佐々木正美著、主婦の友社、2008年発行
親子関係を上手く築く事ができない母と子どもの些細なトラブルを取り上げ、その背景を解説、アドバイスする内容です。
すでに佐々木先生の本は10冊くらい読んでいますが、題名に惹かれて購入したこの本もやはり「うんうん」と頷けることばかりでした。
私は小児科医ですので、診療中にいろんな子どもに出会います。
兄弟間の葛藤でもがいている子どもと親、ちょっと多動系でどうしてよいのかわからないお母さん。
そんな方々に良きアドバイスとなる珠玉の言葉がこの本には満ちあふれています。
著者には「育てたように子は育つ」という別の本がありますが、この表現に尽きる内容です。
・かわいい子はかわいがられているからかわいい。
・愛らしい子は愛されているから愛らしい。
・お母さんが幸せでなければ子どもは幸せになれない。
などなど。
印象に残るフレーズを列記します。
・「親の前でいい子、外では問題の子」を追いかけていくと、その多くが成長して反社会的・非社会的になることがわかっています。社会に適応できなくなってしまう・・・犯罪に走ったり、不登校になったり、社会に出られず家に引きこもったりする子もいます。一番安心できるはずの家庭で安心できないために、家の外で荒れたり、問題を起こしたりしてしまうのです。
・人間は「絶対に保護してもらえる」と思うとのびのび行動ができるものです。成長して自分らしさを余すことなく発揮できます。
・親が自分の願いを叶えてくれていれば、今度は親の願いを叶えたいと思うものなのです。子どもに親の言うことを聞いて欲しいなら、先に親が子どもの言うことを聞けばよいのです。
・私の言う「過保護」は「待っててあげるよ」というメッセージを子どもに伝えることです。子どもをダメにするのは「過保護」ではなく「過干渉」なのです。
・母性というものは子どもを「ありのままでいい」と包み込む「承認」の愛情です。「保護」の気持ちと言いかえてもよいかもしれません。確かに社会的ルールを伝える「父性」的なものは必要ですが、それは十分な母性が与えられて初めて子どもの心に入っていくものです。
・男女は確かに平等です。しかし、同じではありません。戦後、私たち日本人は「個人の人権」と「男女の平等」を手に入れました。しかし、戦後60年を経るうちに「自分を大事にしよう」という健全な個人主義が「自分だけを大事にする」という利己主義に変わってしまったように思えるのです。男性も女性も、人間関係を犠牲にしながら自己実現を果たしてしまった。それは家族の人間関係でも同じです。
・子どもを「親の都合」に合わせようとしているうちは、その子は感情をコントロールできるようにならないのです。逆に、親が子どもに合わせていれば、必ず親の言うことを聞く子に育ちます。
・おふろは「洗い場」じゃなくて「親子のスキンシップの場」。
・人間は誰しも攻撃性を持っていますが、欲求不満が強いほど攻撃性も強くなります。
・子どもに要求することをやめ、子どもの要求を聞いてあげてください。
・乱暴された子の悲しみはその場限りの悲しみです。少しのフォローがあれば立ち直れます。でも乱暴してしまう子、友達を泣かせてしまう子はもっと悲しい。もしかしたら、生まれてからずっと悲しいのかもしれない。その心を癒さなければ、その子の乱暴はやみません。
・不幸な事件を起こす少年達には「他者と共感する力」が弱いという共通点があります。共感する力がないから他人の悲しみを感じることができないのです。だからいじめることができるし、他人の命を奪うこともできる。
「他者と共感する力」は幸福な人生を歩むための原点です。この力を最初に身につけるのは赤ちゃんの頃です。泣いたらあやしてもらい、一緒に喜んでもらう・・・そうやって親に共感してもらえた経験が「他者と共感する力」の土台になるのです。
・親自身が周囲に対して「こちらは迷惑をかけませんから、そちらもかけないでくださいね」という人間関係では、子どもは自立できません。「自立」とは「人に迷惑をかけないこと」ではなく「こっちも頼りますから、困ったときはいつでも頼ってください」という関係を作ることです。
・もともと幼稚園は4歳からの入園が一般的でした。集団に溶け込める年齢は本来そのくらいなのです。
・親の仕事は子どもの心を受け止めてあげること、子どものサポーターになることです。
・人は依存と反抗を繰り返しながら自立します。だから、お母さんへの依存や反抗が十分足りている子ほど早く自立するのです。けれど、十分に甘えられていない子はいつまでたっても依存したままです。依存が強い子というのは、依存経験が足りていない子に多い傾向があります。
・親は保護者です。教育者ではないのです。
・「仕事で疲れているんだから」という言葉を子どもに言ってはいけません。仕事で疲れているのは親の勝手なのです。
・育児の喜びは待つ喜びです。しかし、待つことはとても難しい。「こうすればいい」「ああすればいい」と助言したり鑑賞したりする方が親は楽なのです。でも、あれこれ言えば言うほど子どもは萎縮します。自信を失います。
・ADHDなどの発達障害は「発達の遅れ」や「心の病」などではありません。発達の様相の違いです。さまざまな発達の領域に凹凸があるのです。こういう子は「気が散りやすい」「集中できない」と言われますが、それは単に「大人が集中して欲しいと思っていることに集中していない」というだけのことです。
「甘やかしてはいけない」と厳しくしかったり「周囲と同じにできる子」にしようとすると、その子の人格を破壊します。「こうしちゃだめ」というのではなく「こうするのがいい」と具体的に教え、できるまで手伝ってあげてください。何度も穏やかに言うのです。ゆっくり待ってもらう時間がこの子には必要です。
こういうこの教え方には多少のコツがあります。「皆さん」と全体に向かって何かを言っているときには聞こえませんが、「○○くん」と名指しで言われると聞くことができるようです。あと、後ろの咳ではなく先生の斜め前あたりの席に座るといいようです。真正面より斜め前が良いようです。
・兄弟があるときは上の子に一番手をかけてあげましょう。「お母さんは自分を大事にしてくれる」という自信が持てると、上の子は下の子に優しくなります。「私より妹を先にしてあげて」なんてね。自分に自信がない人間は、他人に優しくなんてできません。
・子どもに期待をかけることが親の愛情だとはき違えているお母さんが多いように感じます。しかし、子どもは過剰な期待を愛情だと感じる事なんてできません。過剰期待を「自分への否定」と捉えるのです。今の自分ではダメなんだ、愛してもらえないんだ、と。
・母親への信頼感はすべての原点です。他者への信頼感も、自分への信頼感も、母親を信じることからスタートするのです。
・「共感する力」(他者を思いやる気持ち、相手の痛みをわかる気持ち)は生後半年くらいまでに育つと言われています。人はまず「喜びを共有する力」を持たなくては「悲しみを共有する力も持てません。
学校で友達をいじめる子には他者の痛み、悲しみがわかりません。彼らは幼い頃、親と喜びを共有した経験が非常に少ない。だから悲しみも共有できないのです。しかられても説明されても人の悲しみは理解できません。誰かと喜びを共有して初めて思いやりの心が芽生えるのです。
・「社会のルールを守る気持ち」は生後6ヶ月から2歳頃までに育つと言われています。少年期になっても社会のルールを守れない子の多くは、赤ちゃん時代に「振り返ったときに誰もいなかった」という経験を積んできた子ばかりです。答えを求めたときに親はちっとも自分を見てくれなかった。にもかかわらず、親の都合で「これをしちゃダメ」「あれをしちゃダメ」「こうしなさい」を言われてきたのです。大事なことは、子どもが求めるときに見てあげることです。赤ちゃん気のしつけはそれに尽きると言っても過言ではありません。
・「自分を律する力」は幼児期前半(3歳頃まで)に身につきます。大切なのは親がこの時期を「待つ」とこです。わが子が何かをできるようになる、その一つ一つを親はただ見守りながら待つのです。厳しくしつければ、はた目には「いい子」が育つかもしれません。しかし、わが子を十分受け止める前に厳しいしつけに傾いてしまうと、最も大切な「母子の信頼関係」が損なわれることもまた事実なのです。
・・・信頼していない人から命令されても従えませんね。
・兄弟を同じに育てる必要はありません。親の愛情や手間、金銭的なものを「等分」に与えるのが良いとは思わないことです。こどもは皆それぞれ違う欲求を持っていますし、親をわずらわせる頻度も違うでしょう。親の手を、必要なときに必要な分だけ与えてあげることが「平等」なのです。
・兄弟が何人いても、どの子も一人っ子のように育てるのが良いと思います。こどもそれぞれの違いを比較するのではなく、その違いを十分に味わい楽しんでください。こどもとの一対一の時間も欠かせません。その子だけの要求を聞いてあげる「一人っ子の時間」がこどもには必要なんですね。
・「一人っ子だからワガママになるんじゃないか」とわざと厳しく育てようとされるか違いますが、それは大きな間違いです。もしそうなってしまった場合は、親がその子に集中する時間を持ててしまうあまり過干渉になってしまったのだと思います。余計なことを子どもに要求しすぎた結果、欲求不満になってワガママになったのだと思います。一人っ子の場合は過干渉にならないよう注意しましょう。上手に手をかけ、して欲しいことだけをなるべくするようにしてあげれば、その子らしさを発揮して伸び伸び成長できることと思います。
・「一人っ子だから早く集団生活を体験させたい」というのも間違いです。まずは親子の信頼関係をしっかり築き、次に親と一緒に他の子と交わり、その後で集団生活にはいるのがスムーズです。順番を間違えてはいけませんよ。特に「親と一緒に他の子と交わる」という部分は是非厚くしていただきたいですね。
・兄弟ゲンカで親がすべきことは「ちゃんと見守って」「口を出さず」「試合終了を宣言して」「気分転換をさせる」ことに尽きます。
兄弟ゲンカは「スポーツ」です。いいも悪いもない。強い方が勝つし、何度負けてもまたやりたがりますよね。親が下手に価値判断すると必要以上にこじれるだけです。親の役目は「ノーサイド」と試合終了を告げるだけ。介入も仲裁も無用です。親が怒ったり、善悪を判断したりすると、親の愛情を求めて「恨み」になってしまいます。片方が片方に「謝れ」というなら、「ママが代わりに謝るからね」と言ってあげれば良いんです。
お兄ちゃんだって手加減しています。偉いもんです。
「泣いてもからかう」のはゲームセット後の攻撃ですから、親が「もうお終いよ」と言えばいい。それでもやめないなら、しかりつけるのではなく気分転換できる何かを与えればよいのです。
・上の子が下の子に意地悪する、優しくできないなんて良くあることです。上の子が下の子を思いやれないのはどうしようもない理由があるのです。まず上の子をたっぷり思いやってあげてください。
お母さん自身が「公平にしている」と思っていても、上の子に見えている世界はまた違うのかもしれません。上の子を優先させてあげることも必要です。なんでも「まずお姉ちゃんね」と優先してあげると、上の子は「弟が先でいいよ」と言うようになりますよ。上の子を重視しているように見せかけて、実は下の子にやってあげているという育児テクニックです。
・「兄が弟を叩いていじめると、私が弟宇野代わりにやり返して叩き返してしまう・・・」
乱暴は満たされない心の表れです。たたき返し、蹴り返しても、乱暴に拍車がかかるだけです。叩かない子にしたければ、まず親が我慢しなくてはいけません。もし叩いてしまったときには、お子さんに向かって「怒りすぎてごめん」と謝り次からは本当に我慢してください。
幼稚園や保育園でも、乱暴な子や意地悪な子は何か心に傷を抱えていて屈折していることが多いのです。その欲求不満が乱暴な行動を生むのです。しかればしかるほど、あなたが悪いと言われれば言われるほど、欲求不満は大きくなるばかりです。
そして、お母さんが夫との関係でくつろぐことができないと、子供に厳しく当たってしまう傾向があるようです。
・「上の子を可愛いと思えない・・・」
かわいがれば、かわいい子になりますよ。お母さんにかわいがられると、上の子は下の子をかわいがるようになります。
逆に「かわいい子になって」と願いすぎるとかわいくない子になるのです。求められすぎて上の子の中にたまった欲求不満は「退行(赤ちゃん返り)」や「攻撃性」という形で表に現れてきます。
・どんな人の心の中にも善意と悪意があるものです。自分にだって悪意がある。それでもなお、人の「善意の部分」をちゃんと信じられる人、そして自分の善意を発揮できる人に育てるのです。
皆さん、わが子を信じることができますか?
わが子を信じられなくなると、親は口うるさくなりますね。ガミガミ言ってコントロールしたくなります。
親ですから「こうなって欲しいよね」と思う気持ちは当然ありますが、「でも、そうならなくてもいいよね」というスタンスも必要です。そういう視点があるだけで、子どもは安心して大きくなれるのです。
・罪を犯した少年達がいる少年院で親のことを聞くと「親の世間体やプライドを常に優先させて、自分の立場を考えてくれなかった。」と皆同じことを言います。
守るべきは子どもの自尊心であり、親の対面ではありません。自分を大切に思うことができれば、他人のことも大切にします。悪いことはできなくなります。
・人間関係は相互依存関係です。私たちは皆、人間関係の中でしか幸福になることはできません。自分のことしか大切にできない人は、みな孤独になってしまい、いつしか心を病んでいきます。他者を大切にできない人は、自分の人生をも無為なものにしているのです。
子どもを育て、子どもを幸せにすることでお母さん自身が幸せになっていくのです。夫を大切にすることで、夫からも大切にされるのです。親をいたわることで、子どもからもいたわられるのです。
・人をありのまま受け入れるためには、自分がまず受け入れてもらう必要があります。自分自身が受け入れてもらえてないから、子どものことも受け入れられない、幸せになれないのです。母親が幸せでなければ子どもも幸せになれません。
・「何やってるの」「早くしなさい」と始終怒られている子には、自制心や自尊心が育つ暇がありません。けなされ続けた子は自尊心が育ちませんから、自分の行動に自信を持つことができないのです。「待てない親」「イライラしやすい親」に育てられた子は、自制心や自立心が育ちにくい傾向があります。
・元気になるための一番の近道は、わが子の幸せそうな笑顔を観ることです。そしてその笑顔をつくれるのはお母さんしかいないんです。
・子どもが素直に「ごめんなさい」を言えないとすれば、その責任は親にあります。
・ADHDや学習障害、高機能自閉症(アスペルガー症候群)などの発達障害の子を持つ親たちは、非常に大きな葛藤を抱えています。「どうすれば『普通の子』になれますか?」「普通学級でトライさせてみたいのです」という訴えを聞くと、子どものためではなく、親が希望を持ちたいがためなのだと痛感します。しかし、それが障害児の親なのです。そこを乗り越え、受け入れるために、彼らは何年も何年も葛藤するのです。
「その子をありのまま受け入れてあげてください」という話を親にすると、目頭を押さえる方がたくさんいらっしゃる。障害をうけいれられない、認められない、そんな人はたくさんいるのです。そのつらさや苦しさを周囲の親たちも理解してあげられるといいですね。
・育児に非協力的な夫に関して;
愛情とは本来、相手を幸福にできることを自分の喜びとする気持ちです。
大人になったときに、本当の意味で人を愛せる人というのは、幼い頃にたっぷり受容されてきたのです。結婚して妻を支えようという気持ちが持てない夫は、両親に本当の意味で愛されてこなかった人でしょうね。自分が思いやられること無しに、誰かを思いやることはできないのです。
自己愛を求める幼児性のある夫を持った妻は、子どもがもう一人いると考える覚悟が必要かもしれません。
親子関係を上手く築く事ができない母と子どもの些細なトラブルを取り上げ、その背景を解説、アドバイスする内容です。
すでに佐々木先生の本は10冊くらい読んでいますが、題名に惹かれて購入したこの本もやはり「うんうん」と頷けることばかりでした。
私は小児科医ですので、診療中にいろんな子どもに出会います。
兄弟間の葛藤でもがいている子どもと親、ちょっと多動系でどうしてよいのかわからないお母さん。
そんな方々に良きアドバイスとなる珠玉の言葉がこの本には満ちあふれています。
著者には「育てたように子は育つ」という別の本がありますが、この表現に尽きる内容です。
・かわいい子はかわいがられているからかわいい。
・愛らしい子は愛されているから愛らしい。
・お母さんが幸せでなければ子どもは幸せになれない。
などなど。
印象に残るフレーズを列記します。
・「親の前でいい子、外では問題の子」を追いかけていくと、その多くが成長して反社会的・非社会的になることがわかっています。社会に適応できなくなってしまう・・・犯罪に走ったり、不登校になったり、社会に出られず家に引きこもったりする子もいます。一番安心できるはずの家庭で安心できないために、家の外で荒れたり、問題を起こしたりしてしまうのです。
・人間は「絶対に保護してもらえる」と思うとのびのび行動ができるものです。成長して自分らしさを余すことなく発揮できます。
・親が自分の願いを叶えてくれていれば、今度は親の願いを叶えたいと思うものなのです。子どもに親の言うことを聞いて欲しいなら、先に親が子どもの言うことを聞けばよいのです。
・私の言う「過保護」は「待っててあげるよ」というメッセージを子どもに伝えることです。子どもをダメにするのは「過保護」ではなく「過干渉」なのです。
・母性というものは子どもを「ありのままでいい」と包み込む「承認」の愛情です。「保護」の気持ちと言いかえてもよいかもしれません。確かに社会的ルールを伝える「父性」的なものは必要ですが、それは十分な母性が与えられて初めて子どもの心に入っていくものです。
・男女は確かに平等です。しかし、同じではありません。戦後、私たち日本人は「個人の人権」と「男女の平等」を手に入れました。しかし、戦後60年を経るうちに「自分を大事にしよう」という健全な個人主義が「自分だけを大事にする」という利己主義に変わってしまったように思えるのです。男性も女性も、人間関係を犠牲にしながら自己実現を果たしてしまった。それは家族の人間関係でも同じです。
・子どもを「親の都合」に合わせようとしているうちは、その子は感情をコントロールできるようにならないのです。逆に、親が子どもに合わせていれば、必ず親の言うことを聞く子に育ちます。
・おふろは「洗い場」じゃなくて「親子のスキンシップの場」。
・人間は誰しも攻撃性を持っていますが、欲求不満が強いほど攻撃性も強くなります。
・子どもに要求することをやめ、子どもの要求を聞いてあげてください。
・乱暴された子の悲しみはその場限りの悲しみです。少しのフォローがあれば立ち直れます。でも乱暴してしまう子、友達を泣かせてしまう子はもっと悲しい。もしかしたら、生まれてからずっと悲しいのかもしれない。その心を癒さなければ、その子の乱暴はやみません。
・不幸な事件を起こす少年達には「他者と共感する力」が弱いという共通点があります。共感する力がないから他人の悲しみを感じることができないのです。だからいじめることができるし、他人の命を奪うこともできる。
「他者と共感する力」は幸福な人生を歩むための原点です。この力を最初に身につけるのは赤ちゃんの頃です。泣いたらあやしてもらい、一緒に喜んでもらう・・・そうやって親に共感してもらえた経験が「他者と共感する力」の土台になるのです。
・親自身が周囲に対して「こちらは迷惑をかけませんから、そちらもかけないでくださいね」という人間関係では、子どもは自立できません。「自立」とは「人に迷惑をかけないこと」ではなく「こっちも頼りますから、困ったときはいつでも頼ってください」という関係を作ることです。
・もともと幼稚園は4歳からの入園が一般的でした。集団に溶け込める年齢は本来そのくらいなのです。
・親の仕事は子どもの心を受け止めてあげること、子どものサポーターになることです。
・人は依存と反抗を繰り返しながら自立します。だから、お母さんへの依存や反抗が十分足りている子ほど早く自立するのです。けれど、十分に甘えられていない子はいつまでたっても依存したままです。依存が強い子というのは、依存経験が足りていない子に多い傾向があります。
・親は保護者です。教育者ではないのです。
・「仕事で疲れているんだから」という言葉を子どもに言ってはいけません。仕事で疲れているのは親の勝手なのです。
・育児の喜びは待つ喜びです。しかし、待つことはとても難しい。「こうすればいい」「ああすればいい」と助言したり鑑賞したりする方が親は楽なのです。でも、あれこれ言えば言うほど子どもは萎縮します。自信を失います。
・ADHDなどの発達障害は「発達の遅れ」や「心の病」などではありません。発達の様相の違いです。さまざまな発達の領域に凹凸があるのです。こういう子は「気が散りやすい」「集中できない」と言われますが、それは単に「大人が集中して欲しいと思っていることに集中していない」というだけのことです。
「甘やかしてはいけない」と厳しくしかったり「周囲と同じにできる子」にしようとすると、その子の人格を破壊します。「こうしちゃだめ」というのではなく「こうするのがいい」と具体的に教え、できるまで手伝ってあげてください。何度も穏やかに言うのです。ゆっくり待ってもらう時間がこの子には必要です。
こういうこの教え方には多少のコツがあります。「皆さん」と全体に向かって何かを言っているときには聞こえませんが、「○○くん」と名指しで言われると聞くことができるようです。あと、後ろの咳ではなく先生の斜め前あたりの席に座るといいようです。真正面より斜め前が良いようです。
・兄弟があるときは上の子に一番手をかけてあげましょう。「お母さんは自分を大事にしてくれる」という自信が持てると、上の子は下の子に優しくなります。「私より妹を先にしてあげて」なんてね。自分に自信がない人間は、他人に優しくなんてできません。
・子どもに期待をかけることが親の愛情だとはき違えているお母さんが多いように感じます。しかし、子どもは過剰な期待を愛情だと感じる事なんてできません。過剰期待を「自分への否定」と捉えるのです。今の自分ではダメなんだ、愛してもらえないんだ、と。
・母親への信頼感はすべての原点です。他者への信頼感も、自分への信頼感も、母親を信じることからスタートするのです。
・「共感する力」(他者を思いやる気持ち、相手の痛みをわかる気持ち)は生後半年くらいまでに育つと言われています。人はまず「喜びを共有する力」を持たなくては「悲しみを共有する力も持てません。
学校で友達をいじめる子には他者の痛み、悲しみがわかりません。彼らは幼い頃、親と喜びを共有した経験が非常に少ない。だから悲しみも共有できないのです。しかられても説明されても人の悲しみは理解できません。誰かと喜びを共有して初めて思いやりの心が芽生えるのです。
・「社会のルールを守る気持ち」は生後6ヶ月から2歳頃までに育つと言われています。少年期になっても社会のルールを守れない子の多くは、赤ちゃん時代に「振り返ったときに誰もいなかった」という経験を積んできた子ばかりです。答えを求めたときに親はちっとも自分を見てくれなかった。にもかかわらず、親の都合で「これをしちゃダメ」「あれをしちゃダメ」「こうしなさい」を言われてきたのです。大事なことは、子どもが求めるときに見てあげることです。赤ちゃん気のしつけはそれに尽きると言っても過言ではありません。
・「自分を律する力」は幼児期前半(3歳頃まで)に身につきます。大切なのは親がこの時期を「待つ」とこです。わが子が何かをできるようになる、その一つ一つを親はただ見守りながら待つのです。厳しくしつければ、はた目には「いい子」が育つかもしれません。しかし、わが子を十分受け止める前に厳しいしつけに傾いてしまうと、最も大切な「母子の信頼関係」が損なわれることもまた事実なのです。
・・・信頼していない人から命令されても従えませんね。
・兄弟を同じに育てる必要はありません。親の愛情や手間、金銭的なものを「等分」に与えるのが良いとは思わないことです。こどもは皆それぞれ違う欲求を持っていますし、親をわずらわせる頻度も違うでしょう。親の手を、必要なときに必要な分だけ与えてあげることが「平等」なのです。
・兄弟が何人いても、どの子も一人っ子のように育てるのが良いと思います。こどもそれぞれの違いを比較するのではなく、その違いを十分に味わい楽しんでください。こどもとの一対一の時間も欠かせません。その子だけの要求を聞いてあげる「一人っ子の時間」がこどもには必要なんですね。
・「一人っ子だからワガママになるんじゃないか」とわざと厳しく育てようとされるか違いますが、それは大きな間違いです。もしそうなってしまった場合は、親がその子に集中する時間を持ててしまうあまり過干渉になってしまったのだと思います。余計なことを子どもに要求しすぎた結果、欲求不満になってワガママになったのだと思います。一人っ子の場合は過干渉にならないよう注意しましょう。上手に手をかけ、して欲しいことだけをなるべくするようにしてあげれば、その子らしさを発揮して伸び伸び成長できることと思います。
・「一人っ子だから早く集団生活を体験させたい」というのも間違いです。まずは親子の信頼関係をしっかり築き、次に親と一緒に他の子と交わり、その後で集団生活にはいるのがスムーズです。順番を間違えてはいけませんよ。特に「親と一緒に他の子と交わる」という部分は是非厚くしていただきたいですね。
・兄弟ゲンカで親がすべきことは「ちゃんと見守って」「口を出さず」「試合終了を宣言して」「気分転換をさせる」ことに尽きます。
兄弟ゲンカは「スポーツ」です。いいも悪いもない。強い方が勝つし、何度負けてもまたやりたがりますよね。親が下手に価値判断すると必要以上にこじれるだけです。親の役目は「ノーサイド」と試合終了を告げるだけ。介入も仲裁も無用です。親が怒ったり、善悪を判断したりすると、親の愛情を求めて「恨み」になってしまいます。片方が片方に「謝れ」というなら、「ママが代わりに謝るからね」と言ってあげれば良いんです。
お兄ちゃんだって手加減しています。偉いもんです。
「泣いてもからかう」のはゲームセット後の攻撃ですから、親が「もうお終いよ」と言えばいい。それでもやめないなら、しかりつけるのではなく気分転換できる何かを与えればよいのです。
・上の子が下の子に意地悪する、優しくできないなんて良くあることです。上の子が下の子を思いやれないのはどうしようもない理由があるのです。まず上の子をたっぷり思いやってあげてください。
お母さん自身が「公平にしている」と思っていても、上の子に見えている世界はまた違うのかもしれません。上の子を優先させてあげることも必要です。なんでも「まずお姉ちゃんね」と優先してあげると、上の子は「弟が先でいいよ」と言うようになりますよ。上の子を重視しているように見せかけて、実は下の子にやってあげているという育児テクニックです。
・「兄が弟を叩いていじめると、私が弟宇野代わりにやり返して叩き返してしまう・・・」
乱暴は満たされない心の表れです。たたき返し、蹴り返しても、乱暴に拍車がかかるだけです。叩かない子にしたければ、まず親が我慢しなくてはいけません。もし叩いてしまったときには、お子さんに向かって「怒りすぎてごめん」と謝り次からは本当に我慢してください。
幼稚園や保育園でも、乱暴な子や意地悪な子は何か心に傷を抱えていて屈折していることが多いのです。その欲求不満が乱暴な行動を生むのです。しかればしかるほど、あなたが悪いと言われれば言われるほど、欲求不満は大きくなるばかりです。
そして、お母さんが夫との関係でくつろぐことができないと、子供に厳しく当たってしまう傾向があるようです。
・「上の子を可愛いと思えない・・・」
かわいがれば、かわいい子になりますよ。お母さんにかわいがられると、上の子は下の子をかわいがるようになります。
逆に「かわいい子になって」と願いすぎるとかわいくない子になるのです。求められすぎて上の子の中にたまった欲求不満は「退行(赤ちゃん返り)」や「攻撃性」という形で表に現れてきます。
・どんな人の心の中にも善意と悪意があるものです。自分にだって悪意がある。それでもなお、人の「善意の部分」をちゃんと信じられる人、そして自分の善意を発揮できる人に育てるのです。
皆さん、わが子を信じることができますか?
わが子を信じられなくなると、親は口うるさくなりますね。ガミガミ言ってコントロールしたくなります。
親ですから「こうなって欲しいよね」と思う気持ちは当然ありますが、「でも、そうならなくてもいいよね」というスタンスも必要です。そういう視点があるだけで、子どもは安心して大きくなれるのです。
・罪を犯した少年達がいる少年院で親のことを聞くと「親の世間体やプライドを常に優先させて、自分の立場を考えてくれなかった。」と皆同じことを言います。
守るべきは子どもの自尊心であり、親の対面ではありません。自分を大切に思うことができれば、他人のことも大切にします。悪いことはできなくなります。
・人間関係は相互依存関係です。私たちは皆、人間関係の中でしか幸福になることはできません。自分のことしか大切にできない人は、みな孤独になってしまい、いつしか心を病んでいきます。他者を大切にできない人は、自分の人生をも無為なものにしているのです。
子どもを育て、子どもを幸せにすることでお母さん自身が幸せになっていくのです。夫を大切にすることで、夫からも大切にされるのです。親をいたわることで、子どもからもいたわられるのです。
・人をありのまま受け入れるためには、自分がまず受け入れてもらう必要があります。自分自身が受け入れてもらえてないから、子どものことも受け入れられない、幸せになれないのです。母親が幸せでなければ子どもも幸せになれません。
・「何やってるの」「早くしなさい」と始終怒られている子には、自制心や自尊心が育つ暇がありません。けなされ続けた子は自尊心が育ちませんから、自分の行動に自信を持つことができないのです。「待てない親」「イライラしやすい親」に育てられた子は、自制心や自立心が育ちにくい傾向があります。
・元気になるための一番の近道は、わが子の幸せそうな笑顔を観ることです。そしてその笑顔をつくれるのはお母さんしかいないんです。
・子どもが素直に「ごめんなさい」を言えないとすれば、その責任は親にあります。
・ADHDや学習障害、高機能自閉症(アスペルガー症候群)などの発達障害の子を持つ親たちは、非常に大きな葛藤を抱えています。「どうすれば『普通の子』になれますか?」「普通学級でトライさせてみたいのです」という訴えを聞くと、子どものためではなく、親が希望を持ちたいがためなのだと痛感します。しかし、それが障害児の親なのです。そこを乗り越え、受け入れるために、彼らは何年も何年も葛藤するのです。
「その子をありのまま受け入れてあげてください」という話を親にすると、目頭を押さえる方がたくさんいらっしゃる。障害をうけいれられない、認められない、そんな人はたくさんいるのです。そのつらさや苦しさを周囲の親たちも理解してあげられるといいですね。
・育児に非協力的な夫に関して;
愛情とは本来、相手を幸福にできることを自分の喜びとする気持ちです。
大人になったときに、本当の意味で人を愛せる人というのは、幼い頃にたっぷり受容されてきたのです。結婚して妻を支えようという気持ちが持てない夫は、両親に本当の意味で愛されてこなかった人でしょうね。自分が思いやられること無しに、誰かを思いやることはできないのです。
自己愛を求める幼児性のある夫を持った妻は、子どもがもう一人いると考える覚悟が必要かもしれません。