身の丈起業と堅実成長に向けて-2
会社員を辞めた私は、しばし快い解放感を味わったが次に来たのは
「実際にどうすればいいのか」
という不安だった。
考えてみれば、会社員での経験はそこそこあったが、夢ばかりが大きい。
そこでまず自分に欠けた経験、つまり経理、総務、営業管理業務の仕事の
感覚をつかむために3社の転職を重ねて正式に独立した。
31歳から35歳まで。
これが私の独立準備期間。
私の経験から言えば、若い時は、金よりも多様な経験を選ぶほうが絶対に
いい。
後に事業計画(ビジネスモデル)を考えるときに、すべての経験が実感と
共に生きてくるからだ。
こうして私ははじめての自分の事務所
・ビッツ企画開発研究所
を設立した。
名前はともかく、業種は印刷の営業。
周辺にも仕事は出てくるし、自分の経験や勘はこの業界なら利く。
時は1991年、ちょうど日本のバブル経済が崩壊した年だった。
(その崩壊後も、2年ほどはバブル酔いの経済が続いていた)
幸運にも、印刷依頼やデジタル化へ向けた企画仕事が紹介でバラバラと入っ
てきた。
「さぁて、やるぞぉ」
● 解説
仕事には、受注仕事と見込みで生産する仕事の2種類がある。
前者はお客様から頼まれて行う仕事。印刷や建築がそうだ。
後者の代表は家庭電機製品の製造と販売、と考えればわかりやすい。
受注仕事は代金回収さえ安全なら、堅実な収入になる。
ただ、競争相手が多いので利幅が少ない。
見込み生産は、売れれば利益は大きいが、売れなければ在庫の山に囲まれて、
あっという間に倒産する。
もしあなたが当面何をするか、迷っているなら受注仕事はよい選択肢の一つ
である。
今、日本の電化製品は売れなくてもがいている。
しかも、一時的なものではなく構造的だから深刻なのだ。
会社員を辞めた私は、しばし快い解放感を味わったが次に来たのは
「実際にどうすればいいのか」
という不安だった。
考えてみれば、会社員での経験はそこそこあったが、夢ばかりが大きい。
そこでまず自分に欠けた経験、つまり経理、総務、営業管理業務の仕事の
感覚をつかむために3社の転職を重ねて正式に独立した。
31歳から35歳まで。
これが私の独立準備期間。
私の経験から言えば、若い時は、金よりも多様な経験を選ぶほうが絶対に
いい。
後に事業計画(ビジネスモデル)を考えるときに、すべての経験が実感と
共に生きてくるからだ。
こうして私ははじめての自分の事務所
・ビッツ企画開発研究所
を設立した。
名前はともかく、業種は印刷の営業。
周辺にも仕事は出てくるし、自分の経験や勘はこの業界なら利く。
時は1991年、ちょうど日本のバブル経済が崩壊した年だった。
(その崩壊後も、2年ほどはバブル酔いの経済が続いていた)
幸運にも、印刷依頼やデジタル化へ向けた企画仕事が紹介でバラバラと入っ
てきた。
「さぁて、やるぞぉ」
● 解説
仕事には、受注仕事と見込みで生産する仕事の2種類がある。
前者はお客様から頼まれて行う仕事。印刷や建築がそうだ。
後者の代表は家庭電機製品の製造と販売、と考えればわかりやすい。
受注仕事は代金回収さえ安全なら、堅実な収入になる。
ただ、競争相手が多いので利幅が少ない。
見込み生産は、売れれば利益は大きいが、売れなければ在庫の山に囲まれて、
あっという間に倒産する。
もしあなたが当面何をするか、迷っているなら受注仕事はよい選択肢の一つ
である。
今、日本の電化製品は売れなくてもがいている。
しかも、一時的なものではなく構造的だから深刻なのだ。