旧甲斐絹同業組合 2019年05月15日 | 大月市 現在、JAクレイン大月支店となっている建物は、大正14年に北都留郡甲斐絹同業組合の廣里検査出張所として建築され(写真右奥)、 その後、廣里検査出張所が大月支部となり、昭和11年に増築(写真左手前)されました。 大正14年築部分の玄関ポーチの天井です。
鳥沢宿の二枚看板!? 2013年09月19日 | 大月市 出桁造りの民家が並び、歴史的色合いがまだ残っている鳥沢宿の中にあって、ちょっと異質なのが、こちらの看板建築。2軒仲良く並んでいます。まさしく二枚看板といったところです。 ←“二枚看板!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
要塞?の家 2013年09月16日 | 大月市 先日、上野原市へ行った帰り、鳥沢宿で出くわした物件です。 現在は表に増築した部分でクリーニングの取り次ぎをしていますが、元は何だったのでしょう? 玄関の屋根からして、旅館だったのかも知れません。それにしても驚くのは、まるで要塞のような分厚い両妻壁。 全体のバランスからしても異様な光景です。単純に防火の為だけだったのでしょうか。 ←“何か ようさい?”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
大月の商店 2009年12月05日 | 大月市 大月のメイン通りはこれといったレトロな建物はありません。わずかに見かけたのがこちらの2軒。中華の食堂と左は何でしょう。看板文字が回転していてよく分りませんでした。 ←“?!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
大月のレンガ蔵(その2) 2009年11月26日 | 大月市 大月の市街地は空襲の被害もあったせいか、古い町並みは残っていません。大月東小学校の裏手の空地にぽつんと建っているレンガ蔵がありました。 ←“またまたレンガ蔵!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
大月のレンガ蔵(その1) 2009年11月23日 | 大月市 国道20号線を甲府から大月へ向かい、笹子を過ぎて初狩に入ろうとする辺り、道路から上がった敷地にこのレンガ蔵が見えます。中央の窓廻りや、破風の装飾に手の込んだレンガの使い方が見受けられます。 2013年1月24日追記:山梨日日新聞の連載「わが街の近代化遺産」によりますと、明治36年頃の完成とのことです。 ←“レンガ蔵!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
明治40年の発電所 2009年11月21日 | 大月市 前回(2009年11月18日)投稿した、レンガの水路橋(落合水路橋)を流れる水は、やがて大月市の駒橋発電所に運ばれます。駒橋発電所は明治40年に当時の東京電燈(現:東京電力)が建設したものです。東京は早稲田の変電所へ送電していたそうです。現在は送水管は2本ですが、右側に痕跡があります。 発電所の建屋は赤い屋根の部分が建設当時のものとすれば100年は経っているのですが、果たしてどうでしょうか。当時の建物はレンガ造だったという記録がありますが、画像では分かりにくいですが、縦長窓の“まぐさ(鴨居)”は、レンガ造によく見られる形をしています。右側の陸屋根の建物は後から継ぎ足したものと思われます。 ←“東京電燈!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
重厚な旧医院 2009年11月16日 | 大月市 大月市初狩町の国道20号線沿いに建つ旧医院です。ドイツ壁と洗い出しを併用していて、一見鉄筋コンクリートのように見えますが、木造だそうです。大正の初期の建築だそうです。 ←“医院は、いいん!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
半世紀経った木造校舎 2009年11月14日 | 大月市 大月市富浜町の宮谷小学校。1954(昭和29)年築の現役の木造校舎です。下見板に白いペンキが映えます。 ←“木造校舎!”と一日一回で良いですからクリックして頂けるとありがたいです。
大物を捜せ! 2006年05月15日 | 大月市 “師匠”から調査指令を受けた大物物件はこちら。昭和初期の建築で元材木店の事務所として使われていたそうだ。師匠、このデザイン、都留の新聞店と似ていませんか? 地域も近いのでもしかしたら同じ設計者かも知れない。大月駅前も区画整理の話があるらしく、この建物の行く末も心配だ。