この橋を真横から見てみました。
レールが乗っていたガーターを歩いてみました。
味わいながら裸足で一歩一歩。
聞こえては来ないけれど、70年前の蒸気機関車の警笛をイメージしてしまいました。
・・・・・・・・
そして、今、この橋も、もうこの世には存在しません。
1/30の「たくさんの発見、またまた取材してきました。」をご覧になってください。
11月初旬には「生きて」いました。
このブログを訪問してくださったみなさん、偶然とはいえ、この瞬間に立ち会えた意味を考えてみてください。
現代の人々の生活が大事なのは当然ですが、あまりにも鉄道遺構は存在価値が不当に低く見られています。
完全に残せとは言いませんが、なんらかの形で「存在」を後世に伝える努力はしてほしいものです。
そんな中で良心的に(世間的には理解されずとも)、こだわっている人たちがいることは特記しておかなければなりません。
最近、「鉄男」くんたちの態度の悪さが報道されます。
ぼくは「鉄男」くんではありません。鉄道ファンでもありません。
「宮之城線」が好きなだけです。
でも、世間は同一視します。正直、迷惑です。
そのことが、引いては廃線跡に対する見方にもつながっているような気がしてなりません。杞憂でしょうか。
レールが乗っていたガーターを歩いてみました。
味わいながら裸足で一歩一歩。
聞こえては来ないけれど、70年前の蒸気機関車の警笛をイメージしてしまいました。
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そして、今、この橋も、もうこの世には存在しません。
1/30の「たくさんの発見、またまた取材してきました。」をご覧になってください。
11月初旬には「生きて」いました。
このブログを訪問してくださったみなさん、偶然とはいえ、この瞬間に立ち会えた意味を考えてみてください。
現代の人々の生活が大事なのは当然ですが、あまりにも鉄道遺構は存在価値が不当に低く見られています。
完全に残せとは言いませんが、なんらかの形で「存在」を後世に伝える努力はしてほしいものです。
そんな中で良心的に(世間的には理解されずとも)、こだわっている人たちがいることは特記しておかなければなりません。
最近、「鉄男」くんたちの態度の悪さが報道されます。
ぼくは「鉄男」くんではありません。鉄道ファンでもありません。
「宮之城線」が好きなだけです。
でも、世間は同一視します。正直、迷惑です。
そのことが、引いては廃線跡に対する見方にもつながっているような気がしてなりません。杞憂でしょうか。