岩戸神社を”探検”参拝した後は、砥鹿神社に行きます。
砥鹿神社の沿革は、神代に遡るようで、実態はハッキリしませんが、最初はこの本宮山上にのみ社があったそうですが、大宝年間(701年~704年)に、神託により里へ社殿を造営し、山頂の社を奥宮、里の社殿を里宮として、人々の崇敬をあつめるに至っています。
ご祭神は大己貴命 (おおなむちのみこと)で大国主命のことですね。
今回は神寂びた場所、本宮山の砥鹿神社界隈をレポートします。
ギンリョウソウ ↓
岩戸神社から戻るときに、階段を登りながら見つけました。
モリアオガエルの卵嚢 ↓
旧スケートリンクスの貯水池を覆うようにせり出した木の枝に沢山ついていましたが・・・・。
場所が離れているので、卵嚢の中のオタマジャクシまでは見えません。
ツルアリドオシ ↓
神社の社叢内で境内に近づくにつれて、斜面にツルアリドオシが沢山出て来ました。
オカタツナミソウか? ↓
オカタツナミソウか、シソバタツナミソウか、未だに判断に迷っています。
ポイントを抑えて、現地でよく観察しておけばよかった、と残念がっています。
皮を剥がれた杉の木 ↓
この社叢では、こんな風にして、皮をはがれた杉の大木が沢山立っています。
屋根葺きに使うのでしょうから、恐らく里宮で使ったのでしょうね。
ご神木 ↓
ご神木の杉の木が出迎えてくれました。いつ来ても樹齢が1000年となっています。
ヤマユリ ↓
東三河ではヤマユリのことをホウライジ(鳳来寺)ユリと称します。
ササユリ ↓
神社の石段を挟んで、ヤマユリの向こう側にササユリが咲いていました。
砥鹿神社 ↓
砥鹿神社の奥宮です。 今回は無念無想でお参りしました。
砥鹿神社の沿革は、神代に遡るようで、実態はハッキリしませんが、最初はこの本宮山上にのみ社があったそうですが、大宝年間(701年~704年)に、神託により里へ社殿を造営し、山頂の社を奥宮、里の社殿を里宮として、人々の崇敬をあつめるに至っています。
ご祭神は大己貴命 (おおなむちのみこと)で大国主命のことですね。
今回は神寂びた場所、本宮山の砥鹿神社界隈をレポートします。
ギンリョウソウ ↓
岩戸神社から戻るときに、階段を登りながら見つけました。
モリアオガエルの卵嚢 ↓
旧スケートリンクスの貯水池を覆うようにせり出した木の枝に沢山ついていましたが・・・・。
場所が離れているので、卵嚢の中のオタマジャクシまでは見えません。
ツルアリドオシ ↓
神社の社叢内で境内に近づくにつれて、斜面にツルアリドオシが沢山出て来ました。
オカタツナミソウか? ↓
オカタツナミソウか、シソバタツナミソウか、未だに判断に迷っています。
ポイントを抑えて、現地でよく観察しておけばよかった、と残念がっています。
皮を剥がれた杉の木 ↓
この社叢では、こんな風にして、皮をはがれた杉の大木が沢山立っています。
屋根葺きに使うのでしょうから、恐らく里宮で使ったのでしょうね。
ご神木 ↓
ご神木の杉の木が出迎えてくれました。いつ来ても樹齢が1000年となっています。
ヤマユリ ↓
東三河ではヤマユリのことをホウライジ(鳳来寺)ユリと称します。
ササユリ ↓
神社の石段を挟んで、ヤマユリの向こう側にササユリが咲いていました。
砥鹿神社 ↓
砥鹿神社の奥宮です。 今回は無念無想でお参りしました。