察していた。

父も母も弟も、環のことが心配でならなかったのだ。

その後、頻繁に自転車で死後の世界へ通うことになった環。

家族との再会は、環を幸せにした。

そこに死んだ叔母の奈々美が登場する。

厳しいけれども優しかった叔母。

「自転車ではなくて自分の足で来なさい」というのが彼女の要求だった。

環を運んでくれる自転車は、自転車屋の死んだ息子に返すべきだというのが言い分だ。

何故だか知らないが、この世からあの世への距離は40kmだという。

あの世で滞在できる時間は1日だけ。

40kmを走ってあの世を往復しなければならない。

こうして、運動オンチの環は、ジョギングを開始する。

そして何故だか、マラソン大会に参加する羽目となる。

この本の中で、森絵都が自転車屋に語らせる部分がある。

*****

死は美化できても老いは美化できない。

美化する余地のない冷酷な、そして強烈な「生」に僕は今、打ちのめされるくらい圧倒されながら毎日を生きています。

*****

死後の世界を見せながら、生きると言うことを教えようとする作者の意図が見え隠れする。

板倉先生も今頃、ファーストステージのあの世から、こちらの世界を見ているのだろう。

そこは匂いも味もない世界だけれども、一切の悪が消えていく浄化の世界でもある。

二つの葬式が終わってから、何気なく読み始めた森絵都の本。

死後の世界の話。

奇妙だと思いませんか。

あなたも最近、親しい人を亡くしたのならば、ぜひこの本を読んでみてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月26日(火)のつぶやき

2013-11-27 05:12:50 | 物語
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大丈夫か(37)

2013-11-26 13:42:05 | ButsuButsu


特定秘密保護法案が強行採決されてしまった。

よほど後ろめたいことがあったのだろう。

十分な説明や論議もなく採決するのは、一時代前の国会を見ているようだ。

奇異なのは、公明党やみんなの党、維新の会の対応だ。

現代が情報化社会となりつつあることを、彼らは十分に理解していないのではないだろうか。

特に、みんなの党の渡辺代表には失望する。

不透明な議論や取引は、結局は墓穴を掘るしかない。

わが国には、もっとまともな政党は出てこないのだろうか。

国民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

この法案で一番懸念するのは、特定秘密ということで、本来は公表されなければならない情報が意図的に隠されることだ。

そんな事例を数多く見てきただけに、隠ぺいに対して危惧している。

公表できない情報があることは認めるが、何が公表できて何ができないのかの線引きが難しい。

当然ながら、このことが利権を生み出す。

霞が関と永田町でこの国を牛耳る利権追求型の構造は、やめてほしいものだ。

面白いことに、ネット社会で流布する情報の確度が飛躍的に向上している。

ネット民主主義というような仕組みが早晩実現されるのだろう。

そこではもはや既存の政党は意味を持たなくて、より正確な情報に基づいた低リスク志向型の社会システムが追及される。

議員も丸裸にされ、嘘はつけなくなる。

秘密が秘密でなくなりつつあるのは、世界的な趨勢だ。

今回の強行採決は、旧世界と新世界のせめぎあいの一コマなのかもしれない。

試みに、ネット政党を立ち上げてみるのも面白いかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月25日(月)のつぶやき

2013-11-26 05:17:13 | 物語
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湖の鎮魂歌(113)

2013-11-25 16:26:35 | ButsuButsu


20年前、僕たちはみんな若かった。

そしてみんな輝いていた。

何でもできそうな気がしていた。

明日に希望を持っていた。

板倉先生が50代で、私が40代だった。

それから今日まで、みんな懸命に走り続けてきた。

成功して飛び立った若者もいれば、飛べなくて地に落ちてきた若者もいた。

それなりに懸命に生き、それなりに存在を自己主張してきた。

今日、板倉先生の告別式があった。

確かに一つの時代が終わった。

もうそろそろ、次の若者にバトンを渡す時期なのだろう。

板倉先生は、誰にバトンを渡したかったのか。

今となっては聞くすべはないが、受け継がなければならないことはいくつかある。

自分が倒れる前に、なんとかバトンを渡したい。

そんな急くような気がする。

1993年、琵琶湖国際共同観測(BITEX93)を行ったときの写真。

この時元気だった人の中で、吉良先生、寺本先生、津田先生、板倉先生が鬼籍に入られた。

私は、それぞれの師から大きな感化を受けた。

感謝してもしきれないくらいの恩だった。

翻って自分を見るとき、恥じ入る思いが多い。

時代は繰り返される。

彼らの夢をつないで、走り続けよう。

それが私にできる唯一のお返しだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月24日(日)のつぶやき

2013-11-25 05:12:08 | 物語
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湖の鎮魂歌(112)

2013-11-24 22:35:11 | ButsuButsu


突然の訃報である。

板倉安正先生がなくなられた。

私が琵琶湖研究所に入った時からのお付き合いで、もう30年あまりとなる。

公私共に大変お世話になった。

心から感謝したい。

NPO法人びわ湖トラストを立ち上げた時も、副理事長として手伝ってもらった。

クルーレスソーラーボート大会の事務局長もお願いした。



30年前には琵琶湖の回転水槽実験も手伝ってもらった。

研究に遊びに、いろいろなことを一緒にやってきた。

時代の流れの中で、多くのことが変わってしまった。

こらからやっと一つ一つのことが完成するところに来ていたのに、残念でならない。

悲しくてならない。

長い間、ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月23日(土)のつぶやき

2013-11-24 05:09:53 | 物語
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湖の鎮魂歌(111)

2013-11-23 23:02:33 | ButsuButsu


今日は朝から葬式に出かけた。

少し遠くの場所だったので、電車に乗って行った。

この年になると、人が亡くなることが心と体に堪える。

ほとんどの人が自分より年配なので、余計に気が重い。

みんななるべく長生きして欲しいと思う。

一方で、生きていることが必ずしも楽しくなくなってきている。

弱者にとっては辛い社会だ。

どうすればよいのだろうか。

これまでと同じやり方では無理だろう。

工夫が必要だ。

とりあえずは、夢の共有かな。

可能ならば収益が上がるほうがよい。

そう言えば、大阪や東京の中小企業が新規プロジェクトを立ち上げている。

「まいど一号」や「江戸っ子一号」などだ。

宇宙や深海がターゲットだ。

琵琶湖でも何かやろうと思って語呂を考えた。

「びわっこ一号」ではどうだろうか。

名前だけは負けていない。

何をやるかはこれから考えるのだが。

何事も形から入るのが俺流の話。

あとは中身を作る。

乞うご期待。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月22日(金)のつぶやき

2013-11-23 05:11:40 | 物語
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする