山岳ガイド赤沼千史のブログ

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初冬霞沢岳遭難捜索

2013年11月17日 | 雑感

 15日午前11時、僕の携帯が鳴った。それは遭難対策協議会からのもので、上高地霞沢岳へ向かった登山者が帰らないと言うものであった。13日「雪があって滑って下れないから、ビバークする」と携帯電話から家族に連絡があったらしい。

その登山者は77歳男性、13日に単独で霞沢岳へ行きたいと言う事だけを家族に言い残していた。本人のマイカーが上高地へのマイカー乗り継ぎ地点の沢渡駐車場で発見され、上高地行きのバスに乗ったところまでは確認されて居る。大切な登山届けは未提出。よって、この登山者が本当に霞沢岳へ向かったのかどうかは不明だ。

 まず、この時期は霞沢岳への登山ベースとなる徳本峠小屋は、既に冬期休業に入っており宿泊は出来ない。霞沢岳は77歳という年齢の人が、が上高地から日帰り出来るほど簡単な山ではない。夏季でさえ大概の人は徳本峠小屋へ泊まり、霞沢岳を往復して下山する。

 12日夜から北アルプス周辺は真冬並みの寒気が降りてきて冬型の気圧配置となり雪が降った。13日は終日雪。その後14日は若干回復したとは言え、ぽかぽか陽気とはほど遠く、14日夜から15日昼にかけて高い山では再び雪となった。果たして、そんな天候の中77歳男性がろくな装備も無しに深い山に入るものなのだろうか?未だに消息が不明と言うことは、その登山者は既に2日間厳寒の山中で過ごしていることになる。

 15日午後一時に島々派出所に集合して、僕ら4名の救助隊は島々谷へ捜索に入った。翌日には上高地側の明神からと、八右衛門沢からも捜索隊がはいる予定だ。ようやく雨は上がっていたが、沢沿いの道は暗く寒い。降り積もった落ち葉を踏みしめながら、僕らは岩魚止小屋を目指した。辺りを見回しても、それらしき姿は一向に見あたらない。遭難者は携帯電話で連絡したと言うことだから、おそらくそれは上高地側である。島々谷では携帯電話は通じない。だから、この谷に居る確率は非常に小さいのだが、僕ら救助隊は全ての可能性を潰していかなければならないわけだ。

 岩魚止め小屋前にテント泊して、16日早朝に徳本峠を目指す。快晴。標高を上げていくと広葉樹はすっかりその葉を落とし、雪が現れた。徳本峠付近では、25センチ程の積雪があった。雪に残る踏み跡は全く見あたらない。遭難者はここへ来ていないのか、はたまた、その後降った雪が踏み跡を全て埋めつくしてしまったのか?

 全く手がかりも手応えもないまま、上高地から捜索してきた明神班(2名)と合流して霞沢岳方面へ捜索に入った。行けども行けども、本人どころか踏み跡らしいものさえ全く見つからない。午前9時からは県警のヘリコプターによる捜索も行われた。快晴だから、ヘリ捜索にとって森林限界を超えたところの捜索にはもってこいの天候だったが、発見には至らず岳沢や西穂方面も捜索をしたのち帰って行った。あとは地上班が、森の中を丹念に探すしかない。

 ジャンクションピークを越えたあたりで、1カ所だけ踏み跡らしいものを発見する。これは明らかに踏み跡である。捜索隊はにわかに色めきだった。周辺に続く踏み跡を丹念に探した。しかし発見には至らず。その後この踏み跡は14日に入った上高地美化財団の職員のものであることが判明した。その職員によると、明神から徳本峠までの間に往復した踏み跡があったものの、その先には踏み跡らしいものは全くなかったとの事である。断片的に入る情報をつなぎ合わせて見るが、目撃報告も乏しく登山届けもない状態では、この山域にいるという確証が全く持てない。僕らはただただラッセルし霞沢岳を目指した。

登山者の踏み跡、おそらく遭難者のものではない。

 ジャンクションピークを越えP2に至るが、八右衛門班(4名)が既に霞沢岳に到達し徳本峠までの登山道を捜索するということで、島々班と明神班は引き返すことにした。午後1時半のことだ。そろそろ下山しないと真っ暗になってしまう。美化財団職員が踏み跡を見た徳本峠から明神間を明るいうちに捜索しながら下山した。上高地臨時派出所到着は午後5時前だった。今日も冷え込みが激しく、道の水たまりは終日融ける事は無かったようだ。なんの手がかりもないまま二日間が過ぎてしまったのだ。

 最近は高齢者の単独登山者をよく見かける。それは夏だけではなくて、こんな初冬の北アルプスでもだ。インターネットであらゆるシーズンの登山情報が手に入る時代。自分にとって都合のいい情報のみを登山者はつなぎ合わせ、下調べは完了したと多くの単独登山者は思っているのだろう。77歳という年齢からすれば、ツアー登山でも彼が参加する為の椅子は殆ど無いのかも知れない。未完成のまま野に放たれた高齢登山者は、肉体は衰えても、その精神力は衰えず、むしろその年齢がもたらす切迫感からかその意志の力は頑なになり、結果的に彼らをひとり山に向かわせる。そこにあるのは何か生きている手応えを感じたくての事なのかも知れない。やり残した何かを自分にはやり遂げられると確信しているのかも知れない。しかしそこには大きな落とし穴がある。それは単独と言う事であり、そんな日頃の登山に同行し、それを客観的に評価してくれる人が周りに誰もいないのだから、彼ら高齢単独登山者はどうしても独善的になりがちだ。実はそこには1ミリの余裕も無いのに、自分は大丈夫だと確信しているのだ。そして自分自身を過大に評価し、無謀な登山に自分自身を向かわせる。

この山域にはここ十年の間だけでも数人の行方不明者がいる。僕の記憶が間違いなければ、そのほとんどが中高年の単独登山者だ。僕らは何度もその捜索に入っている。今年の8月には蝶ヶ岳で単独の女性が行方不明となったばかりだ。これは奇跡的に発見されたが、既に死亡していた。山で居なくなってしまった人を見つけると言うことは、実に大変な事だ。間違えそうなところを全て当たっても、あらゆる獣道を探ってもそこには遭難者は居ない。遭難者と言うものは、あたかも神隠しにでもあったかのように忽然と姿を消すのだ。まともな人間が考え得る場所になんか彼らは居なくて、後日それはとんでもないところで発見される。なんで?どうしてこんな状況で?理解をこえた現場がそこにはある。今回の遭難、気の毒な気もするのだが。なんで?という疑問が頭から離れない。

 こうした単独登山者はおそらくその出発以前に既に遭難しているのだ。自分への評価を誤り過信し、いろんな危険を知らせるサインを見落として遭難に至る。戒めとしたい。