小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

いじめられた時ほど勇気を示せる時

2008-11-27 14:07:21 | 考察文
いじめられた時ほど、勇気を示す時

いじめは誰だって死ぬほどつらい。私も何回もいじめられた。私のいじめに対するバイブルは、「ドラゴンへの道」のラストのチャック・ノリスである。手と足をへし折られ、勝ち目が無くても、戦い抜く不屈の精神である。他にも、色々ある。特攻精神は日本だけのもではない。民族とは関係がない。どの国にも特攻精神をもった男はいる。
宮本武蔵も書いているが、戦いにおいては、敵の目から自分を見てみる、ことが大切である。戦いにおいては自分から敵を見れば、敵は怖い。しかし敵から見れば自分は怖い存在なのである。
いじめられた時は、相手の視点で自分を見てみればいい。自分の視点だけで見ると、いじめは地獄である。しかし、いじめてる人間の方から見れば、いじめてる人間は、楽しいのである。そして、どうでもいいことなのである。私はいじめられている時は、人に楽しい思いをさせてやっているのだと考えている。
そもそも、いじめてるやつらには何の度胸も無いくだらない人間である。しかし、いじめに耐えている人間。これほど勇気のある気高い崇高な存在はない。いじめに耐えると自分が勇気と度胸のある気高い人間になれるのである。こんな、いい機会はない。
私は中学から自分のクラスでも他人のクラスでも、言語を絶するいじめを見ている。助けたかったが、助けようとすると自分もいじめられるかもしれないので、怖くて出来なかった。それは私の一生の罪として背負っていく。そして一年下のクラスでクラス全員にいじめられても何とも思ってない豪気な生徒がいた。私は、彼をすごいヤツだと仰ぎ見た。そもそも母校は莫迦の集まりだった。クラスの人間があまりにも莫迦なので、我慢できないほどだった。そもそも高校3年で、listenを、「リステン」と言っている生徒がいる位なのである。


高校の時、一度チキンゲームみたいなのが、流行った。教師が黒板に向いている時、ふざけるのである。チキンゲームはジェームス・ディーンの「理由なき反抗」で知った人が多いだろう。勇気をしめす面白い遊び、と思ったのだろう。

しかし私に言わせれば、そんなのは、あまったるい限りのみっともない偽チキンゲームである。本当のチキンゲームとは、命をかけなくてはならない。このゲームは命の惜しいヤツには出来ないのである。ゲームが終わった後は、二人のうち一人がチキン(腰抜け)になるか、一人が死ぬか、の確実な結果が決められるのである。

チキンゲームとは神聖なゲームなのである。あまったるいルールで神聖なゲームを汚すな。

ちなみに、こういう遊びは命の惜しい人は、くれぐれもしないように。

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