( 写真は昔のものです )
災害になったらどういう事に困るのかわかっている事なのに、毎回混乱。
避難場所に段ボールの仕切りやベッド、トイレ、お風呂、炊き出し設備などこう言うものは普段から各自治体に備えていち早く被災地に届けると言う事は出来ないのかなと思います。
などは普段から各自治体で複数台備え、災害時は被災地へいち早く届けと言う事にはならないのでしょうか。
食事も乾パンやアルファ米では無くて普段食べている物を提供できるのが一番良いと思いますが、前例を参考にせず毎同じ混乱。
過去に学ばねば。
昨日国会見ていても今回の事を教訓になどと言っていましたが、すでに過去には沢山の教訓はあるのですけどね。
日本はどこでも大きな災害が起こる可能性のある国なのですから。
ブランケットは備蓄している自治体が多いと思いますが、使い捨て下着、おむつ、衛生用品、水を使わない清拭タオルやシャンプー、こういう物も各自治体でそれなりの数を備蓄し、被災地にすばやく運ぶシステムをなんで考えないのかな~と歯がゆく思います。
個人でも災害時、まずその瞬間生き延びる事。
運よく生き延びたら食料、水、トイレ(使い捨てトイレと着替えにも使えるポンチョは色々使えて便利です)、着替え(使い捨て下着など)保温のためのシートやシュラフ、考えられる備えはしておいたほうが良いです。
昨日サッポロ一番味噌ラーメンが届いたので早速玉ねぎと玉子を入れて夕食で食べました。
( 卵と玉子 たまご を変換するとこの二つが出てきますがあまり明確な物はないみたい、いつも変換して食用は玉子のほうがしっくりくるなと思っていたのですけど 孵化するものは卵、食用は玉子と言うように解説したものが多いのでそうします )
このラーメンにも思い出が沢山あります。
まず下宿時代出て間もない頃だと思いますけど良く食べました。
下宿仲間も食べていました。
みんな小さい電熱器で小さい片手鍋で作り、鍋のまま食べていました。
先輩はいつもちゃんと1~2本食べて茹で具合を確かめて食べていました。
私は適当に茹で上がったかなと思ったらそのまま食べました。
隣町の大学の仲間、1年で退学してどこか違うところに行ったようですけどラーメン手持ちがあったら分けてと上げたら茹でないでバリバリかじって食べていました。
山にも良く持って行きました。
朝は大抵ラーメン、冬は結露したテントの屋根からぽたぽたしずくが垂れてくる中で手早く作って食べました。
食べるとやっと震えが止まったものです。
色々懐かしい思い出がよみがえってきます。
山の思い出は良いのですけど、下宿時代はついでに嫌な思い出も蘇ってくるので困ります。
でも、我々の学生時代がインスタントラーメンの黎明期だったのは良かったなと思います。
今はカップ麺も多いですけど、ごみが少ない袋麺が好きです。
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今日は寒い予報、日本海側は雪、被災地は大変だろうなと思います。
今朝は寒い、4時台の深夜便を途中まで聴いて下に降り、台所のラジオで残りを聴きながら作業。
1合メスティンに仕掛け、今朝も親子丼にしようと玉ねぎを刻み下ごしらえ。
その後米を10合精米しニャンさんの水を替えて仏壇にお茶とお水、紫苑さんの水も替えコーヒーを淹れて一息。
今朝は明るくなる頃から給水の予定。
今日は可燃ごみの日。
朝の一連のルーティン、これはボケ防止にも役立つかもしれません。
あえて少し生活を不便にする、面倒にする。お
これは体を動かしますし生活にリズムを与える。
便利にする、楽をする は言い方を変えれば考えなくすると言う事ですもんね。
不便のすすめ これも想像力の種かも。