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日本相撲協会の怠慢

2017-12-04 23:19:28 | スポーツ
最近の大相撲。
私はここ数年は、大相撲のことなどほとんど気にもしませんでした。それが、長野県出身御嶽海が幕内力士になってから、郷土愛からか御嶽海の応援をするようになり、また相撲界全体のことに興味を持つようになりました。

思えば、私が大相撲に興味があったのって若貴時代までくらいでしょうか❓その前の千代の富士時代も面白かった。
特に千代の富士と貴乃花の最後の取り組み。あれで、千代の富士は引退を決意したわけですね。貴乃花もあっぱれでした。
あの頃は本当に面白い時代だったと思う。

それから、朝青龍とか白鵬とか横綱が誕生してきましたが、この千代の富士を経て若貴時代以降はあまり相撲に興味がない。

それはなぜか。
私生活で忙しかったというのもあるかもしれませんが、一番の理由は日本人の横綱がいないから、ということです。

今年、稀勢の里が横綱になりましたが、聞けばなんと14年ぶりの日本人横綱の誕生とか。
久しぶりの日本人横綱の誕生で日本中が湧きましたが、裏返して考えれば、この14年間、一体全体、相撲協会は何やっていたの、と思ってしまいます。
14年間も日本人の横綱が誕生しないという現実を、モンゴル人ばかりの横綱時代をただ指をくわえて見ていただけなのでしょうか?また、日本人横綱がいなくっても全く問題はない、ということなのでしょうか。

別に人種差別で言っているわけではなく、相撲が日本の国技というならなぜ日本人の横綱がいないのか、が不思議でたまりません。
相撲協会もそれでいいと思っているのでしょうか。また、こういう現実に、「白鵬〜〜」とか言っているファンの皆さんは、どう思っているのかしら❓
貴ノ花親方も「モンゴルとはつるむな」とか言っているそうですが、そしたらなぜ、モンゴル人を弟子にしたの?

今、貴の岩暴行事件をきっかけに、白鵬などに「横綱としての品格がない」などと批判が高まっていますが、モンゴル人の横綱としての品格のなさって今に始まった事ではないと思います。朝青龍もいろいろありました。
白鵬始めモンゴルの人の考え方って、相撲を相撲道ではなくスポーツとして捉えているような感覚があります。最近の白鵬の取り組みも、勝てばなんでもいい、ような取り組みが多いような印象。そりゃ勝てばご祝儀たくさんもらえていいのだと思いますが、貴ノ花がよくいう「相撲道」って、単に勝ち負けだけを言っているわけではないでしょう。

貴ノ花は以前の寄稿文で、横綱とはどうあるべきか、次のように書いています。


相撲とは『神道』に基づき、男性が神前にその力を捧げる神事がその根源です。横綱に強さだけでなく、品格や厳格さが求められるのは、相撲が神事である証しといえるでしょう。横綱とは力士番付における最高位ではありますが、ただ勝ち星が多ければよい、他の力士に比べて力や技に勝り、誰よりも強ければそれでよいという存在では決してありません。

相撲の道を志すものは、「強くなりたい」という思いと同時に、「日本の伝統文化を守る」という強い意志が必要だと私は常々考えて参りました。それと同時に、相撲を通じて古来から脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていくことが、相撲に関わるすべての人間に課せられた義務であると考えております。
 


こういうようなことを、歴史や環境が全く違う、モンゴルの人に教えてきたのでしょうか。あるいは今の若い日本人力士に教えていてるのでしょうか。

外国人力士の入門も、相撲人気のきっかけとなったとは思いますが、今後の相撲の世界を考えたら、どうでしょうか。
新弟子不足と言いながら日本人の若者に活路を見出していない相撲協会。そんな事を考えていると、この14年というものは、まさに相撲協会の怠慢とも思えます。

このままで行けば、今の相撲は相撲道とは懸け離れたところに行ってしまいそう。日本人力士は誰もいなくなりそう。

今回の騒動は、そんな相撲道に警笛を鳴らしているような気がします。







                              

12月3日(日)のつぶやき

2017-12-04 06:27:42 | 海外ドラマ