228で左側の土手がさっぱりとしてしまっている写真を紹介しましたが、この藪の中にあったのが、この境界標。
これもまたなくなっていました。
左側の土手に私が見つけた境界標はこの1本だけでした。
薩摩山崎側(228の写真の奥の方)の土手も丁寧に探しておくのだったと反省です。
以前、訪れた時には神様でもないのに、写真のように白い紙がぶらさげてありました。
ちょっとおかしくなってしまった私でしたが、もしかすると、工事関係者の、この境界標に対する敬意を表しての行為だったのかなと想像してしまいました。
勝手な妄想かもしれませんが、そうであればいいのになと期待もしてしまいます。
これもまたなくなっていました。
左側の土手に私が見つけた境界標はこの1本だけでした。
薩摩山崎側(228の写真の奥の方)の土手も丁寧に探しておくのだったと反省です。
以前、訪れた時には神様でもないのに、写真のように白い紙がぶらさげてありました。
ちょっとおかしくなってしまった私でしたが、もしかすると、工事関係者の、この境界標に対する敬意を表しての行為だったのかなと想像してしまいました。
勝手な妄想かもしれませんが、そうであればいいのになと期待もしてしまいます。