田原総一郎は、大川隆法との対談で、神の定義を自分で勝手にしている。はじめから、新興宗教は、インチキだと見ている。だから、まるでチンピラが、いいがかりをつけるような態度、質問ばかりで、レベルが低い。田原は、政治、経済、日本の政界、世界の動向、など現実的なことには、めっぽう詳しいが、精神的なことには極めて弱い。
大川隆法が、いい加減なことを言っているからといって、宗教がインチキだとは、言えないのである。キリスト教にしても、キリストは、マリアとヨセフのセックスによらず、生まれた、とか、死んだ後、蘇った、とか、無から、魚とパンを大量に出した、など、現実的には、そんなことはあり得ない。ならば、田原はキリスト教も否定するべきだ。しかし、氏は、しない。氏は、キリスト教、イスラム教、仏教、などの古代に生まれた宗教、および、存続している期間の長い、創価学会や立正佼成会などの、宗派は、(何となく正しそう、という蓋然性で)無条件に肯定しているが、大川隆法のような、ちょっとふざけた発言もする、というか、ユーモラスな性格の教祖の幸福の科学は、はじめから、インチキと決めつけている。
結論から言うと、キリスト教も、ウソをついているし、幸福の科学の大川隆法も、いい加減なことを言っているが、ともに、(立派な)宗教なのである。
(この、立派という表現は、教義が立派という意味ではなく、それらが宗教である妥当性に間違いない、という意味である)
多数の分派の対立による、争い、戦争、殺し合い、で何千万人もの死者が出ているキリスト教より、死者を出していない、幸福の科学の方が、ずっと、まし、な宗教であることは、言うまでもないことなのだが。田原の頭では理解できないだろう。
「彼は最左翼の更に左翼に位していた。従って最左翼をも軽蔑していた」
(芥川龍之介、侏儒の言葉より)
そして創価学会についても。創価学会は日蓮宗であり、日蓮は奇跡を起こしたり、預言したり、仏教他派を折伏したりと、気性の激しい、いわば、日本のイエス・キリスト的な人間だが、そのため、統合失調症の患者には創価学会の会員が、かなり多くいて、自分は日蓮だとか、あるいは日蓮上人の生まれ変わりだ、とかいう妄想を持つ患者が多いのである。
さらに言うなら、オウム真理教も、アレフと名前を変えて続いているが、オウム真理教も間違いなく、(今でも)宗教の一つなのである。
では。オウム真理教(アレフ)を無くすには、どうしたらいいか。
それは、オウムは原始仏教だから、麻原は、釈迦と同じように、神(絶対者)ではなく、悟りを開いた無上覚者(人間)という位置づけ、だろう。だから、麻原が、「自分は、無上覚者ではない」、あるいは、「一度は悟りを開いたが、その後、堕落して、無上覚者ではなくなった」、と言うか、あるいは誰かの働きかけ(検察か信者か知らないが)で麻原に言わせる、しか、オウムを潰す方法はないのである。麻原が、自分の口で、そう言えば、オウム真理教は宗教ではなくなり、信者も離れていく。しかし、麻原は、それを言わない。(それが、彼が宗教の原理を知っている怖さである)アレフの信者にしてみれば、麻原を、人間の魂を救済する無上覚者と見なしているわけだから、麻原が自分を否定しないままで、彼を死刑にしてしまったら、アレフの信者は、麻原を、イエス・キリストのように、受難の聖者と見てしまうから、アレフの信者の信仰心をより熱狂的に強めてしまう。そしてアレフは永遠に続いてしまう。だから、麻原を簡単に死刑執行するべきではない。彼の死刑執行は、慎重にやらなくては、アレフという宗教を、より強めてしまうのである。
しかし、麻原が自分の非を認め、サリンは国家に復讐するために撒いた、と発言したとしても、残念ながらアレフは、なくならない。それは、オウム(アレフ)の修行が、マラソンのランナーズ・ハイのように、精神の快感を引き起こしてしまうからだ。つまり、オウムの修行は、気持ちが良く(もちろん私は、やったことがないが)、幸福感を味わえるからだ。しかし、これは、ずるい。それはヨガのような、健康法であって、健康法は宗教とは、言い難い。オウム(アレフ)のやっかいな所は、宗教と健康法をドッキングさせている所にある。のである。
大川隆法が、いい加減なことを言っているからといって、宗教がインチキだとは、言えないのである。キリスト教にしても、キリストは、マリアとヨセフのセックスによらず、生まれた、とか、死んだ後、蘇った、とか、無から、魚とパンを大量に出した、など、現実的には、そんなことはあり得ない。ならば、田原はキリスト教も否定するべきだ。しかし、氏は、しない。氏は、キリスト教、イスラム教、仏教、などの古代に生まれた宗教、および、存続している期間の長い、創価学会や立正佼成会などの、宗派は、(何となく正しそう、という蓋然性で)無条件に肯定しているが、大川隆法のような、ちょっとふざけた発言もする、というか、ユーモラスな性格の教祖の幸福の科学は、はじめから、インチキと決めつけている。
結論から言うと、キリスト教も、ウソをついているし、幸福の科学の大川隆法も、いい加減なことを言っているが、ともに、(立派な)宗教なのである。
(この、立派という表現は、教義が立派という意味ではなく、それらが宗教である妥当性に間違いない、という意味である)
多数の分派の対立による、争い、戦争、殺し合い、で何千万人もの死者が出ているキリスト教より、死者を出していない、幸福の科学の方が、ずっと、まし、な宗教であることは、言うまでもないことなのだが。田原の頭では理解できないだろう。
「彼は最左翼の更に左翼に位していた。従って最左翼をも軽蔑していた」
(芥川龍之介、侏儒の言葉より)
そして創価学会についても。創価学会は日蓮宗であり、日蓮は奇跡を起こしたり、預言したり、仏教他派を折伏したりと、気性の激しい、いわば、日本のイエス・キリスト的な人間だが、そのため、統合失調症の患者には創価学会の会員が、かなり多くいて、自分は日蓮だとか、あるいは日蓮上人の生まれ変わりだ、とかいう妄想を持つ患者が多いのである。
さらに言うなら、オウム真理教も、アレフと名前を変えて続いているが、オウム真理教も間違いなく、(今でも)宗教の一つなのである。
では。オウム真理教(アレフ)を無くすには、どうしたらいいか。
それは、オウムは原始仏教だから、麻原は、釈迦と同じように、神(絶対者)ではなく、悟りを開いた無上覚者(人間)という位置づけ、だろう。だから、麻原が、「自分は、無上覚者ではない」、あるいは、「一度は悟りを開いたが、その後、堕落して、無上覚者ではなくなった」、と言うか、あるいは誰かの働きかけ(検察か信者か知らないが)で麻原に言わせる、しか、オウムを潰す方法はないのである。麻原が、自分の口で、そう言えば、オウム真理教は宗教ではなくなり、信者も離れていく。しかし、麻原は、それを言わない。(それが、彼が宗教の原理を知っている怖さである)アレフの信者にしてみれば、麻原を、人間の魂を救済する無上覚者と見なしているわけだから、麻原が自分を否定しないままで、彼を死刑にしてしまったら、アレフの信者は、麻原を、イエス・キリストのように、受難の聖者と見てしまうから、アレフの信者の信仰心をより熱狂的に強めてしまう。そしてアレフは永遠に続いてしまう。だから、麻原を簡単に死刑執行するべきではない。彼の死刑執行は、慎重にやらなくては、アレフという宗教を、より強めてしまうのである。
しかし、麻原が自分の非を認め、サリンは国家に復讐するために撒いた、と発言したとしても、残念ながらアレフは、なくならない。それは、オウム(アレフ)の修行が、マラソンのランナーズ・ハイのように、精神の快感を引き起こしてしまうからだ。つまり、オウムの修行は、気持ちが良く(もちろん私は、やったことがないが)、幸福感を味わえるからだ。しかし、これは、ずるい。それはヨガのような、健康法であって、健康法は宗教とは、言い難い。オウム(アレフ)のやっかいな所は、宗教と健康法をドッキングさせている所にある。のである。