正徳寺の擬洋風住宅 2009年03月23日 | 山梨市 「日本近代建築総覧」によりますと、山梨市正徳寺に明治末年に建築という2棟の住宅がリストアップされています。総覧には番地まで出ていないので、このお宅がどちらかに該当すると思われますが分りません。 植木で全容が伺えませんが、下見板張り、縦長窓、2階の手摺など、擬洋風の雰囲気を醸し出しています。総覧の2棟は、最初このお宅と、3/21エントリーの「龍のいる家」かと思ったのですが、「龍のいる家」は明治初期ということですから、もう一棟どこかにあることになります。謎が深まってきました。 ←一日一回“総覧、ソーラン!”とクリックして頂けるとありがたいです。
龍のいる家 2009年03月21日 | 山梨市 根津記念館から西へ石和方面へ歩くと、越屋根のある民家があります。 門柱も自然木を利用しています。通り過ぎようとしたのですが、玄関の庇の妻壁に漆喰の鏝絵らしきものが見えました。 近づいて見るとそこには迫力ある龍が睨んでいました。 この界隈はちょっとしたレトロ街道です。 ←一日一回“燃えよドラゴン!”とクリックして頂けるとありがたいです。
根津家住宅 2009年03月19日 | 山梨市 「鉄道王」と言われた根津嘉一郎の実家が、記念館として一般に公開されたのはご存知だと思います。すでに訪れた方も多いと思います。この住宅(主屋)は昭和8年の建築で、コンクリートの布基礎、ボイラー設備、電気配線の埋込みなど、当時としては先端的な技術が採用されています。設計は甲府市の旧商工会議所(現法人会館)を設計した内藤半二郎です。 仏間の障子です。見事な組子です。 こちらは台所の流し台、今で言えばシステムキッチンといった所でしょうか。 電灯のスイッチプレートです。 ←一日一回“根津さんは寝ずに働いた!”とクリックして頂けるとありがたいです。
「田舎型看板建築」その1-牧丘・岡商店 2008年04月20日 | 山梨市 西保郵便局のすぐ近くにある、酒屋さん。看板建築といえば、たいてい間口の狭い“都市型”を連想するが、このような間口の広い“田舎型”もある。 ←一日一回クリックしていただけるだけで嬉しい限りです。
牧丘の旧医院 2008年04月13日 | 山梨市 以前訪問した「時が止まった街角」を再訪したら、すぐ近くにこんな医院が残っていました。 和風の住まいと並んで建てられています。「電話一二番」のプレートからも古さが伺えます。 ←クリックしていただけると有り難いです。
横溝正史の書斎 2007年06月21日 | 山梨市 推理小説の巨匠、横溝正史が東京世田谷で書斎として使っていた建物が、今年3月山梨市の笛吹川フルーツ公園に移築され、「横溝正史館」としてオープンした。昭和30年に建築された木造平屋、20坪の書斎である。横溝正史死後、老朽化が進み、解体することになっていたが、正史の長男の方から山梨市が寄贈を受けたというもの。内部には当時の書斎が再現され、愛用品や原稿などが展示されている。 入館料:一般100円(高校生未満・70歳以上無料) 休館日:月・水・金曜日・祝日の翌日
インキ壷 2007年06月14日 | 山梨市 県内に残る、藤村式建築のひとつ「旧室伏学校」は、現在は牧丘の道の駅に移築されている。他の藤村式とほぼ同じ時期の明治8年の建築(明治9年に諏訪尋常小学校として開校)だ。地域の人たちから「インキ壷」の愛称で呼ばれ親しまれてきた。今の人に「インキ壷」と言っても分からないと思うが、なるほどそんな愛称がぴったりの風情だ。
時が止まった街角ーその3ー幡野鮮魚店 2007年06月02日 | 山梨市 掛本呉服店の南面に相対しているのがこの鮮魚店。コンクリートブロックの馬乗り目地が今でも新鮮だ。1階の店舗部分はアルミサッシに取り替えてあるが、2階の窓枠は木製のまま。こちらも50年は経っているとのこと。 追記:コンクリートブロック造と思っていましたが、資料により木造であることが分かりました。
時が止まった街角ーその2ー掛本本店 2007年05月30日 | 山梨市 掛本呉服店(現在は洋品店)は交差点の北東の角に位置している。つまり敷地の南西が道路に面している。まず、この位置関係を頭に入れておきたい。本日の「掛本本店」は、掛本呉服店の東隣にある。道路から少し下がっているのは、運送業をしていて広場が必要だったからか。これも築50年は優に超えている。呉服店の老婦人が嫁に来た時はすでにあったとのこと。 2008年4月11日再訪、西側にあった建物(掛本呉服店の北隣)が取壊され、西面が明らかになった。