ブルース・リーの主演映画の第三作は、「ドラゴンへの道」である。これは、制作、監督、脚本、主演、音楽、全てをブルース・リーがしている。ブルース・リーの独断場の映画である。
アメリカでは、「燃えよドラゴン」が一番人気があるが、香港では、「ドラゴンへの道」の方が一番人気があるのである。
誰も問題意識すら起こっていないだろうが。「どうしてブルース・リーは映画の舞台をローマに選んだのか?」この理由を、わかる人がいるだろうか?
カンフー映画なのだから、戦いの舞台は、香港や中国で、いいはずなのに。なぜ、ローマを舞台に選んだのか?
私の考え。それは、ローマにコロシアムがあるからである。ローマのアテネでは紀元前509年から、紀元前27年まで、クレイステネスやペリクレトスなどによって共和制国家になった。共和制といっても、奴隷がいて、コロシアムで奴隷の剣闘士に、どちらか死ぬまで戦わせることを強制していた。その見世物は、ローマ市民の一番の娯楽だった。もちろん、剣闘士の奴隷は、これに怒って、スパルタクスの反乱(前73年)などが起こっている。
どちらか死ぬまで戦うルール無しの格闘。世界において、その一番の原点は、ローマのコロシアムでの剣闘士の戦いである。つまり武術の原点である。相手が東洋人だったり、強くなかったりしたら、ブルース・リーは、ローマのコロシアムにこだわらなかっただろう。しかし、相手は6年連続、世界プロ空手選手権チャンピオンの強豪、チャック・ノリスである。しかも白人でブルース・リーより体がひとまわり大きい。
ブルース・リーは格闘の原点として、ローマのコロシアムの剣闘士の戦い、に相当、関心を持っていたことだろう。相手が白人で、超強豪で、どちらか死ぬまでの戦い、となれば、もはや、戦いの場はローマのコロシアムしかない、と考えたのだろう。
その前の作品である、レイモンド・チョウ制作、ロー・ウェイ脚本の「ドラゴン怒りの鉄拳」は、清朝における、ヨーロッパ列強、および日本の中国に対する植民地化に対する中国人の怒りを強く打ち出しているが、それも多少、ヒントにはなっているかもしれないが。
私は、「ドラゴンへの道」は、そういう政治的主張はなく、単に、格闘の原点として、チャック・ノリスと戦うには、ローマのコロシアムしかない、とブルース・リーは考えたのだと思っている。
アメリカでは、「燃えよドラゴン」が一番人気があるが、香港では、「ドラゴンへの道」の方が一番人気があるのである。
誰も問題意識すら起こっていないだろうが。「どうしてブルース・リーは映画の舞台をローマに選んだのか?」この理由を、わかる人がいるだろうか?
カンフー映画なのだから、戦いの舞台は、香港や中国で、いいはずなのに。なぜ、ローマを舞台に選んだのか?
私の考え。それは、ローマにコロシアムがあるからである。ローマのアテネでは紀元前509年から、紀元前27年まで、クレイステネスやペリクレトスなどによって共和制国家になった。共和制といっても、奴隷がいて、コロシアムで奴隷の剣闘士に、どちらか死ぬまで戦わせることを強制していた。その見世物は、ローマ市民の一番の娯楽だった。もちろん、剣闘士の奴隷は、これに怒って、スパルタクスの反乱(前73年)などが起こっている。
どちらか死ぬまで戦うルール無しの格闘。世界において、その一番の原点は、ローマのコロシアムでの剣闘士の戦いである。つまり武術の原点である。相手が東洋人だったり、強くなかったりしたら、ブルース・リーは、ローマのコロシアムにこだわらなかっただろう。しかし、相手は6年連続、世界プロ空手選手権チャンピオンの強豪、チャック・ノリスである。しかも白人でブルース・リーより体がひとまわり大きい。
ブルース・リーは格闘の原点として、ローマのコロシアムの剣闘士の戦い、に相当、関心を持っていたことだろう。相手が白人で、超強豪で、どちらか死ぬまでの戦い、となれば、もはや、戦いの場はローマのコロシアムしかない、と考えたのだろう。
その前の作品である、レイモンド・チョウ制作、ロー・ウェイ脚本の「ドラゴン怒りの鉄拳」は、清朝における、ヨーロッパ列強、および日本の中国に対する植民地化に対する中国人の怒りを強く打ち出しているが、それも多少、ヒントにはなっているかもしれないが。
私は、「ドラゴンへの道」は、そういう政治的主張はなく、単に、格闘の原点として、チャック・ノリスと戦うには、ローマのコロシアムしかない、とブルース・リーは考えたのだと思っている。