大正末期に建設されて以来90年、神田須田町一丁目に位置する銅板建築家屋「柏山邸」は、この地の移りゆく時代に息づき、多くの人々の人生を見守ってきました。 ファサードに銅の板が葺かれた「銅板建築」と呼ばれる大変貴重な造りの建築物は、銅板に加え、”マンサード(腰折れ)屋根”というフランスの建築様式が評価され、「千代田区景観街づくり重要物件」にも認定されています。そんな柏山邸も、建物の老朽化、そして時代の移り変わりに伴い、惜しまれつつも近くに取り壊されることとなりました。長きにわたる90年間の幕を、いまここに終えようとしています。(千代田区観光協会ウェブサイトより)
という訳で、たまたま上京する用事が出たため、この銅板建築にお別れをして来ました。近くにはこんな歯科医院の建物もありました。この辺りはついこの間まで、このような建物が結構残っていたようです。
ここの所、取り壊しの情報ばかりで寂しい限りです。
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堀辰雄の小説「風立ちぬ」の舞台となり、多くの文化人が療養生活を送った長野県富士見町の旧富士見高原療養所の「富士病棟」(1926年築)が、老朽化のため9月に解体されることになった。
1926年設立の旧療養所は長年、結核患者を受け入れてきた。文人医師と言われた初代所長・正木俊二と交友のあった堀のほか、画家の竹久夢二や作家の横溝正史らが療養したことでも知られる。堀は一緒に入院した婚約者が亡くなった体験を基に「風立ちぬ」を執筆し、「八ヶ岳山麓のサナトリウム」と記した。
その後、結核患者の減少により、79年に受け入れを中止した。設立当時から残る建物は、木造2階の「富士病棟」(延べ約1330平方メートル)だけになった。老朽化のためこれまでも保存か移転かの論議があったが、現在は療養所と結核の歴史を伝える資料館として一般公開されている。
解体後は、跡地に6階建て、延べ約7400平方メートルの新病棟が建設される。富士見高原病院の井上憲昭統括院長は「将来の地域医療と医療防災拠点充実のために解体はやむを得ないと決断した」と説明。展示資料のほか、建物の階段や扉、床材などを保存し、将来的に記念館を整備する考えも示した。
(YOMIURI ONLINEより引用)
と言う訳で、急遽このサナトリウムにお別れに行って来ました。
高原には秋風が立ち、「風立ちぬ」は時を経て、まさに「風と共に去りぬ」です。
「立ち入り禁止」という貼紙があったのですが、偶然にも扉が開いていて、ちらっと内部が覗けました。
このタイル張りの円柱は残されるんでしょう。
付録:病院構内にあった東屋です。
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