私が、整形外科医だったら、プロスポーツ選手の、非常に多くに、打ち込んでいるプロスポーツをやめたり、休むよう、勧めるだろう。
「スポーツとは、健康を向上させ人生を豊かにするためにやるものであり、金や名誉、名声、国民、市民栄誉賞のために、怪我を我慢してまでやるものではない」
そして、
「肉体とは精神を入れておく器であり、精神を良い状態に保持するには、肉体を手入れする習慣をつけておいた方が良く、スポーツとは、肉体の手入れである」
と思っているからである。
私は、母校の自由学園を嫌っているが、スポーツに関しては、ちやほやされる選手、スター選手をつくるべきではない、という創立者の方針をとっていて、実際、今でも、それを実行していて、その点は、すごく良いことだと思っている。
私は、そもそも、スポーツというものを職業にすべきではない、と思っているのだが。それが出来てしまったのは、世の中のアホウどもが、無考えにバカはしゃぎして、金を払ってまで喜び楽しみ観るから、出来てしまったのである。
日本柔道の父、嘉納治五郎はこう言っている。
「柔の道に励む真の目的は、修行で鍛えた心身をもって、世のため、人のため、役立つことにある」
近代オリンピックの父、ピエール・ド・クーベルタンも、「オリンピックは参加することに意義がある」と言っていて、「オリンピックは、より華美な色のメダルをとることに意義がある」とは言っていない。
「スポーツとは、健康を向上させ人生を豊かにするためにやるものであり、金や名誉、名声、国民、市民栄誉賞のために、怪我を我慢してまでやるものではない」
そして、
「肉体とは精神を入れておく器であり、精神を良い状態に保持するには、肉体を手入れする習慣をつけておいた方が良く、スポーツとは、肉体の手入れである」
と思っているからである。
私は、母校の自由学園を嫌っているが、スポーツに関しては、ちやほやされる選手、スター選手をつくるべきではない、という創立者の方針をとっていて、実際、今でも、それを実行していて、その点は、すごく良いことだと思っている。
私は、そもそも、スポーツというものを職業にすべきではない、と思っているのだが。それが出来てしまったのは、世の中のアホウどもが、無考えにバカはしゃぎして、金を払ってまで喜び楽しみ観るから、出来てしまったのである。
日本柔道の父、嘉納治五郎はこう言っている。
「柔の道に励む真の目的は、修行で鍛えた心身をもって、世のため、人のため、役立つことにある」
近代オリンピックの父、ピエール・ド・クーベルタンも、「オリンピックは参加することに意義がある」と言っていて、「オリンピックは、より華美な色のメダルをとることに意義がある」とは言っていない。