小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

植物人間

2008-11-30 01:46:24 | 医学・病気
どうして植物人間をつくってしまうか。

心停止や低血糖では、早く脳にブドウ糖を送らなくては、植物人間をつくってしまうのである。植物人間とは、脳の真ん中にある脳幹という部分だけ、生きてて、他の部分の脳は死んでしまっている状態である。脳の一番、外側(新皮質)はものを考える所であり、その内側(旧皮質)は、喜怒哀楽の感情の部分である。そして、その内側の脳の真ん中が脳幹であって、これは生命を維持する中枢が集まっている所である。当然、高等生物になるほど、外側の考える脳の部分が発達する。そして、脳にブドウ糖が行かなくなると、脳はブドウ糖不足になる。この時、人体の防御反応がやっかいな事を起こすのである。それは、人体は、最悪の事態からは身を守ろうとするのである。そのため、脳にブドウ糖が行かなくなると、脳全体がやられるのではなく、まず初めに外側の考える部分の脳がやられ、次にその内側の感じる部分がやられるのである。最後が脳幹である。脳は人体を生かそうと、何とか、生命維持の中枢である脳幹は生かそうとするのである。それは人間を単なる生物として考えた場合は、人体の反応として正しい。しかし、人間が人間である所以は、ものを感じ、考えるところにある。何も感じず、何も考えないで、動かず、ただ呼吸しているだけの人間など、人間とは呼べない。死んだも同然である。そして、植物人間にしてしまうと栄養補給によって、生かし続けることが出来てしまうのである。こうなっては、やっかいである。いっそのこと、死んでしまった方がどれだけいいことか。
しかし、親としては、たとえ感じなくても、考えなくても、我が子が呼吸して生きている事が、そうなってしまっても死んでしまうより、良いと感じる親もいるのである。これは人によってどう感じるかは異なる。しかし、たとえ植物人間になっても親族の愛情が強ければ強いほど、生かしておいてほしい、呼吸している姿でもいいから見たい、と思うのである。それが植物人間の大きな問題点なのである。

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