八ツ面(やつおもて)山は矢作古川沿いに立つ、標高67メートルの小山ですが、ここからの眺めも良くて、木曽御嶽の一級品の眺めを得ようと期待をしてやってきました。
この山はかつて良質な雲母(キララとも言う)を産出したようで、古くはきらら山と言っていたそうです。
西暦713年(和銅六年)には朝廷に雲母を献上したという記録が続日本紀に残されているそうです。
地名の吉良はこの雲母(きらら)が由来だと聞きます。浪花節の吉良の仁吉さんも吉良の産ですね。
西浦半島の原山から自転車を漕いで1時間50分ほどかかり、お腹は相当空いてきています。
「シャリバテ」というあまり上品ではない俗語がありますが、まさしく、シャリが切れて、エネルギーがプッツンしそうな状態です。
地図 ↓
見えて来た ↓
矢作古川の堤防上を自転車漕いで進んでいます。遠くに見えた八面山がなかなか近づいてくれません。相当草臥れてきています。
コナラの紅葉・黄葉 ↓
やっと山麓に着きました。元気の良い時なら、山頂まで自転車を漕ぎ上がるのですが、たった70メートル弱の高度差を頑張れません。時刻は午前11時50分。
綺麗なコナラの葉を見上げながら、どこで昼食をとるのか考えています。
神社の石段 ↓
この石段を登り切り、山の中腹にある神社の境内で食事をとることにしました。
久麻久(くまく)神社 ↓
この神社の創建は定かではありませんが、西暦701年にはあったと言い伝えられています。
何よりも延喜式に神名記載されている、由緒ある社のようです。
ここで参拝後に遅かった昼食をとり、身体の筋肉にエネルギーを注入します。
説明書き ↓
椎の大木は「連理の枝」 ↓
二本の椎の大木が途中の枝で連なっています。この様により縁結び・子孫繁栄・男女の幸せの象徴として尊ばれています。
境内の紅葉樹 ↓
数少ないもみじを見てから山頂に向かって歩き出します。
西尾市の配水場 ↓
中腹には西尾市の配水場があります。背後のアンテナはそれとは関係ないかもしれません。
四季桜 ↓
こんなものも植えられていました。
雲母の廃坑道 ↓
山の斜面に凹部があり、そこに木の枝などが無造作に散乱しています。脇に「雲母坑址」の看板が立っていました。
センリョウ ↓
いつもは車道を通っていますが、今回は歩いていますので、山の斜面に入ってみました。
早速センリョウを見つけました。
ヤブミョウガ ↓
ヤブミョウガの実もまだ残っています。
サネカズラ ↓
サネカズラの実は、未だ全部が赤くなってはいません。
この山はかつて良質な雲母(キララとも言う)を産出したようで、古くはきらら山と言っていたそうです。
西暦713年(和銅六年)には朝廷に雲母を献上したという記録が続日本紀に残されているそうです。
地名の吉良はこの雲母(きらら)が由来だと聞きます。浪花節の吉良の仁吉さんも吉良の産ですね。
西浦半島の原山から自転車を漕いで1時間50分ほどかかり、お腹は相当空いてきています。
「シャリバテ」というあまり上品ではない俗語がありますが、まさしく、シャリが切れて、エネルギーがプッツンしそうな状態です。
地図 ↓
見えて来た ↓
矢作古川の堤防上を自転車漕いで進んでいます。遠くに見えた八面山がなかなか近づいてくれません。相当草臥れてきています。
コナラの紅葉・黄葉 ↓
やっと山麓に着きました。元気の良い時なら、山頂まで自転車を漕ぎ上がるのですが、たった70メートル弱の高度差を頑張れません。時刻は午前11時50分。
綺麗なコナラの葉を見上げながら、どこで昼食をとるのか考えています。
神社の石段 ↓
この石段を登り切り、山の中腹にある神社の境内で食事をとることにしました。
久麻久(くまく)神社 ↓
この神社の創建は定かではありませんが、西暦701年にはあったと言い伝えられています。
何よりも延喜式に神名記載されている、由緒ある社のようです。
ここで参拝後に遅かった昼食をとり、身体の筋肉にエネルギーを注入します。
説明書き ↓
椎の大木は「連理の枝」 ↓
二本の椎の大木が途中の枝で連なっています。この様により縁結び・子孫繁栄・男女の幸せの象徴として尊ばれています。
境内の紅葉樹 ↓
数少ないもみじを見てから山頂に向かって歩き出します。
西尾市の配水場 ↓
中腹には西尾市の配水場があります。背後のアンテナはそれとは関係ないかもしれません。
四季桜 ↓
こんなものも植えられていました。
雲母の廃坑道 ↓
山の斜面に凹部があり、そこに木の枝などが無造作に散乱しています。脇に「雲母坑址」の看板が立っていました。
センリョウ ↓
いつもは車道を通っていますが、今回は歩いていますので、山の斜面に入ってみました。
早速センリョウを見つけました。
ヤブミョウガ ↓
ヤブミョウガの実もまだ残っています。
サネカズラ ↓
サネカズラの実は、未だ全部が赤くなってはいません。