ドイツ語を学ぶ羽目になった時に、面食らう助動詞・・・それは、sollenとdürfen。ちょっと遅れて、wollen。
ドイツ語の話法の助動詞には、6つあります。
können できる(英語のcan)
möchten(magen) したい(願望)
müssen しなければならない(英語のmust)
wollen したい(強い意志)
dürfen してもよい(許可)
sollen しなければならない、するべきだ
順番は適当。
英語だと、will(未来)、can(可能)、must(強制)くらいしかないので、使い分けに外国人はかなり戸惑います。
sollenはいまだにかなり限定した場面でしか使えません
その「限定した場面」とは・・・英語のschallの意味で使う場合。
どこそこ行かない?とか友達を誘うときは、sollen wir~?とお誘いします。今週末一緒に飲まない?とか。
教科書的には、他者からの強制や強い推薦で何かをしなければならないときに使います。辞書に載ってる例文は、「君は恥を知るべきだ」「君は両親を敬わねばならない」。
~したほうがいい?みたいなことを聞くときも使ってるけど、合ってるかどうかわかんない
wollenとmöchtenについては、日本語にするとどっちも「~したい」。厳密な意味での使い分けは語学学校では習いませんでした(wollenは意志が強すぎるから難しい、外人は使わない方が無難と言われた)が、友達に聞いたところ、以下のような感じだそうです。
wollen:話し相手が何も口出す権限がない場合。(日本語で言うと、「~するつもり」が近い)
例:(友達に)今度の連休は彼女とフランスに行きたいと思ってるんだ。
möchten:話し相手と相談している場合
例:(彼女に)今度一緒に行く旅行なんだけど、僕はフランスに行きたいな。
wollenにはもひとつ問題があって、未来形werdenおよび未来のことを示す現在形との使い分けというのがあります。また、一人称・三人称がwillだから、英語のwillと混同しやすいんだよなー
ただ、結構これは簡単で、上記の通りwollenは「つもり」なので、未確定の場合にのみ使います。未来のことを示す現在形は日本語と同じで、未来のことを示すときも、文脈で未来のことと分かってれば現在形を使えます。未来形werdenは未来のことを言ってるかどうか文脈から理解できない場合(日付等が入ってない場合)。具体的にはこんな感じ。
wollen:ケーキの食べ放題に行くつもりなんだ。
werden:宇多田ヒカルのアルバムが発売されます。
現在形:来月、宇多田ヒカルのアルバムが発売されます。
そしてだいたいの場合、将来の予定なんて未確定か、または日付等を伴って発言されることが多いので、日常会話ではほとんどwerden未来形は使わないのだけど、文章ではたまに使われてるのを見かける。
könnenとdürfenの違いは、最初から戸惑ってはじまって、最後のほうまで戸惑うかも。ルールに厳しいドイツ人らしい単語だと思います。
können:物理的、心理的に可能
例:わたしは逆上がりをすることができる。
dürfen:ルール的に可能
例:ここではタバコを吸うことができる。
で、このdürfenなのですが、私最近まで間違ってkönnenを使っていた場面があって、「○○してもいいですか(できますか)?」と、居合わせた人に聞くようなときなのですが。
たとえば、部屋が暗くて、電気をつけたいとき、相手につけてほしいときはkönnenを使います。「電気つけてくれる?」≒「あなたは電気つけられるような状況かい?」
なので、というわけでもないのですが、無意識に、自分でつけようとするときもkönnenを使ってたのですが、どうも周りを見るとdürfenを使っている。
なんでかなーと考えたのですが、たぶんこれ元々の翻訳のほうに引っ張られすぎていたかなーと。(こう書いたほうが一般論としてわかりやすいというのはわかる)
何かしらの許可があって初めてできるようになることに関しては、dürfenを使うようなんですね。
で、電気つけるのは一応(相手への敬意を示すという意味で)その場にいる人の「許可」を得てつけるわけだから、「dürfen」を使う、と。
そういう意味では、カジュアルな言い回しになりますが、「電気をつけていいですか?」(私はつけることができるか?)ではなく、「電気つけさせてもらっていいですか?」が正確な翻訳かもしれません。
まぁ、このすーぱーはいぱーな翻訳を思いついた!ということを書きたいがために、ワタクシはここまで長々書いてきたわけですよ!(苦笑)
ちなみにですね、案外(?)ドイツ人は礼儀正しいというか、相手を尊重する文化みたいでして、たとえばコンサートなどで通路側に座っている人にちょっとどいてほしいとき(トイレに行く場合など)は当然先述の通りdürfenを使うのですが(または相手を主語にしてkönnen。でも丁寧度はこっちのほうが下がるみたい)、相手が気を利かせて「外に出たいですか?」と聞くときはwollenを使って聞いてきます。
・・・なんのこっちゃい、というお話ですが、日本語に直すとこういうこと↓
こっちからお願いする場合「外に出させてもらってもいいですか?」 ×「外に出たいんですけど」
相手から提案する場合「外に出るんですね?」 ×「外に出たいですか?」
無意識ですが、「出たいですか?」と聞くと、「俺の了承が必要なんだぞー」って、上からの感じがするのではないかと、逆に「出たいんですけど」と声をかけると「そこどけよ、邪魔」ってこれまた上からの感じがするのではないかと思います。
ちなみにこの場合に自分からwollenを使うのは問題外ですね。完璧に「あんた邪魔」と言っています(笑)
ドイツ語の話法の助動詞には、6つあります。
können できる(英語のcan)
möchten(magen) したい(願望)
müssen しなければならない(英語のmust)
wollen したい(強い意志)
dürfen してもよい(許可)
sollen しなければならない、するべきだ
順番は適当。
英語だと、will(未来)、can(可能)、must(強制)くらいしかないので、使い分けに外国人はかなり戸惑います。
sollenはいまだにかなり限定した場面でしか使えません
その「限定した場面」とは・・・英語のschallの意味で使う場合。
どこそこ行かない?とか友達を誘うときは、sollen wir~?とお誘いします。今週末一緒に飲まない?とか。
教科書的には、他者からの強制や強い推薦で何かをしなければならないときに使います。辞書に載ってる例文は、「君は恥を知るべきだ」「君は両親を敬わねばならない」。
~したほうがいい?みたいなことを聞くときも使ってるけど、合ってるかどうかわかんない
wollenとmöchtenについては、日本語にするとどっちも「~したい」。厳密な意味での使い分けは語学学校では習いませんでした(wollenは意志が強すぎるから難しい、外人は使わない方が無難と言われた)が、友達に聞いたところ、以下のような感じだそうです。
wollen:話し相手が何も口出す権限がない場合。(日本語で言うと、「~するつもり」が近い)
例:(友達に)今度の連休は彼女とフランスに行きたいと思ってるんだ。
möchten:話し相手と相談している場合
例:(彼女に)今度一緒に行く旅行なんだけど、僕はフランスに行きたいな。
wollenにはもひとつ問題があって、未来形werdenおよび未来のことを示す現在形との使い分けというのがあります。また、一人称・三人称がwillだから、英語のwillと混同しやすいんだよなー
ただ、結構これは簡単で、上記の通りwollenは「つもり」なので、未確定の場合にのみ使います。未来のことを示す現在形は日本語と同じで、未来のことを示すときも、文脈で未来のことと分かってれば現在形を使えます。未来形werdenは未来のことを言ってるかどうか文脈から理解できない場合(日付等が入ってない場合)。具体的にはこんな感じ。
wollen:ケーキの食べ放題に行くつもりなんだ。
werden:宇多田ヒカルのアルバムが発売されます。
現在形:来月、宇多田ヒカルのアルバムが発売されます。
そしてだいたいの場合、将来の予定なんて未確定か、または日付等を伴って発言されることが多いので、日常会話ではほとんどwerden未来形は使わないのだけど、文章ではたまに使われてるのを見かける。
könnenとdürfenの違いは、最初から戸惑ってはじまって、最後のほうまで戸惑うかも。ルールに厳しいドイツ人らしい単語だと思います。
können:物理的、心理的に可能
例:わたしは逆上がりをすることができる。
dürfen:ルール的に可能
例:ここではタバコを吸うことができる。
で、このdürfenなのですが、私最近まで間違ってkönnenを使っていた場面があって、「○○してもいいですか(できますか)?」と、居合わせた人に聞くようなときなのですが。
たとえば、部屋が暗くて、電気をつけたいとき、相手につけてほしいときはkönnenを使います。「電気つけてくれる?」≒「あなたは電気つけられるような状況かい?」
なので、というわけでもないのですが、無意識に、自分でつけようとするときもkönnenを使ってたのですが、どうも周りを見るとdürfenを使っている。
なんでかなーと考えたのですが、たぶんこれ元々の翻訳のほうに引っ張られすぎていたかなーと。(こう書いたほうが一般論としてわかりやすいというのはわかる)
何かしらの許可があって初めてできるようになることに関しては、dürfenを使うようなんですね。
で、電気つけるのは一応(相手への敬意を示すという意味で)その場にいる人の「許可」を得てつけるわけだから、「dürfen」を使う、と。
そういう意味では、カジュアルな言い回しになりますが、「電気をつけていいですか?」(私はつけることができるか?)ではなく、「電気つけさせてもらっていいですか?」が正確な翻訳かもしれません。
まぁ、このすーぱーはいぱーな翻訳を思いついた!ということを書きたいがために、ワタクシはここまで長々書いてきたわけですよ!(苦笑)
ちなみにですね、案外(?)ドイツ人は礼儀正しいというか、相手を尊重する文化みたいでして、たとえばコンサートなどで通路側に座っている人にちょっとどいてほしいとき(トイレに行く場合など)は当然先述の通りdürfenを使うのですが(または相手を主語にしてkönnen。でも丁寧度はこっちのほうが下がるみたい)、相手が気を利かせて「外に出たいですか?」と聞くときはwollenを使って聞いてきます。
・・・なんのこっちゃい、というお話ですが、日本語に直すとこういうこと↓
こっちからお願いする場合「外に出させてもらってもいいですか?」 ×「外に出たいんですけど」
相手から提案する場合「外に出るんですね?」 ×「外に出たいですか?」
無意識ですが、「出たいですか?」と聞くと、「俺の了承が必要なんだぞー」って、上からの感じがするのではないかと、逆に「出たいんですけど」と声をかけると「そこどけよ、邪魔」ってこれまた上からの感じがするのではないかと思います。
ちなみにこの場合に自分からwollenを使うのは問題外ですね。完璧に「あんた邪魔」と言っています(笑)