良寛記念館 新潟・三島郡出雲崎町米田1

僧侶・歌人・能書家として江戸時代に出雲崎の商家に生まれました。
子供時代から二十数年間出雲崎で過ごした良寛のふるさとの史跡を
辿ってみました。


岡山の修業から戻った後20年間過ごした五合庵は萬元上人が
毎日米を五合給されたことに由来して付けられました。
ここで托鉢や座禅をしたり多くの漢詩などを生み出したと
言われます。(耐雪庵)

夕日の丘公園は、「にいがた景勝百選」で第一位に選定されました。
目の前は日本海、右手には弥彦山、眼下には良寛堂、
海岸線に続く妻入りの街並みを眺めることができます。

良寛堂は、生家の跡地に建てられています。
堂の中には良寛が常に持ち歩いたと言われる
「石地蔵」をはめ込んだ多宝塔があります。

妻入りの街並みは夕日の丘公園から良く見られます。
家と家が重なり合うように幹を連ねています。通りに面して
棟が直角になっている「妻入り」と言う形式で、海岸線沿い
約4キロほど続いており日本一の長さといわれます。

江戸時代、越後で一番人口密度が高く、多くの人が
居住できように間口は狭く奥行きの長い妻入り形式
が取られました。当時は間口によって税金が掛けられた
と言われます。
駐輪場もその姿を見せています。


