やまなし・まちかど図鑑

山梨県内のレトロなまちかど、面白・珍らし物件を凡苦楽庵が探訪します。

あれから1年ー甲府カトリック教会

2006年09月29日 | 教会・寺社
甲府カトリック教会に行ってきた。ちょうど1年前の9月29日、初めてこの教会を訪れた。知人の情報でこの教会の存在と、そしてそれが取り壊しの危機に直面していることを知ったからだ。甲府にこんな教会が存在していたのか、という1年前の感動が甦ってきた。
その後、色んないきさつを経て、近代建築探訪メーリングリストの仲間の後押しと友人たちの協力を得ながら、今年4月に「まちかどの近代建築写真展」をこの教会の講堂で開催した。
写真展は、多くの人たちとの出会いと、このブログを発信するきっかけを作ってくれた。改めて1年の時の速さを実感している。
写真展が功を奏したのかどうかは分からないが、その後、教会の人たちから保存の声が上がり、取りあえず取り壊しの危機を脱する事ができた。今日の教会も1年前と同じように何もなかったかのように、佇んでいた。
所在地:甲府市中央2-7-10
大正14年の建築。見学自由。
 


旧飯富郵便局

2006年09月26日 | 郵便局

旧中富町の飯富地区は、“早川入り”への入り口に当たる。今は国道52号線が富士川沿いに新しく通っているが、私が子供の頃は旧早川橋の方へ廻りこんでいた。飯富地区は早川への分岐点でもあり、何軒かの商店や病院もあり、往時は賑わっていたようだ。

旧下山療院

2006年09月24日 | 峡南(身延・早川・南部)

旧身延町下山地区にあるこの旧医院は、私も子供の頃から見慣れた建物でシンボル的な存在だった。下山地区は古くから優れた大工集団を輩出した所で、藤村式建築も多く手掛けている。現在も地区内に“大工町”と呼ばれている集落がある。この医院は瓦葺き、下見板張りで一見2階建てに見えるが、木造3階建て。大正12年の建築とのこと。平成12年登録文化財。

旧有泉医院(旧中富町)

2006年09月22日 | 峡南(身延・早川・南部)

山梨県内は“峡”がつく地域に呼ばれている。すなわち、「峡北」「峡東」「峡西」というふうに。「峡南」は文字どおり南部の地域を指す。身延町は旧身延、中富、下部の三町が合併してできた。この旧有泉医院は旧中富町の西島地区の旧国道沿いにある。新しい国道が富士川沿いにバイパスとして作られて久しいが、地区内に用事がない限りバイパスを利用する。先日久しぶりに旧道を通ってみて、この物件を発見した。

※2024年8月追記 取り壊されました。

甲府法人会館(旧甲府商工会議所)

2006年09月20日 | 甲府市

数少ない甲府の近代建築の中で、保存状態もよく、現役で使われている筆頭が、この法人会館の建物だろう。大正15年の建築で、平成6年に改修工事が行われ、きれいになっている。山梨県内に現存する最古の鉄筋コンクリート造建築物とのこと。設計・施工は地元の技術者であった内藤半二郎。国登録文化財。

旧甲府郵便局

2006年09月18日 | 郵便局

現在甲府市役所の南庁舎として使われているこの建物は、昭和4年の建築で、設計は逓信省山田技師とある。定かではないが、山田守を指すと思われる。元々はコーナーの部分に出入り口があったそうだ。市民にとっても馴染みの深い建物なので、大切に残していってほしいものだ。 

天理教甲府大教会神殿

2006年09月16日 | 教会・寺社

舞鶴城公園の東にある天理教甲府大教会の神殿は、昭和27年の完成。空襲で全焼した旧神殿は、現在の規模の2.5倍あったそうだ。当時GHQの建築許可は75坪(250平米)が最大限度で、そのぎりぎりの規模のものを建てたそうだ。昭和24年に着工したが、戦後の物資不足で3年の工事期間を要した。中でもガラスの調達には苦労したらしい。
蛇足だが1993年、甲府教会創立100周年記念事業の一環として、信者会館の建設を行ったが、縁あってその設計をさせて頂いた。

県都のデザイン-(6)謝恩碑

2006年09月10日 | 塔・碑

県庁の東に広がる舞鶴城公園は史跡の少ない甲府にあってシンボル的存在である。かつては甲府城の天守閣があったかどうかという議論が続いているが、それは別にしても現在のシンボルはこの謝恩碑であろう。明治天皇の御用林を下賜された記念に大正9年に建立された。高さ30.3m、設計指導が伊東忠太、大江新太郎とある。

県都のデザイン-(5)山梨県民会館

2006年09月08日 | 甲府市

県庁の斜向いに建つ県民会館も内藤多仲、明石信道のコンビによる。こちらは昭和32年だから、来年50年を迎えることになる。県庁本館のファサードが別館のデザインを意識したものに対して、こちらは自由な表現である。現在は高層の事務棟だけだが、数年前までホールが北側にあった。ホールは時代にあった新しい施設が別に出来たから、使用頻度も少なくなり解体となった。私も小学生の頃、このホールの舞台に立ったことがある。

県都のデザイン-(4)山梨県庁本館

2006年09月06日 | 甲府市

当ブログのタイトルの副題に“山梨県内のレトロな…”とあるが、ここで問題になるのがどこまでが“レトロ”かということ。登録文化財の条件の一つが50年以上となっているので、それも一つの判断材料に成り得る。50年以上というと昭和31年以前の建築となる。
前置きが長くなったが、山梨県庁本館は昭和38年5月の竣工で、設計は当時早稲田の教授だった内藤多仲と明石信道。内藤多仲はご存知の通り山梨県出身で、東京タワーや通天閣などの塔を多く手掛けた構造力学の権威。今年生誕120年を迎える。このコンビは本県のこの他の建築も幾つか手掛けている。平成14年に耐震改修(免震構造)がされた。昭和38年新築当時の知事は天野久で、平成14年はその息子の天野建が知事であった。昭和30年代というのは今後新しい切り口の研究の対象になりそうな年代でもある。
この本館が当ブログの対象となったのは、以上のようないきさつを持っているからと理解して欲しい。

県都のデザイン-(3)県庁南別館(旧県立図書館)

2006年09月05日 | 甲府市

県庁構内の南端に位置するこの建物、昭和5年ということだから、別館や議事堂と同時期である。しかし、見た目は随分違う。前者が様式建築風とすれば、この旧図書館はモダニズムの色合いがする。どちらも設計者は不明だが、当然別人だろう。小さいながらも別館(当時の本館)に対峙する位置にあって個性を主張しているようで好ましい。

カーブしている所は階段室。別館の階段とは対照的だ。

県都のデザイン-(2)山梨県議会議事堂

2006年09月03日 | 甲府市

別館と同時期に建てられたので、デザインも統一している。「日本近代建築総覧」には昭和9年とあるが、県の管財課に問い合わせた時は昭和3年という答えだった。庁舎が昭和5年(これはどちらも合っていた)ということは、普通庁舎の後に議事堂を建てると思うので、9年説が正しいか? それとも庁舎は仮設のものか木造の小規模のものがあって、それを建て替えしたのか、疑問が残っている。議会を傍聴したことがないので、中には入ったことがない。というか滅多に近づいたこともない。こんど思いきって潜入してみるか。

正面玄関上部詳細