私の足あと〜教えるの始まり
の続き。。
初めての生徒さんのお宅にお邪魔した時に、あまりの豪邸に驚いた、、ということも、ともかく、
ある有名な方のお子様で、そのご自宅にはたくさんの方が出入りしている、という事実に、アワアワ・・・と
なりながらも、とても楽しくレッスンできたことを覚えています。
そして、レッスンを重ねていく中で思い出した子供の頃の記憶。
小さな頃にした、ごっこ遊び。
友達と遊んでる中で、私は張り切って「先生ごっこ」を提案したのだけど、誰も乗ってきてくれない。
私にとっては、楽しい「遊び」と思っていたけど、何が面白いの??という雰囲気に一瞬でなったのは、気まずかった。。
それからは、密かに1人でやっていた笑。
あ〜・・そうなんだ、、私、教えたりするの、好きだったのかぁ。
ってこと。
そこからは、不思議なもので、どんどんいろいろなことが思いついていく。
数年先を見越して、その子のためのオリジナルなレッスンの中身を組み立てるのも楽しかった。
私は、そのご自宅に出入りする大勢の大人が目の前にいる「仕事場」で、レッスンをして、
先生と呼ばれるのも気恥ずかしく。。
でも、今考えれば、教えた経験がない私のやり方を、同じ空間にピアノを置いていることで、
レッスン中もご両親にじっと観察されていた、ということになる。
なるほど、、先生としての力量をさぐられていた?のかも。
そのあと、それもまた不思議だが、ご紹介やら、音楽教室の講師の誘いやらが、なぜかその年に重なり、
結局、私は会社を辞めることになり、いつの間にやら、先生業だけになったのでした。
その、1人目の生徒さんのお母さんは、生徒さんが大学生になられた年に連絡をくださった。
(中学生になった時に、素地となったピアノを生かして、別の楽器を習いたいと
移行されたので、そこでお別れし、大学生になられた時はその定期演奏会に招かれたのです。)
私は数年ぶりにお会いしたのだけど、自分のお教室を経営していることをお伝えしたら、
「やっぱり、私の目に狂いはなかった。
人を教えることに長けていると思っていたから嬉しい」と喜んでくださった。
思えば、その方のご自宅に出入りしていた皆様は、そのお母様を「先生」と呼んでいて
みなさん、そのお弟子さんだった。
技術を教える、人を育てるということに関して、お母様こそ、プロフェッショナルだったのだ。
そして、ただの営業だった私に、その素質を感じてくださって、娘さんを預けてくださった。
あの時に、声をかけてくれなかったら??
今でも考えることがある。
余談ですが、またその数年後??すっかり成熟し、素敵な大人の女性になられた生徒さんが
「徹子の部屋」に出ていて驚いた笑。
つづく・・・・