やまなし・まちかど図鑑

山梨県内のレトロなまちかど、面白・珍らし物件を凡苦楽庵が探訪します。

懐かしの木造校舎

2006年11月27日 | 富士川町(鰍沢・増穂)
増穂町平林地区は柚子の産地として、また富士山の撮影ポイントとしてもカメラマンに人気の地区だ。今は若い人たちは下へ降りて、高齢者が家を守っている。

この地区に唯一残る「増穂西小学校」。現在の児童数は全校で15名という。この校舎が建築されたのが昭和28年、その当時は「平林小学校」と称していた。当然児童数も多かっただろう。
下見板張りの木造校舎の定番だが、私自身の体験と重ねあわせ、懐かしい気分である。


残念ながら、2015年3月をもって閉校しました。

田中銀行の鉄柵

2006年11月25日 | 門・塀

旧田中銀行博物館のフェンス。現在のものは復元されたもので、オリジナルは戦時中に供出された。その第二次大戦中は、田中本家に北白川宮が疎開し、この田中銀行は関係者の水戸部孚の住宅として使われていた。この写真を見てお気付きと思うが、「田中」を図案化している。

勝沼宿の町並み(5)-旧田中銀行博物館

2006年11月24日 | 甲州市

勝沼宿のシンボル的存在が、この「旧田中銀行博物館」。明治30年代に「勝沼郵便電信局」として建設され明治35年まで使われた。大正9年に「山梨田中銀行」の社屋として改修された。藤村式建築を多く手掛けた下山大工、松木輝殷の作と伝えられている。裏手にあるレンガ造の蔵とともに平成9年登録文化財に、平成10年田中家から町に寄贈された。現在は地元のボランティアで組織する旧田中銀行友の会が当番で管理している。

見学無料、開館日11月~3月は土、日 4月~10月は水~日
電話0553-44-3755

勝沼宿の町並み(2)-バスターミナルの建物

2006年11月19日 | 甲州市

円形のガソリンスタンドの隣が、このバス会社の勝沼案内所。現役で、今流に言えばターミナルといった所だ。こちらも、築45年は経っているとのことだから、昭和30年代の半ばである。甲府駅前の発着場から、県内各地へバス路線が敷かれていたが、子供の頃によく聞いた「○○経由△△行き」というアナウンスが蘇ってくる。

祝橋(甲州市勝沼)

2006年11月16日 | 橋・トンネル

甲州市は旧塩山市、勝沼町、大和村が合併してできた。勝沼は葡萄の産地で有名だが、甲州街道沿いに栄えた宿場として今もその名残がある。日川に架かる祝橋は、かつて大正2年に新設された勝沼駅から葡萄を出荷するために建造された。昭和6年完成の鉄筋コンクリート開腹アーチ橋梁(と言うらしい)で、県のフィルムコミッションのロケ地リストにも載っている。現在は隣に新しい橋が架かっている。国有形登録文化財。

亀甲文様の扉

2006年11月11日 | 門・塀

亀甲橋を渡り山梨市内に入ると、元旅館だった「飯島楼」がある。
その門扉は亀甲文様であしらわれている。飯島楼の建物は明治37年頃とされているが、この門は同時期なのか不明だ。「亀甲橋」が昭和8年なので、それ以降であれば橋の名前から影響を受けたとも考えられる。しかし逆の可能性もあり得る。この地域と亀甲と何か関係があるのか興味のある所だ。

大正初期の民家

2006年11月09日 | 山梨市

昨日エントリーした旧銀行と同じ敷地内に、大正初期に建てられたこの住宅がある。大家族だったこともあり、多くの部屋数を持つ大住宅だ。現在は空き家になっている。
この住宅と旧銀行の建物とも、近々取り壊しが予定されている。私が“最後の目撃者”になるのは辛い。

明治の瀟洒な旧銀行

2006年11月08日 | 山梨市

建物探訪の一番の醍醐味は、自分にとって好ましい物件との出会いである。それが文献やその他の資料にも触れられていないものとなると、その喜びは尚のことである。ただし、そんな巡り会いは滅多にない。
今回、山梨市を歩いていて、そんな数少ない経験をした。
元製糸工場の事務所として使われていたこの建物は、元々明治期に銀行の建物として建てられたとのこと。平屋で土蔵づくりだが、トップライト(天窓)もあり、瀟洒な物件である。