国会はバカバカしい。国会は無駄だと思う。高校生以上なら、知ってるだろうが、国会なんて完全な八百長である。野党議員が何を質問するかを、官僚が、野党議員に、あらかじめ聞いておいて、官僚が、それに対する、的確な答弁の作文を書き、大臣は、その作文を読んでいるだけに過ぎない。野党の質問は、いかに与党の欠点をほじくり、与党のイメージを落とし、自分らの党の人気を上げることしか考えていない。時間の無駄である。要するに、野党は、自分の党の党益しか考えていないのである。こういう時間の無駄が政治を停滞させているのである。どいつも、こいつも、自分の利益追及しか考えていない。イデオロギーを持った政治家も、全くいないわけではないが、基本的に政治家はイデオロギーなんて持っていない。
政治家は、誰でも、色々な政治課題において、こうしたらいい、という自分の考えは持っている。それを、仮に政治家や政党のイデオロギーと言っておこう。しかし、党の存続とイデオロギーの保持の、どちらかを、取らねばならなくなった時には、政治家は、当然、党の存続の方をとる。だから、そんな吹けば飛ぶようなものは、私はイデオロギーなどとは思っていない。
小泉純一郎は、イデオロギーを持っていた政治家、と言っていいと思う。郵政民営化や官から民への移行、変革、など。小泉純一郎は、自分の信念を曲げない政治家だった。しかし彼は、それゆえ変人と呼ばれた。自分の信念を捨てたり、変えたり、妥協するのが、日本では、まともな、普通の、あるべき、正しい、立派な、政治家であって、自分の信念を曲げない政治家は、日本では変人と呼ばれるのである。これが政界の常識、守るべきエチケットなのであるから日本の国会議員はなんと素晴らしいのだろう。
政治家は、誰でも、色々な政治課題において、こうしたらいい、という自分の考えは持っている。それを、仮に政治家や政党のイデオロギーと言っておこう。しかし、党の存続とイデオロギーの保持の、どちらかを、取らねばならなくなった時には、政治家は、当然、党の存続の方をとる。だから、そんな吹けば飛ぶようなものは、私はイデオロギーなどとは思っていない。
小泉純一郎は、イデオロギーを持っていた政治家、と言っていいと思う。郵政民営化や官から民への移行、変革、など。小泉純一郎は、自分の信念を曲げない政治家だった。しかし彼は、それゆえ変人と呼ばれた。自分の信念を捨てたり、変えたり、妥協するのが、日本では、まともな、普通の、あるべき、正しい、立派な、政治家であって、自分の信念を曲げない政治家は、日本では変人と呼ばれるのである。これが政界の常識、守るべきエチケットなのであるから日本の国会議員はなんと素晴らしいのだろう。