光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

春まぢかの袖ケ浦市・飽富神社-お田植神事ももうすぐです。

2024年03月22日 | 日記

 3/10(日)ツレと毎年袖ケ浦の飽富神社(あきとみじんじゃ)で行われるお田植神事の下見に行ってきました。この行事は稲の豊作を祈る神事で4月上旬に開催されています。

 お田植神事とは、当日氏子総代が刈ってきた葭(よし)と楢(なら)の小枝を、女性が苗結びに仕立て、約700本作って神前に供えます。関係者一同が祈願の後、稲籠に入れた葭苗を鳥居の前に運び、早乙女が石段下に集まった氏子たちに向かって投げると言う神事です。

 この日は神社の整備が行われており、女性の方も4~5名来て作業をしていました。この時今年のお田植神事はいつやるのか聞いてみると、4/14(日)とのことでした。昨年依頼されて葭苗を作る女性の集合写真を撮影し、来年必ず持って行きますと約束していたので、渡す日時がはっきりして一安心です。

 この神社の起源は古く平安時代に編集された『延喜式』の中に君津地方では唯一、その名が記されています。創建は2代綏靖天皇(581年)元年で、天皇の兄の神八井耳命が創建したと伝えられています。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)穀物・農業の神様です。

 本殿の前に古い狛犬が鎮座しています。天保9年(1838年)石工 重田三五郎の作です。その前には石灯籠が在りますが、それに可愛い狛犬の子供が遊んでいる姿が彫られています。珍しい石灯籠で、文久2年(1862年)石工 金兵衛の作と伝えられています。

 そして社務所の横には巨大なご神木があり、樹の側に説明板が立っています。それによると樹齢は約300年とのことです。

 なお本殿右側の東照宮も、先の台風で壊れた箇所が修理されており、立派な彫刻と共に公開されていました。

 この東照宮は旗本天野佐左衛門光得が、元和8年(1622年)4月に久能山から勧誘し、元治元年(1864年)に再建したもの。四面に緻密な彫刻が施されています。

 これで飽富神社の撮影を終了し帰宅しました。今度来るのは4月14日のお田植祭ですが、葭苗作りの方とお会いできるのが楽しみになってきました。集合写真を渡して喜んでいただけると思います。