小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

山本太郎参院議員、天皇陛下に直訴?=侍従長が手紙預かる

2013-10-31 17:29:16 | 政治
「山本太郎参院議員、天皇陛下に直訴?=侍従長が手紙預かる」
(時事通信 10月31日(木)16時45分配信)

何を考えとるんだ?

明治時代じゃないんだぞ。

田中正造じゃあるまいし。

島崎藤村の「夜明け前」でもあるまいし。

憲法第一条を読んでないのか?

これだからタレント議員は困る、なのか?

こんなことをしたら、高齢で健康もすぐれない陛下を困らせ、(いや、もしかすると陛下もまさか自分が直訴を受けるとは・・・、と微笑んでおられるかもしれない)行動は全くのピントはずれであり、何の効果も無く、むしろ逆効果であり、右翼の連中だって多少、不快に思い、自分の政治家生命を危うくしかねない、ことぐらい、あらかじめ、わかっていなければならない。タレントが議員に立候補することは、悪いとは思わないが、せめて、中学校の公民の教科書は、ちゃんと読んで理解しておくべきである。

まあ、メリットとしては、中学生の公民の授業で、陛下に、こういうことは、してはいけないことなのです、と、わかりやすく、教えることが出来るのに都合のいい出来事である、という点だろう。

しかし天皇に手紙を渡しては、いけない、という法律もない。

また私は、日本国民が陛下に対し、全く対等な人間どうしのように親しげに話す姿にも抵抗を感じる。そもそも陛下は、国籍を有しておらず、日本国の象徴であるが、日本人ではないのである。

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ブルース・リーとシューティング

2013-10-31 15:52:52 | 武道・スポーツ
ブルース・リーは武術家である。武術はスポーツと違って、ルールの無いストリートファイトである。つまり、あけすけなく言えばケンカである。ルールのないストリートファイトに最も近い格闘技は、といえば、それは、佐山聡の作ったシューティングといっていいと思う。(作った、というと大袈裟である。ルールを決めただけである)シューティングは、パンチ、キック、投げ、関節技、と、ありとあらゆる技を使っていい総合格闘技である。実際、「燃えよ。ドラゴン」のオープニングでは、ブルース・リーはサモ・ハン・キン・ポと、オープンフィンガーグローブを使って、シューティング的な試合をしている。
では、ブルース・リーが求めたものや、弟子に教えたかったものは、シューティングだったのか。答えはNOである。
まず、一つには、ブルース・リーは、優れたシューティングファイターには絶対、なれなかった。からである。し、なりたくもなかっただろう。というのは。全てのスポーツで言えることであるが、スポーツでは、ルールが決められると、それに最も合理的な技術が出来上がり、戦い方が体系化される。シューティングのキックの場合は、力を抜いた脱力のキックであり、ムエタイのキックに近い。パンチもボクシングのでも空手のでもなく、やはりムエタイのパンチに近い。それは、シューティングでは、キックはフェイント的で、相手を倒して、関節を決める、というシューティングのルールで勝つという目的のために、最も有効なキックがムエタイ的なキックだからである。
ブルース・リーの場合。パンチは、すでに太極拳や詠春拳の、寸勁、と言われる高度なパンチを身につけていた。し、キックもテコンドー的な高度な蹴りを身につけていた。そして、一度、ある形式のキックを身につけてしまうと、類似の他のキックは出来ないか、身につけるのが非常に困難だからである。私も空手のキックを身につけてしまってから後では、蹴りは、空手のキックでしか蹴れず、どう頑張っても、ムエタイのキックは出来ない。ブルース・リーもそうであろう。
そして、高度なキックやパンチを身につけてしまった以上、その技術を、より研ぎ澄ますことにブルース・リーの関心は行き、他のルールのある格闘スポーツや、そのキックに鞍替えする気は全く起こらなかったのである。そしてブルース・リーにとって若い頃、詠春拳を身につけてしまったことは、良くも悪しくもブルース・リーにとって、宿命となった。詠春拳の推手は、お互いに相手の心理的な動向を探り合う、非常に優れた訓練法なのだろう。なにしろ、中国拳法はどの流派でも非常に歴史が深く、優れた深い技術であり、それを使わない手はなく、ましてや、それを捨てるなんてのは、宝石をゴミ箱に捨てるようなものだからである。
だから、ブルース・リーはシューティングという体系化されたルールある格闘スポーツには全く関心を持たなかったのである。
では、ブルース・リーが弟子に教えたかったことは何か。といえば、それは、武術の範囲にとどまらない。ブルース・リーは大学で哲学を専攻し、高校で哲学を教えていたほど、哲学というものを知っており、私もブルース・リーの書いた文章を読んでいるが、うーん、と唸るほど思索が深い。ブルース・リーが弟子に教えたかったことは、「自己実現」「あらゆる束縛、偏見から逃れて自由になること」「自分にとっての真実を見つけ出すこと」「たえず自分で考え、工夫しつづけられる人間になれること」などの精神的なことであり、ブルース・リーは武術を通じて、そういう精神的なことを弟子たちに教えたかったのである。
そういうわけだから、ブルース・リーは弟子に武術家や格闘家になって欲しいとは思っていなかった。
しかし、ブルース・リー自身は、武術家だったから、自分の身につけている詠春拳、多くの流派の中国武術、テコンドーのキック、ボクシング、合気道、などを鑑みて、敵が攻撃してきた時の最も有効な対処法を考え、ノートにメモしていた。それを仮に、裁拳道と呼ぶとしよう(本当は、それが裁拳道ではないのだが)。しかし、それは、ブルース・リーにとってだけ当てはまる真実、戦闘法なのである。だから、ブルース・リーの裁拳道を、一生懸命に、研究し、訓練している少数の人達を、私は可哀想に思う。

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