岸田さんが所信表明で上のようなことを言っていましたね。 対句として前振りに「早く行きたければ一人で進め」ともありました。
「遠くへ行きたければみんなで進め」・・・・なるほどうまいことを言うと思いました。
しかし、実際はそうとも限らないように思いました。
よく見るTV番組の「グレートトラバース」では田中陽希さんは遠い道のりを一人で歩いています。だいぶ以前に世界一周を成し遂げた間寛平さんも一人で走り続けましたね。
人がたくさん集まって同じことをしようとすると不協和音が重なって、却ってことを成し遂げにくくなるのではないでしょうか?
立憲民主党と国民民主党はかつて同じ党でしたが、今ではどうしても合流することが出来ないでいます。
自民党内でもかつては党の幹事長まで務めた実力者を排斥して、どうしても同一歩調が取れないでいる間に不祥事が積み重ねられてしまっています。
大勢で同じ船に乗る中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国にしても「みんなで進んだ」結果とんでもない遠くの違った場所へ向かっているのではないでしょうか。
よくよく考えてみると、今いるこの場所から遠くへ行くことなんか無いのかもしれないし、早く進む必要もなくて、自分のペースで確実に歩いていくことのほうが大切なのかもしれませんね。
つい上げ足取りみたいなことを言ってしまいましたが、手かせ足かせで船出をした、誠実そうな岸田さんには是非頑張ってもらいたいと思います。彼が小生の選挙区でしたら、些細ではありますが、清き一票の応援も厭わないという気持ちでいます。
ボケ防止のための日記は相変わらず夕間暮れの空の様子を綴ります。
旧愛知県碧海郡依佐美村の無線鉄塔跡地で入日 ↓
旧愛知県碧海(へきかい)郡依佐美(よさみ)村は現在刈谷市野田町になっています。ここに昭和初期、高さ250mの無線鉄塔が400m間隔で8基立ち軍事使用の長波を出していました。
(これが依佐美送信所の業務でしたが、同送信所を運営していた日本無線電信株式会社の設立委員長を渋沢栄一が務めています。)
終戦後は米軍に接収され、人工衛星通信の時代になり、また日本に返還されました。
その後、8基が解体され、その跡地8か所に二本ずつクスノキが植えられています。
今回はその楠の間に落ちていく太陽を撮りました。
太陽が地面に没する位置には雲が横に掛かっていて、ちょうどよい画にはなりませんでした。
未だ細い月 ↓
太陽が沈んでもまだ空は明るいのですが、光量は相当落ちてきています。すると今まで見えていなかった月が見えて来ました。
月齢は2.9です。
月と飛行機雲 ↓
月の同じ方角に飛行機雲が表れます。飛行機雲にも夕焼けが反映されています。
赤みを帯びた月 ↓
辺りの暗さが増すと月もよりはっきり見えますが、沈む方向では赤みを帯びて見えています。
街明かりと月と金星 ↓
街明かりを入れて月を撮り、金星も仲間入りさせました。
ISSの航跡を3っつに分けて
① ↓
予測していたのよりもだいぶ北のほうからやって来ました。画面では右から左に移動しています。
② ↓
①では撮り切れないと判断して、カメラをもっと左に振りました。(右から左に移動。)
③ ↓
さらに左にカメラを振ります。(右から左下方向へ移動しています。)
夏の大三角 ↓
今回は手持ちではなくて、カメラをちゃんと三脚に据え付けて撮りました。
シャッター速度を色々変えて撮りましたが、どうやっても下から街の明かりが入り込んできて、星の輝きに邪魔をしてしまいます。
10/10日の花
セッコク ↓
セッコクの花が一輪返り咲きしてきました。
藤袴 ↓
藤袴はようやくほかの花もほころびだしました。鼻を近づけると良い香りが少しだけ感じられました。
月齢3.8 ↓
10日午後4時少しすぎ、太陽は西に傾いては居ますが、明るい空の中に浮かんでいる月はとても薄くて見つけるのに苦労します。
「遠くへ行きたければみんなで進め」・・・・なるほどうまいことを言うと思いました。
しかし、実際はそうとも限らないように思いました。
よく見るTV番組の「グレートトラバース」では田中陽希さんは遠い道のりを一人で歩いています。だいぶ以前に世界一周を成し遂げた間寛平さんも一人で走り続けましたね。
人がたくさん集まって同じことをしようとすると不協和音が重なって、却ってことを成し遂げにくくなるのではないでしょうか?
立憲民主党と国民民主党はかつて同じ党でしたが、今ではどうしても合流することが出来ないでいます。
自民党内でもかつては党の幹事長まで務めた実力者を排斥して、どうしても同一歩調が取れないでいる間に不祥事が積み重ねられてしまっています。
大勢で同じ船に乗る中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国にしても「みんなで進んだ」結果とんでもない遠くの違った場所へ向かっているのではないでしょうか。
よくよく考えてみると、今いるこの場所から遠くへ行くことなんか無いのかもしれないし、早く進む必要もなくて、自分のペースで確実に歩いていくことのほうが大切なのかもしれませんね。
つい上げ足取りみたいなことを言ってしまいましたが、手かせ足かせで船出をした、誠実そうな岸田さんには是非頑張ってもらいたいと思います。彼が小生の選挙区でしたら、些細ではありますが、清き一票の応援も厭わないという気持ちでいます。
ボケ防止のための日記は相変わらず夕間暮れの空の様子を綴ります。
旧愛知県碧海郡依佐美村の無線鉄塔跡地で入日 ↓
旧愛知県碧海(へきかい)郡依佐美(よさみ)村は現在刈谷市野田町になっています。ここに昭和初期、高さ250mの無線鉄塔が400m間隔で8基立ち軍事使用の長波を出していました。
(これが依佐美送信所の業務でしたが、同送信所を運営していた日本無線電信株式会社の設立委員長を渋沢栄一が務めています。)
終戦後は米軍に接収され、人工衛星通信の時代になり、また日本に返還されました。
その後、8基が解体され、その跡地8か所に二本ずつクスノキが植えられています。
今回はその楠の間に落ちていく太陽を撮りました。
太陽が地面に没する位置には雲が横に掛かっていて、ちょうどよい画にはなりませんでした。
未だ細い月 ↓
太陽が沈んでもまだ空は明るいのですが、光量は相当落ちてきています。すると今まで見えていなかった月が見えて来ました。
月齢は2.9です。
月と飛行機雲 ↓
月の同じ方角に飛行機雲が表れます。飛行機雲にも夕焼けが反映されています。
赤みを帯びた月 ↓
辺りの暗さが増すと月もよりはっきり見えますが、沈む方向では赤みを帯びて見えています。
街明かりと月と金星 ↓
街明かりを入れて月を撮り、金星も仲間入りさせました。
ISSの航跡を3っつに分けて
① ↓
予測していたのよりもだいぶ北のほうからやって来ました。画面では右から左に移動しています。
② ↓
①では撮り切れないと判断して、カメラをもっと左に振りました。(右から左に移動。)
③ ↓
さらに左にカメラを振ります。(右から左下方向へ移動しています。)
夏の大三角 ↓
今回は手持ちではなくて、カメラをちゃんと三脚に据え付けて撮りました。
シャッター速度を色々変えて撮りましたが、どうやっても下から街の明かりが入り込んできて、星の輝きに邪魔をしてしまいます。
10/10日の花
セッコク ↓
セッコクの花が一輪返り咲きしてきました。
藤袴 ↓
藤袴はようやくほかの花もほころびだしました。鼻を近づけると良い香りが少しだけ感じられました。
月齢3.8 ↓
10日午後4時少しすぎ、太陽は西に傾いては居ますが、明るい空の中に浮かんでいる月はとても薄くて見つけるのに苦労します。