小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

石川遼

2014-01-03 19:35:07 | 武道・スポーツ
もちろん私はゴルフに関しては素人である。ゴルフに興味を持てないからである。だが、全く知らないわけではない。私が、ゴルフのプロで関心を持っているのは、石川遼である。ランキングが、どうのこうの、ということには私は関心がない。石川遼は、非常に頭を使う、考えるプレーヤーである。単純に言えば、頭がいい。のである。頭を使う、というのは、プレーの時はもちろんのこと、日々の練習において、技術の習得に、頭を使って、考えて練習しているからである。彼の思考能力は非常に高い。

彼の思考する能力は、ゴルフという一つのスポーツだけにとどまらない。(と私は確信している)彼は非常に思考力が柔軟である。ゴルフに限らず、何事にでも、解決しなくてはならない問題、課題、が、起こった時、彼は、最善策は何かを考え出そうとするだう。あらゆる物事に対する問題解決能力が優れているのだ。

だから、彼は自分がゴルフが上手く出来るだけではなく、ゴルフの指導者になっても、どうすれば、生徒を上手くさせることが出来るか、ということを、相手の立場に立って、考えようとするだろうから、一流の指導者になれるだろう。

なにも石川遼に限らず、スポーツにおいては、頭脳的ファイターと機械的ファイターというものが、大体、別れてしまうものである。それはスポーツに限らず、将棋でいえば、羽生善治は、頭脳的ファイターの方である。

機械的ファイター(プレイヤー)が、頭脳的ファイターに変わることは、残念ながら、まず無い。なぜなら、この世の中には、無数の、役に立つ本やビデオや方法が、すでに、あるが、機械的ファイターは、経験によって出来るようになった自分の技術に満足して、それらの物には見向きもしないからである。

ぴったりの格言ではないが。

「多くの武道家は真実に気がつかない。その原因は、より一層、を好み、何か変わったもの、を求めるからだ。真実は、単純な日常の動作の中にこそある。触れ、感じ、見ることで手中に出来るはずの真実を、大半の武道家は、全体ではなく一点を探り掻き回すことで、知りそこなっている」
(ブルース・リー)

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スポーツの上達2

2014-01-03 15:33:27 | 武道・スポーツ
さて。スポーツの上達について、もう一つ書いておこう。

スポーツは、「やる気」がある人ほど上達する。それは、「やる気」のある人は、ノルアドレナリンの分泌量が多いから、神経細胞のシナプス結合が起こりやすいからである。

では。スポーツなど嫌いで、「やる気」の無い人が嫌々、スポーツをしたら、どうなるか?

答えは、ケースバイケースであるが、上達が全く起こらないわけではないが、上達するのに非常に時間がかかり、そして、上達して到達する技術の上限もレベルが低いか。あるいは、全く技術が上手くならないか、のどちらかである。(まあ、当たり前のことだが)

それは、なぜか。バスケットボールを例に出して説明しよう。それが、わかりやすいと思うからである。それに、私の母校の自由学園では、サッカー、バスケットボール、テニスのどれかをしなくてはならず、バスケットボールを選んだ人で、上手くなる人と、上手くならない人を私は見ているからである。

バスケットボールの基本はドリブルである。基本であると同時に、ほとんど基本の完成にも近い。このドリブルが、ドリブルをしている、という意識さえ、なくなるほど、上手くなることが、基本の全てなのである。初心者は、ボールを見てはいないが、視覚の中に入っている。というか、視覚の中に入れている。つまり、視覚をドリブルの手助けにしている。しかし、ドリブルは、位置感覚で、無意識のうちに出来るようになるのが、本当のドリブルである。だから、バスケットが出来る人は目をつぶっていても、目を開けているのと、全く同じようにドリブルが出来る。

ここで、「やる気」のある人は、何とか、位置感覚のみでやる無意識のドリブルを身につけようと、極力、視覚に頼らないようにしたり、あるいは、ボールから目をそらして、ドリブルの練習をしたりするだろう。位置感覚の無意識のドリブルが身につくまでには、そうとうな単調な訓練期間が必要なのである。なので、視覚に頼らないように意識したり、あるいは、ボールから目をそらしててドリブルの練習をしたりと、工夫するのである。なので、そういう意識を持って練習していると、いつか、無意識のドリブルが身につくようになるのである。

一方、「やる気」の無い人は、上手くなりたいという気持ちがないから、ドリブルは、いつまでも視覚に頼ってドリブルをしているから、(その方が楽だからであるが)いつまでも、位置感覚だけのドリブルは出来るようにならないのである。

これは、パソコンのキーボードを身につけるのと同じである。パソコンのキーボードも、はじめは視覚に頼っている。しかしブラインドタッチが出来るようになるには、出来るだけキーボードを見ないようにするべきなのである。ただ、パソコンを身につけるのより、バスケットボールを身につける方が、ずっと難しいのは、言うまでもない。

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