私は、漫画家と小説家では、漫画家の方が偉いと思っている。なぜなら、漫画を描けるようになるには、相当の訓練が必要だからだ。それまで小説を書いたことのない人が、いきなり小説を書くことは、出来る場合があるが、一般の人が、いきなり漫画を描くことは、不可能である。ただ漫画家も、訓練して漫画を自在に描けるようになったら、もう漫画を描くのはしんどくない。
さて、漫画と小説の違いであるが。
小説では、誰を視点にして書くか、というのに気を使う。視点は、一人で主人公でなければ、ならないのである。主人公がAの場合、
「Aは嬉しかった」
と彼の心は書けるが、そう書いたら、
「Bは嬉しかった」
とは、書けないのである。
そこで、テクニックとして、
「Bは嬉しそうな顔をしていた」
と、あくまで客観的に書かなくてはならないのである。
しかし長編では、別の人の視点で書かなければならない時もある。そういう時は、章を変えて、この章は、Aの視点、この章は、Bの視点、とか章を変えることによって、視点の問題を解決している。
もっとも、登場人物があまりに多すぎる小説では、そういうことは出来ない場合もある。この場合は、視点を一人の人物に固定できないから、多くの人物の視点で書くしかない。これを神の視点という。
もっとも、視点の固定というのは、小説において絶対に守らなくては、ならないものではなく、章を変えなくても、複数の人間の視点で書いても、問題ない場合も多い。小説の大家でも神の視点で書いている小説も、結構ある。
しかし。漫画では。この視点という問題がないのである。漫画では、登場人物すべての視点で描いているのである。つまり神の視点である。
もう一つ。小説家と漫画家の違い。
小説を書く時は、音は、ささいな音でも小説を書くのに、大変な障害になる。音楽も人の会話も、少しでも、あると書けないのである。
しかし漫画では。不思議なことに、漫画家は、音楽をかけないと、気分が乗らず、漫画が描けない、という人が結構、いるのである。手塚治虫もそうだったし、ジョジョの奇妙な冒険(私は読んでないが)の作者の荒木飛呂彦氏もそうらしい。自殺した漫画家の山田花子もラジオを聞きながら漫画を描いていた。それ以外でも、音楽をかけないと、気分が乗らない漫画家は多い。
これは、私には全く理解できない。漫画家なら、わかるのだろうが。
さて、漫画と小説の違いであるが。
小説では、誰を視点にして書くか、というのに気を使う。視点は、一人で主人公でなければ、ならないのである。主人公がAの場合、
「Aは嬉しかった」
と彼の心は書けるが、そう書いたら、
「Bは嬉しかった」
とは、書けないのである。
そこで、テクニックとして、
「Bは嬉しそうな顔をしていた」
と、あくまで客観的に書かなくてはならないのである。
しかし長編では、別の人の視点で書かなければならない時もある。そういう時は、章を変えて、この章は、Aの視点、この章は、Bの視点、とか章を変えることによって、視点の問題を解決している。
もっとも、登場人物があまりに多すぎる小説では、そういうことは出来ない場合もある。この場合は、視点を一人の人物に固定できないから、多くの人物の視点で書くしかない。これを神の視点という。
もっとも、視点の固定というのは、小説において絶対に守らなくては、ならないものではなく、章を変えなくても、複数の人間の視点で書いても、問題ない場合も多い。小説の大家でも神の視点で書いている小説も、結構ある。
しかし。漫画では。この視点という問題がないのである。漫画では、登場人物すべての視点で描いているのである。つまり神の視点である。
もう一つ。小説家と漫画家の違い。
小説を書く時は、音は、ささいな音でも小説を書くのに、大変な障害になる。音楽も人の会話も、少しでも、あると書けないのである。
しかし漫画では。不思議なことに、漫画家は、音楽をかけないと、気分が乗らず、漫画が描けない、という人が結構、いるのである。手塚治虫もそうだったし、ジョジョの奇妙な冒険(私は読んでないが)の作者の荒木飛呂彦氏もそうらしい。自殺した漫画家の山田花子もラジオを聞きながら漫画を描いていた。それ以外でも、音楽をかけないと、気分が乗らない漫画家は多い。
これは、私には全く理解できない。漫画家なら、わかるのだろうが。