大学の時に書いたエッセイ。大したものではないが、私の初期のエッセイ。同級生の文芸部主将の友達には、ありふれてるとボロクソに言われたが、私の意図は、彼女の存在を何とかして書き残しておきたかった、ということなので、私にとっては無価値ではない。活字になって、文集にのった。26ページの小冊子だが、今でも持っている。大学の文芸部の部室には、まだあるかもしれない。「安具院ミユキ」は実名である。彼女は印象が強く、ホームページの小説、「安謝」の安謝や、「愛子と純」の愛子などは、彼女がモデルである。
安具院ミユキ
私は小学校二年から三年にかけての一時期を神奈川県××町にある寄宿舎つきの小さな分校で過ごした。南には相模湾があり、北には東海道の松並木が見えた。静かで温かく快適な環境であった。
あの頃の事は今となっては全て懐かしい思い出となっている。なかでも、夏の日差しや潮騒や松林の間を抜ける風の音などが印象に残っている。
彼女は名前を安具院ミユキと言った。兵庫県の明石から来ていた。私と同級生で安具院はそこで女番長的な存在だった。アグインは鼻っ柱が強かった。男に従うという事を知らず、男に対して挑戦的だった。
だが、彼女は多くの男に好かれていた。彼女は活発で明るく、そしてかわいかった。何人かの男は彼女の子分となり彼女を女王様のように慕った。アグインもまた、彼らを女王がナイト達を愛するように愛した。
その頃、テレビでチャンネル争いが起きた。両方とも同じ時間帯に放送されていた。男は仮面ライダーを見たかったが、女は、何だったか忘れたが、女の子向けのアニメを見たがった。結局、アグインの主張で、以前、男に別の貸しがあるのだからという事で、女の子向けのアニメに決まってしまった。
口惜しかった。仮面ライダーが見れない事もだが、アグインの意見に従わなくてはならなかった事がもっと口惜しかった。
男と女は対等じゃない。女は男に従うものだ。女は黙って男の言う事を聞いてりゃいいんだと私は思った。
私はある時、アグインと喧嘩した。その時はそれでおわりだと思っていた。だが、後になってアグインの子分達によってコテンパンにのされた。
私はこんな事が繰り返されたんじゃ身が持たないと思った。
私は嫌々、謝りに行った。口惜しかった。私は女に頭を下げる事ほど口惜しい事はなかった。それに私は悪くはなかった。悪いのはアグインの方だったのに。それで、私は口惜しさを紛らわすために目立たない所に「アグインのバカ」と書いた。そしたら、それが見つかってしまい、筆跡から私の仕業だとわかってしまい、またしてもアグインにいじめられた。
アグインはよく彼女に従う男達を集めて女王様ごっこをして遊んでいた。私はそれを見ると腹が立った。アグインもアグインだが男達も男達だ。男は女に従うものじゃない。
だが今、思うと子供らしい無邪気さを感じる。子供は本心を隠す事がない。だから遊びなどには子供の本性が現れてしまう。
アグインは根っから女王様的な女だったのだ。こんな男勝りな女の子は滅多にいない。普通、女の子はもっと控え目なものだ。
だが、アグインにはもう一面、とても女の子らしい所があった。
彼女はよく少女マンガを読んでいた。そして少女マンガに出てくるような素敵な王子様に出会って恋する事を夢見ていた。
また、こんな事もあった。
ある時、彼女は「口づけ」とかいう題のレコードを持って来て、かけてもらっていた。それが寮中を流れて何度か私もその歌を聞いた。今でもそのメロディーと歌詞は覚えている。私は「口づけ」という言葉の意味がわからなかった。それで多分、それは福神漬けの一種だろうと思っていた。たそがれ時の福神漬けが何でロマンチックなのかわからなかった。後になってそれが、kissである事を知って彼女の早熟さに驚いた。もっとも、彼女も「口づけ」の意味が何かわかっていたか、どうかはわからないが。
また、こんな事もあった。ある時、学校で私はノートにネコの絵を私のトレードマークとして書いていた。それをアグインが見て可愛いと言って喜んだ。そして彼女も自分のノートに自分のトレードマークのネコを書き出した。
私はアグインとの付き合いで、その時が一番、嬉しかった。女の子は素直なのが一番いい。
アグインは病気を患っていた。それは喘息だった。喘息発作は時々アグインにあらわれてはアグインを苦しめた。
アグインに限らず発作が起こっている時の喘息児は本当にかわいそうである。寝ることも横になる事も出来ず、ベッドの上で船漕ぎ運動をしながら喘ぎ苦しむのである。
発作が起こっている時のアグインは見ていて本当にかわいそうだった。
だが発作が治まれば、またいつもの彼女にもどり、顔から笑いが絶える事はなかった。
だがしばらくして彼女の病気はひどく悪化した。彼女の父親が迎えに来て彼女を明石に連れて帰った。
それからしばらくして彼女が死んだという知らせを聞いた。
最期は大変な苦しみようであったそうだ。
やがて私も小学三年のおわりにそこの施設を出た。
そして10年以上の歳月が過ぎた。
私は今、大学三年である。
最近、なぜだか妙にアグインを懐かしむ気持ちが起こる。
そして彼女の人生は一体、何だったんだろうという疑問が起こってきた。
恋も知らず、結婚、家庭、という女の幸福を経験することなくアグインは死んでいった。
彼女は一体、何のためにこの世に生まれてきたのだろう。
私にはわからない。
だが彼女は病気を背負いながらも精一杯生きた。
短くはあったが美しく完結した人生だった。
二年前の夏、いとこの小学五年の女の子が家に来た。
目がパッチリしていてかわいかった。
その時は気づかなかったが、今、考えてみると顔も性格もアグインに似ている所があった。
テレビである女優を見た。何故かアグインが思い出された。
アグインは死んでもうこの世にいない。
しかし私は彼女の死が実感できない。
彼女の生命の燈は消えていないような気がする。
彼女と同じ心を持った女の子の心の中で。
安具院ミユキ
私は小学校二年から三年にかけての一時期を神奈川県××町にある寄宿舎つきの小さな分校で過ごした。南には相模湾があり、北には東海道の松並木が見えた。静かで温かく快適な環境であった。
あの頃の事は今となっては全て懐かしい思い出となっている。なかでも、夏の日差しや潮騒や松林の間を抜ける風の音などが印象に残っている。
彼女は名前を安具院ミユキと言った。兵庫県の明石から来ていた。私と同級生で安具院はそこで女番長的な存在だった。アグインは鼻っ柱が強かった。男に従うという事を知らず、男に対して挑戦的だった。
だが、彼女は多くの男に好かれていた。彼女は活発で明るく、そしてかわいかった。何人かの男は彼女の子分となり彼女を女王様のように慕った。アグインもまた、彼らを女王がナイト達を愛するように愛した。
その頃、テレビでチャンネル争いが起きた。両方とも同じ時間帯に放送されていた。男は仮面ライダーを見たかったが、女は、何だったか忘れたが、女の子向けのアニメを見たがった。結局、アグインの主張で、以前、男に別の貸しがあるのだからという事で、女の子向けのアニメに決まってしまった。
口惜しかった。仮面ライダーが見れない事もだが、アグインの意見に従わなくてはならなかった事がもっと口惜しかった。
男と女は対等じゃない。女は男に従うものだ。女は黙って男の言う事を聞いてりゃいいんだと私は思った。
私はある時、アグインと喧嘩した。その時はそれでおわりだと思っていた。だが、後になってアグインの子分達によってコテンパンにのされた。
私はこんな事が繰り返されたんじゃ身が持たないと思った。
私は嫌々、謝りに行った。口惜しかった。私は女に頭を下げる事ほど口惜しい事はなかった。それに私は悪くはなかった。悪いのはアグインの方だったのに。それで、私は口惜しさを紛らわすために目立たない所に「アグインのバカ」と書いた。そしたら、それが見つかってしまい、筆跡から私の仕業だとわかってしまい、またしてもアグインにいじめられた。
アグインはよく彼女に従う男達を集めて女王様ごっこをして遊んでいた。私はそれを見ると腹が立った。アグインもアグインだが男達も男達だ。男は女に従うものじゃない。
だが今、思うと子供らしい無邪気さを感じる。子供は本心を隠す事がない。だから遊びなどには子供の本性が現れてしまう。
アグインは根っから女王様的な女だったのだ。こんな男勝りな女の子は滅多にいない。普通、女の子はもっと控え目なものだ。
だが、アグインにはもう一面、とても女の子らしい所があった。
彼女はよく少女マンガを読んでいた。そして少女マンガに出てくるような素敵な王子様に出会って恋する事を夢見ていた。
また、こんな事もあった。
ある時、彼女は「口づけ」とかいう題のレコードを持って来て、かけてもらっていた。それが寮中を流れて何度か私もその歌を聞いた。今でもそのメロディーと歌詞は覚えている。私は「口づけ」という言葉の意味がわからなかった。それで多分、それは福神漬けの一種だろうと思っていた。たそがれ時の福神漬けが何でロマンチックなのかわからなかった。後になってそれが、kissである事を知って彼女の早熟さに驚いた。もっとも、彼女も「口づけ」の意味が何かわかっていたか、どうかはわからないが。
また、こんな事もあった。ある時、学校で私はノートにネコの絵を私のトレードマークとして書いていた。それをアグインが見て可愛いと言って喜んだ。そして彼女も自分のノートに自分のトレードマークのネコを書き出した。
私はアグインとの付き合いで、その時が一番、嬉しかった。女の子は素直なのが一番いい。
アグインは病気を患っていた。それは喘息だった。喘息発作は時々アグインにあらわれてはアグインを苦しめた。
アグインに限らず発作が起こっている時の喘息児は本当にかわいそうである。寝ることも横になる事も出来ず、ベッドの上で船漕ぎ運動をしながら喘ぎ苦しむのである。
発作が起こっている時のアグインは見ていて本当にかわいそうだった。
だが発作が治まれば、またいつもの彼女にもどり、顔から笑いが絶える事はなかった。
だがしばらくして彼女の病気はひどく悪化した。彼女の父親が迎えに来て彼女を明石に連れて帰った。
それからしばらくして彼女が死んだという知らせを聞いた。
最期は大変な苦しみようであったそうだ。
やがて私も小学三年のおわりにそこの施設を出た。
そして10年以上の歳月が過ぎた。
私は今、大学三年である。
最近、なぜだか妙にアグインを懐かしむ気持ちが起こる。
そして彼女の人生は一体、何だったんだろうという疑問が起こってきた。
恋も知らず、結婚、家庭、という女の幸福を経験することなくアグインは死んでいった。
彼女は一体、何のためにこの世に生まれてきたのだろう。
私にはわからない。
だが彼女は病気を背負いながらも精一杯生きた。
短くはあったが美しく完結した人生だった。
二年前の夏、いとこの小学五年の女の子が家に来た。
目がパッチリしていてかわいかった。
その時は気づかなかったが、今、考えてみると顔も性格もアグインに似ている所があった。
テレビである女優を見た。何故かアグインが思い出された。
アグインは死んでもうこの世にいない。
しかし私は彼女の死が実感できない。
彼女の生命の燈は消えていないような気がする。
彼女と同じ心を持った女の子の心の中で。