ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

緊張の一日。いつの間にかほいほいと、ご機嫌に。

2010年02月22日 23時14分10秒 | Weblog
 今日、議会に呼ばれたんで出かけてきました。

 先日、死亡者の出たばかりのあの「迷惑施設」を増やすことに対する反対の陳情を出していました。代表者が出席できないってことで私が行くことになったのですが。

 やはり初めての場というのは、嫌ですね。
 朝から気分は悪いし、血圧は上がっていたんでしょうが。

 始まってからは、逆に、思いの外、冷静になれました。

 推進側にも反対側にも知人の議員が座っておりました。

   


 終了。
 気分的に、疲れましたね。
 やっぱり、初めての場ってのは嫌ですね。



 ただ、メモリアルな今日という日。
 平成22年2月22日、議会事務局からいただいた旅費は2200円。

 この金額は、後から気づいたのですが、
 これを元手にして、宝くじを22枚買ったら、2憶2千万円当たるかもなんて思いつき、そのまま、ほいほいと宝くじ売り場へ。

 こうなりゃ、とっても、ご機嫌になってしまう私。

 でも、気づいたのが19時過ぎ。
 行く先々、どこも空いてはおりません。

 残念~!
 と、金運に見限られ、そのまま帰宅することでした。
 
 
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国鉄・宮之城線の今  294

2010年02月22日 22時47分32秒 | Weblog
 プラットホームから駅舎跡へ移動しました。

 駅舎跡の前には、約1mほどの線路があり、その上に車輪が乗っていました。

 「国鉄宮之城線 佐志駅跡」と書かれています。
 まるで、お墓みたいです。

 旧宮之城町内には、薩摩山崎、船木、宮之城、佐志、薩摩湯田の5駅がありました。
 このうち、同様の碑は船木以外の全ての駅にあります。
 
 船木にはどうしてないのか?

 同じスタイルなのに・・・

 私が見落としているだけ?

 本当に謎です。



 
 しかも、さすがに宮之城駅が中心だっただけに、宮之城駅だけは碑の形が直方体ではなく、なんだかオニギリ型だし、つやつやしているし、やっぱり特別なんだろうなと思いました。

 たかが、記念碑なんですが、どうせ建てるなら、碑の後ろにあるレールは線路に並行に設置してほしかったと思います。
 こんなんじゃダメです。

 こういうところに、工事を請け負った方のセンスが問われると考えるのは私だけでしょうか。


 
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国鉄・宮之城線の今  293

2010年02月22日 22時41分06秒 | Weblog
 今度はプラットホームの北側から撮影してみました。

 南側から写真でも写っていますが、プラットホームがわずかにカーブしているのが分かります。

 ホーム上にある電柱は、あるHPによれば、木製だと書かれていましたが、現在ではコンクリート柱になっています。
 これまた、時の流れを感じます。

 そうそう、プラットホームの横にある白い壁の建物は、駅周辺の集落の公民館です。
 駅舎ではありません。
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国鉄・宮之城線の今  292

2010年02月22日 22時08分27秒 | Weblog
 プラットホームの南端に近づいてみました。

 側溝にふたはありませんが、今年の夏にはこの工事も終了していることでしょうから、プラットホームに座って、ぼぉっと古きよき時代に思いをはせてみたくなります。

 そうそう、この工事、車道部分も歩道部分もまだ舗装はされていないのですが、歩道部分には線路をイメージさせる工夫はできないでしょうかねぇ。

 やっぱり財政難だし無理やろなぁ。
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国鉄・宮之城線の今  291

2010年02月22日 21時41分15秒 | Weblog
 佐志駅の現在(とは言っても、昨年11月上旬ですが)の姿です。

 小さな鉄橋から近くから描かれる緩やかなカーブの中にプラットホームがあり、このホーム自体にも少しカーブが入っています。

 鉄橋の橋台が歩道にあったように、歩道が線路の跡になり、このプラットホームまで続いています。

 以前コメントをくださったquo-taさんの努力により、このプラットホームは残ることになったのですが、この姿を見るにつけ、本当に素晴らしい仕事をされたんだなぁと思います。

 現状そのままではないにしても、できる範囲での努力によって、これだけの物を残したことは、きっと後世の人々から感謝されるに違いありません。

 ここに鉄道が走っていた

 それが記憶と写真ではなく、現物によって証明されるわけです。
コメント (2)
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