ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

占領下の日本で生まれた( & 老人とニャン )の巻

2019年02月17日 05時05分00秒 | 日記


愛媛の田舎で生まれましたので子供の頃水道、ガスはありませんでした。


水は井戸から汲み上げていましたし、調理は竈で薪を使い、七輪で炭を使っていました。


電気はありましたけど白熱電灯での照明とラジオで使っていたくらいです。


そのうち電気がまは出来ましたが、洗濯は盥と洗濯板、掃除ははたきと箒と雑巾、冷蔵庫は無いので生鮮食料品の買置きなどできなくてその日の買い物は欠かせませんでした。

氷を入れる冷蔵庫はありましたが都会で氷を毎日配達してくれる環境でないと無理。


行商の人が野菜や魚を売っていました。


電話は郵便局にある程度、壁掛けの木製の箱でしゃべるところに小さなラッパ型の物が付いていてそれを口とするとベルが二つ目のようについていた記憶があります。耳に当てるものがコードでつながっていました。


戦争が終わって物の無い時代、砂糖の代わりにアマミゲンと言うものを使っていました。


道は舗装されていなくて浜には防波堤も無く嵐の日は波が道を洗っていたり、小石が雨戸を打っていました。








日本が連合軍に占領されていたのは1945年9月2日から1952年4月28日までのはず

よって団塊世代は占領下の日本で生まれたと言う事なのですね。



物は無かったですけど不便と思う事はありませんでした。

それが普通なので当たり前ですけど。


どんどん新しいものが出て明るい未来に向かって育っている気がしました。

希望 が物が豊富な今よりあったと思います。


子供の頃と今を思うとすごい変化の時代を生きたのだなと思います。


昭和、平成、そして新しい年号を迎えたら生まれたのは二つ前の時代、自分が生まれた昭和を基準にすれば明治時代の生まれと言う感覚ですね。


ボッと生きていても一つの時代を生きたのだなと言う感じがします。







昨日雨戸を閉めようと思ったら窓の前に置いてあるミョウガを植えたプランターの中にジュースを飲んだ後のプラスチックの容器が捨ててありました。

道路を見ると吸い殻が二つ投げ捨てられていました。


以前はよく敷地内に投げ捨てがありましたが最近はまれです。


こういう神経は解からないんですよね~。


私の場合自分が振れたものは自分の分身のようで投げ捨てるなど恥をさらしているようでもってのほか。


平気で投げ捨てる人は自然に片付いていると思うのでしょうか?


考えてもいないんでしょうね。

片づける身になるとがっかりです。





さて忙しい週になります。

月曜日には仕事が5件、以前は7件ある日も多かったのですけど、一度楽になると大変に感じます。


水曜日は新宿で会議。


他には今のところ金曜日に1件。


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断酒うまくいっています。

昨日は外出はしませんでしたがエアロバイクを20キロ。


腰かけて行う膝体操もやって少し良くなりかけているのかなと思います。


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スズキの C調の複音13穴ハーモニカの組み立てキット を買って組み立ててみました。

プライムセールで2000円ちょっと。

完成品もこの程度であります。

13穴は普通の曲(歌)の音域なので使い勝手が良いです。


ハーモニカは沢山持っているのですが、この週末何か組み立ててみたいなと思って探したらあったのです。

と、言っても本体とカバーとリードのプレートをネジで止めるだけなのですぐできます。


ダニーボーイやプライドを吹いてみましたけど良い感じでした。
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