私の身の周りでは仕事を受託している会社の支店統合があり、今まで立川にあった支店が代々木に行きました。
他の評価員にとってはたまにある会議で都心まで行かなければならない程度なのですけど、私の場合、ややこしい物件は相談に行ったり、終わった書類を直接返却に行ったりしていたので。大変不便になりました。
近くから通っていた社員は混雑方向に延々と電車に乗る事になるのでかわいそう。
まあ、会社でも転勤があったりするのを思えば仕方ないことなのですけど。
昭和24年生まれまでの団塊世代、私は25年ですけど早生まれなのでこの最後の団塊世代となります。
年度が替わると全員が高齢者となります。
ん?そういえばまだ年金のお知らせとか介護保険を引くとか来ませんけど、まもなくなのでしょうか。
25歳で独立したので会社には数年しかいなかったので厚生年金はごくわずか。
国民年金です。
考えてみると水道光熱費、その外必要実費は結構あり、これ家が無かったら家賃で足が出ますね。
ぼろ家でもう建て替える気はしないのですけど、とりあえず住むところがあるのは幸いかも。
個人の年金らしきものが73歳まではあるのでそれで補填していけば何とか食べるだけは出来るのかななどと細かな計算もしないでお気楽にしています。
幾つまで生きるのかが不安ですね。
でも、たとえ、
「 あなたは73歳になった4月で死にます 」
などと決められているの残りを数える人生になりそう。
まあ、解らないのが良いのですね。
明日、事故で死んでしまうとしても、今日笑っていられますから。
昨年の夏、母にお祭りをしてあげようと綿あめ器、たこやき器、金魚すくいのおもちゃ、家あげ花火などで演出しました。
綿あめ器は以前も買った事があり、それはあまりやらなくなったので息子が学校に持って行って誰かにあげたのでまた買ったのですけど、そんなに使わないのでずっと世話になっている保険屋さん、彼はまだ小学校の娘さんたちがいるので、いる?と言ったら喜んで貰ってくれました。
ついでに物が山積みになっていたDKのコーナーを片づけましたけど、終わったら何が片付いたものか?
たこやきはたまに作るのであげませんでした。
ついに家事は100パーセント私の役目となりました。
朝4時から7時まで動きが止まることなく家事。
昼は朝お弁当を作ってあげているのでてこずりません。
夕方は4時半頃から6時まで。
時給にしたらけっこうな金額になるでしょう。
その他に本業で走り回り。
介護環境に無い人は私より幸せかも。
別に不幸せとは思っていませんけど。
でも、母が私の留守中宅配便を受け取ってくれるので助かっています。
( この町中の公園は北側に住宅があり北風が防げると思ったので、ここでお茶会にしました)