小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

スネカジリ論

2008-11-28 21:49:47 | 考察文
スネカジリ論

私はスネカジリという言葉があまり好きではない。高校の時、生徒に質問して答えられないと、やたら、親のスネカジリ、と言って怒った英語の先生がいた。私は英語は得意だったが、この先生が、怒った時は嫌気がした。確かに、高校は義務教育ではない。だから高校生は、親のスネカジリという立場である。しかし、その先生は今は英語教師として働いて自立しているが、自分が高校生の時はどうだったのだろう。学費や生活費は全てアルバイトして自活していたのだろうか。そうとも思えない。高校生をスネカジリと批判できる資格のある人は、自分が高校生の時、親に頼らず自活していた人だけである。
それだけでもなく、私は「スネカジリ」という言葉が嫌いである。そもそも五体満足な健康な人間は、大人になれば自立したいと思うようになるものである。鳥だって動物の全ては、おおきくなれば、親から離れて自分で行動したいと思うようになるものである。人間だって、その本能はある。大人になっても、一生、親のスネをかじって楽に生きていたいと思う人は、よほど覇気のない、やる気のない人間である。
きれい事かもしれないが。
私は親は、あんまり子供に、スネカジリだの、早く自立しろ、だのと急かさない方が良いと思う。そういう親は大抵、頑固で石頭である。「北風と太陽」のたとえじゃないけど、包容力のある思いやりのある親だと、子供は嫌でも、親にいつまでも迷惑をかけていてはいけない、と自覚して自立しようとすると思う。愛情関係がしっかりしている家庭では、急かさなくても、うまくいくのである。逆に愛情関係が、おかしな家庭だと、いつまでも自立できない子供をつくってしまうのである。
私は、高校生を、スネカジリの一言でかたずける大人に魅力を感じない。

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