当ブログがスタートしたのが2006年5月1日。6年前になりますが、その最初のエントリーは、富士川小学校の校門でした。ブログのスタートとまち歩き入門を、この校門にかけたつもりでした。
富士川小学校は、2011年3月(平成22年度)をもって閉校し、同年4月からは隣接する琢美小学校と統合され、新設校甲府市立善誘館小学校となりました。それに伴い、校舎も解体されましたが、気になっていたのは校門です。確認に行くと元あった所には何もありません。広い校庭跡を横切って反対側(東側)の隅に行くと、何やら物体が横たわっています。まさしくあの校門でした。
ここに横たわっているということは、いずれどこかへ保存するということでしょう。廃棄するなら、粉々にしてすでに処分されてしまったことと思います。少しくたびれたから、一休みしているように見えましたが、小生もブログの更新を一休みしたい気分になりました。
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富士川小学校は、2011年3月(平成22年度)をもって閉校し、同年4月からは隣接する琢美小学校と統合され、新設校甲府市立善誘館小学校となりました。それに伴い、校舎も解体されましたが、気になっていたのは校門です。確認に行くと元あった所には何もありません。広い校庭跡を横切って反対側(東側)の隅に行くと、何やら物体が横たわっています。まさしくあの校門でした。
ここに横たわっているということは、いずれどこかへ保存するということでしょう。廃棄するなら、粉々にしてすでに処分されてしまったことと思います。少しくたびれたから、一休みしているように見えましたが、小生もブログの更新を一休みしたい気分になりました。
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毎年11月23日(勤労感謝の日)は、甲府刑務所の構内で「矯正展」が開かれます。受刑者が作成した家具や生活雑貨類の販売や絵や書の作品展示があります。
旧甲府刑務所の門衛について、以前から気になっていたこと(意匠と素材)を確かめたかったので、出掛けて来ました。
甲府刑務所は、現在の甲府市堀之内町に昭和55年に移転しましたが、その前は、甲府市朝気(あさけ)に明治45年に建設されました。門衛は煉瓦造りで日本赤煉瓦建築番付(赤煉瓦ネットワーク版)(横浜開港資料館版)で、前頭に位置づけられています。朝気当時の画像はこちら
2006年に訪問した時は、守衛の人に付き添われて撮影したため、近くに寄らなかったのですが、今回は一般に公開しているので、近づいてみました。
気にかかっていたのは、「煉瓦が使われているのか」という点です。白く仕上げられた枠は煉瓦の上に左官で仕上げたものと思っていたのが、何とトタンのハリボテであることが判りました。隅石は玄晶石タイルです。
朝気から移築して暫くは、構内の片隅にシートで覆われていたのですが、平成5~6年頃、当時の刑務所長が、あまりにももったいないということで、再現したそうです。その工事を担当した刑務官の話ですと、鉄の扉はそのまま使われましたが、煉瓦は構内のあちらこちらに敷いたり、積んだりしたそうで、この門には利用されませんでした。なお、この再現工事も受刑者の労働力でされたことは言うまでもありません。
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旧甲府刑務所の門衛について、以前から気になっていたこと(意匠と素材)を確かめたかったので、出掛けて来ました。
甲府刑務所は、現在の甲府市堀之内町に昭和55年に移転しましたが、その前は、甲府市朝気(あさけ)に明治45年に建設されました。門衛は煉瓦造りで日本赤煉瓦建築番付(赤煉瓦ネットワーク版)(横浜開港資料館版)で、前頭に位置づけられています。朝気当時の画像はこちら
2006年に訪問した時は、守衛の人に付き添われて撮影したため、近くに寄らなかったのですが、今回は一般に公開しているので、近づいてみました。
気にかかっていたのは、「煉瓦が使われているのか」という点です。白く仕上げられた枠は煉瓦の上に左官で仕上げたものと思っていたのが、何とトタンのハリボテであることが判りました。隅石は玄晶石タイルです。
朝気から移築して暫くは、構内の片隅にシートで覆われていたのですが、平成5~6年頃、当時の刑務所長が、あまりにももったいないということで、再現したそうです。その工事を担当した刑務官の話ですと、鉄の扉はそのまま使われましたが、煉瓦は構内のあちらこちらに敷いたり、積んだりしたそうで、この門には利用されませんでした。なお、この再現工事も受刑者の労働力でされたことは言うまでもありません。
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2006年5月1日に始めたこのブログですが、丸4年を経過して5年目に突入しました。始めた当初は、どれくらい続けられるか不安でしたが、何とか“だましだまし”今日まで続けて来られました。これも偏に皆様からの励ましの賜物と感謝申し上げます。
そのブログ第1回目のエントリーが「富士川小学校の門」でした。5年目のスタートは、同じ甲府市内の「穴切小学校の三つの門」です。穴切小学校は数年前、相生、春日、の2校と合併して舞鶴小学校となりました。現在は、市役所の一部機能が入っています。
正門までの導入路の入口に煙突のような“外門”があります。まるでお城ですね。
一方の裏に「穴切尋常小学校創立五十周年記念」、片方には「大正十三年十月一日」とありますから、創立は1874年(明治7年)ということになります。
正門は様式主義的のなかなかのデザインです。
裏門も小振りですが、手を抜いていません。
この日は、市の方を訪問したのですが、この4月から異動になり、会えませんでした。穴切で裏切られた、ということでしょうか(笑)
←“穴切りは三門の得!”と一日一回クリックして頂けるとありがたいです。
そのブログ第1回目のエントリーが「富士川小学校の門」でした。5年目のスタートは、同じ甲府市内の「穴切小学校の三つの門」です。穴切小学校は数年前、相生、春日、の2校と合併して舞鶴小学校となりました。現在は、市役所の一部機能が入っています。
正門までの導入路の入口に煙突のような“外門”があります。まるでお城ですね。
一方の裏に「穴切尋常小学校創立五十周年記念」、片方には「大正十三年十月一日」とありますから、創立は1874年(明治7年)ということになります。
正門は様式主義的のなかなかのデザインです。
裏門も小振りですが、手を抜いていません。
この日は、市の方を訪問したのですが、この4月から異動になり、会えませんでした。穴切で裏切られた、ということでしょうか(笑)
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