ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

7/6日 妻沼の聖天(めぬまのしょうでん)さまの国宝歓喜院(かんぎいん)を見てきました。

2013-07-15 07:13:57 | 草花
妻沼の聖天様とは、埼玉県熊谷市にある、真言宗の古刹であります。
小生が子供の頃は小学校の遠足で必ずここを訪れたものでした。
私達は小さい頃から聖天様(しょうでんさま)と呼んでいましたが、それは略称であり、本当は「大聖歓喜双身天王」といい、方便としては象さんの頭をした、首から下は人身の男女の神様が抱擁しあった姿のようですが、「秘仏」扱い(見ることが出来ない)となっています。

寺伝によると治承3年(1179年)に、長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされています。その後、建久8年(1197年)、良応僧都(斎藤別当実盛の次男である実長)が聖天宮の別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたといわれています。(wikiより引用)

江戸時代の初期に火災で焼失したものを江戸末期に再建したそうですが、それを平成15年から8年がかりで13億5千万円かけて修復し、創建当時の姿に戻したそうです。

ここには聖天堂本殿(=拝殿+中殿+奥殿)が平成24年「国宝」に指定されています。
そのほか、「秘仏」の大聖歓喜双身天王=錫杖頭と、山門の貴惣門の二つが重要文化財に指定されています。

埼玉県内には国宝が5つありますが、その内の一つということになります。

その景色を二度に分けてレポートします。
歓喜院本坊の山門 ↓

妻沼の聖天様はとても広い境内で、車を置いた場所近くに古い堂宇があります。こちらを「本坊」と言いますが、こちらは「本坊」であって、目指す国宝の建物はは「本殿」の方です。
この「本坊」は内拝できません。



本坊と庭 ↓

この前庭でネジバナの花を見つけました。



神輿協賛の提灯 ↓

「本坊」から「本殿」まで長い道のりがあります。その中に沢山の民家や商家が有りますので、このお寺の勢力が並みでないことが偲ばれますね。
この提灯は神輿を協賛したところを提灯にて張り出すようにしているもののようです。



貴惣門 ↓

一般道から、家屋の間からこれが見えました。チラっと見たときには、五重塔かと思いましたが、さにあらずで、この貴惣門の最大の特徴である、三つ重なる破風(山型の部分)ですね。これは全国に四例しかない特殊な屋根の形だそうです。


貴惣門 (正面) ↓

正面に回って貴惣門を眺めます。安政2年(1855年)頃に完成したそうです。
扁額には「皆与願満足」とあります。願う満足は皆与えるということでしょうか。


二天王像 ↓

二天王像

仏様には誠に畏れ多いことですが、この二天王様は片方が持国天様で、もう片方は多聞天様だそうですが、ハテ?どちらだったかなというレベルです。



精巧な彫刻 ↓

ケヤキ作りだそうですがあの堅い木を良くぞ彫った物です。



寄贈者名 ↓

大金を叩いて寄付したからにはどうしても名前を入れたくなりますね。




寄贈者名 ↓

柱の土台石にも名前が刻んであります。



開祖斉藤実盛像 ↓

この斉藤実盛公はこの地方の勇猛果敢な武将で、謡曲『実盛』の主人公だそうですが、謡曲を嗜みませんので残念ながら、なんとも言及できません。



料理屋「千代枡」↓

この料理屋は田山花袋の小説「残雪」に実名で登場するようですが、「蒲団」しか読んだことがありませんのでこちらもパスです。



仁王門 ↓

大きなお寺さんですので、貴惣門で度肝を抜かれた後に、今度は仁王門です。
仁王様にひと睨みしていただき、暑気払いをしましょう。



阿形 ↓




吽形 ↓

睨んでいただき暑気と俗気を払った後にいよいよ目的の歓喜院(かんぎいん)に近付きます。
次回にその華麗極まる造形を見ていただきます。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする