もう12年になります。阪神大震災。
この日が近づくと、憂鬱になってくるのは、
やはり私も被災者の一人・・ということだからでしょうか。
当時の神戸は本当に悲惨でした。
私は自宅で子供たちと母(姑)と寝ていたのですが
大将はお店で寝ていたので、離れ離れ・・・
地震直後は子供と母を外に連れ出し、
パジャマ一枚、裸足で近所の学校まで逃げたのでした。
逃げながらも大将のことが気になっていましたが
生きていたら、きっと学校に助けに来てくれる!
そう思って、寒い中を子供と母と寄り添って待っていました。
そして、しばらくして、大将がやってきてくれて・・
あの時は家族で抱き合い、生きていることに感謝!!
でも、大将が現れたことで気持ちがちょっと緩んだのか
急に寒くなって、その時自分たちが着の身着のままだということに
気が付いたのでした
当時はガスも水も、そして電気も使えなくて
高層住宅に住んでいたため、エレベーターも動かなかったし、
揺れが続いていたので、大将の親戚の人たちと一緒に
加西のほうへ避難していました。
約一ヶ月ほどして神戸に帰ってきたときは
自衛隊の人たちのボランティア風呂や、
全国の沢山のボランティアの人たちの励ましのおかげで
少しずつ神戸の人たちの笑顔が戻りつつあるように感じました。
そして、なにより嬉しかったのは、
お店のある福原が、震災の影響をあまり受けていなかったこと。
もし、福原が震災のあおりを受けていたら・・
神戸はもっと悲惨な状況になっていたでしょう
とはいうものの、お店の中はひび割れと傾きがひどく、
それを修理してからでないとお店も再開できない状態;
知りあいの工務店さんにお願いしてなおして貰う事に。
今でも店の壁には大きなヒビが入っています
そうそう!お店といえば、近所のソープランドが
ボランティア風呂として無料で開放して下さっていたんです
私たち家族もお世話になりました
お湯も綺麗で、初めて見るソープの部屋の中は興味深々でした(爆)
とくに、小さな子供達は何も解らないので
珍しい形の椅子やマットにはしゃいでおりましたっけ・・
そんなこんなの震災の街で
3ヵ月後にお店を再開できたことは奇跡でした。
当時は地方の方が沢山福原に訪れてきて、ぼっかけを食べてくれました。
そのおかげで、神戸名物「そばめし」(画像は我が家のそばめし)
も有名になったようですし、
「ぼっかけ」も全国に広まったのでしょうね。
寒い日は「ぼっかけ」を食べて、身も心も暖かくしてください