小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

小妻容子

2008-11-19 05:00:55 | Weblog
小妻容子氏のSMの刺青女の解釈

小妻容子氏の美しいSM絵画集、「刺艶恋縄」(マイエェイ出版)が出たのは、SMファンには非常に嬉しいところである。私は5冊買った。氏の描く女は刺青をした女侠客であるが、顔が女侠客にしては、しとやか過ぎてて、矛盾している、というような批評を何度か読んだ。私はこれを読んだ時、ああ、世間の人はそう見ているのか、と気づかされた思いがした。私は、そんな違和感は全然、感じていなかった。私は絵画の女は、ヤクザにつかまってしまって、刺青を彫られてしまった、かわいそうな女という設定だとずっと思っていたからである。
これは谷崎潤一郎の小説「刺青」が強く頭にあることも影響していることもあるかもしれない。
同じく小妻氏の「刺青美浪漫」(マイウェイ出版)が平成17年に出ていたことを知り3冊買った。
SM秘小説の表紙も、小妻容子氏の刺青をした女の絵だが、あの表紙の絵では、女は縛られてもおらず、確かに、ほんの少しは、そういう違和感を感じた事はある。
さてエロティックさにおいて、絵画が勝つか、写真が勝つか、であるが。
私にとっては、写真の方が勝つ事の方が多いが、絵画が勝つ事の方も多いのである。
それは小妻氏の絵の美しさが、やはり大きいが、絵画自体にエロティックなストーリーを感じてしまうからである。もちろん、画家はそれを表現するために描いているのだから、当然といえば当然ではあるが。そして、さらに私は、そういうものを表現しようとした画家の意図、精神にエロティックさを感じるのである。

知ってる人なら知ってるが、小妻氏の初期の緊縛絵画は、女は痩せており、絵もあまり巧くない。それに較べると、後の絵では、信じられないくらい巧くなっている。絵画の全てか巧くなっているが、女の体が適度に脂肪がのっている点がエロティックである。

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火傷

2008-11-18 22:09:49 | 医学・病気
火傷

去年の秋、近くにレンタルバイク店ができたので一度のった。去年の夏、レンタルバイクでダンプにはねられ、怪我したが全治4週間程度の怪我だったので、また乗りたくなってしまった。夏のレンタルバイク店とは別の店である。250ccである。私はオートバイは好きだが、買った事は一度もなく、レンタルバイクか友達に借りるかのどっちかである。

事故の後だったので慎重に乗った。
普段、バイクに乗りなれてる人は運転は何ともないが、たまに中型バイクに乗ると、バイクの運転には、それなりにテクニックがいる。オートマ車と違って、中型バイクには、それなりのテクニックがいるのである。それで慎重に乗っていたが、マフラーを利き手でない方の人差し指の先で触ってしまった。すぐ手を引いたが、マフラーの温度は非常に高い。これは瘢痕が残ってしまうのではないか、と死ぬほどあせった。幸いコンビニが近くにあったので、すぐに氷袋を買って指先を冷やした。夕方でバイクも返さなきゃならないし、瘢痕も残したくない。それでしばらく氷袋に手をつけてから、氷袋に指先をつけながら片手で運転し、バイクを返し、車ですぐに医院に行った。車を運転してる時も熱感が強く、指先を氷袋に当てたまま片手で運転した。医院で塗り薬をつけてもらった。医院も診療終了のギリギリの時間だった。
私の感覚としても、また診断もⅡ度の中度の熱傷だった。Ⅰ度は、全く問題ないが、二度は瘢痕が出来てしまう可能性があるのである。生死を分ける境である。
結果、瘢痕は残らず、完全に元にもどってくれた。
一番良かった事は、火傷した後、すぐに氷袋を買って指先を冷やした事である。冷やさなかったら間違いなく、瘢痕が出来てしまった。火傷で大切な事は、すぐに冷水で冷やす事である。時間との勝負である。昔だったら、利き手でない手の人差し指の先の小さな瘢痕ていどだったら、それほど重大ではないだろう。それでもやはり指先の瘢痕は嫌なものである。しかし今は違う。今はワープロが生活必需品であり、ワープロなしには生活できない。ワープロでは全ての指を酷使しなくてはならない。特に人差し指は頻繁に使う。人差し指でなく小指でも同じ事である。私はワープロの文字入力はもはや全て、かな入力である。ローマ字入力でも同じであるが、瘢痕ができてしまったら、ワープロを打つ時、気持ちが悪い。特に、仕事や趣味で毎日ものを書く人には不快だろう。

さて私が言いたい事は、火傷とか事故とかが起こったら、大切な仕事があっても、堂々とすっぽかして、治療をすぐ受けるべきである、ということである。仕事に対する責任感などは、その時は堂々と捨ててしまうべきだ、ということである。もちろん、これは全ての病気や怪我で言えることではない。病気や怪我にも色々あって一概には言えないが、早期の治療で、完全に元に戻るものもあるのだ。低血糖でもそうだし、心停止でも、そうだが、ゴールデンタイムというのがあって、脳はブドウ糖だけが、唯一のエネルギー源なので、時間をのがすと、植物人間をつくってしまうのである。日本の救急医療の現状など知ると、おそろしくなるだろう。病院のたらい回しは現実にある。骨折でもそうだし、その他でも、医学を学んでしまうと、かなりのスポーツを禁止してしまいたくなる。医学を知らない人の無茶な責任感や、指導者や会社の上司の変な根性主義者ほど、こわいものはない。そもそも、私は、うつ病は本人の病気ではなく、社会がつくっている病気だと思っている。し、これは無くなることはなく、永遠につづくと思っている。火傷では、責任感を選んでしまうと、その後、一生、不便な人生を送らなくてはならなくなる。
何か、怪我をして病院に行くべきか、どうか迷ったら、迷わず病院に行くべきである。
「こんな程度で病院に来るな」
などと言う医者も、たまにいるが、それは間違った考えの医者である。
一般の人は医学を知らない。すぐに対処すべき疾患か、あとで治療してもいい疾患かの判断が専門家ではないのだから出来ないではないか。

私の箴言
「病院に行くことをためらうことなかれ」

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安具院ミユキ

2008-11-16 18:42:35 | Weblog
 大学の時に書いたエッセイ。大したものではないが、私の初期のエッセイ。同級生の文芸部主将の友達には、ありふれてるとボロクソに言われたが、私の意図は、彼女の存在を何とかして書き残しておきたかった、ということなので、私にとっては無価値ではない。活字になって、文集にのった。26ページの小冊子だが、今でも持っている。大学の文芸部の部室には、まだあるかもしれない。「安具院ミユキ」は実名である。彼女は印象が強く、ホームページの小説、「安謝」の安謝や、「愛子と純」の愛子などは、彼女がモデルである。

安具院ミユキ

私は小学校二年から三年にかけての一時期を神奈川県××町にある寄宿舎つきの小さな分校で過ごした。南には相模湾があり、北には東海道の松並木が見えた。静かで温かく快適な環境であった。
あの頃の事は今となっては全て懐かしい思い出となっている。なかでも、夏の日差しや潮騒や松林の間を抜ける風の音などが印象に残っている。
彼女は名前を安具院ミユキと言った。兵庫県の明石から来ていた。私と同級生で安具院はそこで女番長的な存在だった。アグインは鼻っ柱が強かった。男に従うという事を知らず、男に対して挑戦的だった。
だが、彼女は多くの男に好かれていた。彼女は活発で明るく、そしてかわいかった。何人かの男は彼女の子分となり彼女を女王様のように慕った。アグインもまた、彼らを女王がナイト達を愛するように愛した。

その頃、テレビでチャンネル争いが起きた。両方とも同じ時間帯に放送されていた。男は仮面ライダーを見たかったが、女は、何だったか忘れたが、女の子向けのアニメを見たがった。結局、アグインの主張で、以前、男に別の貸しがあるのだからという事で、女の子向けのアニメに決まってしまった。
口惜しかった。仮面ライダーが見れない事もだが、アグインの意見に従わなくてはならなかった事がもっと口惜しかった。
男と女は対等じゃない。女は男に従うものだ。女は黙って男の言う事を聞いてりゃいいんだと私は思った。
私はある時、アグインと喧嘩した。その時はそれでおわりだと思っていた。だが、後になってアグインの子分達によってコテンパンにのされた。
私はこんな事が繰り返されたんじゃ身が持たないと思った。
私は嫌々、謝りに行った。口惜しかった。私は女に頭を下げる事ほど口惜しい事はなかった。それに私は悪くはなかった。悪いのはアグインの方だったのに。それで、私は口惜しさを紛らわすために目立たない所に「アグインのバカ」と書いた。そしたら、それが見つかってしまい、筆跡から私の仕業だとわかってしまい、またしてもアグインにいじめられた。
アグインはよく彼女に従う男達を集めて女王様ごっこをして遊んでいた。私はそれを見ると腹が立った。アグインもアグインだが男達も男達だ。男は女に従うものじゃない。
だが今、思うと子供らしい無邪気さを感じる。子供は本心を隠す事がない。だから遊びなどには子供の本性が現れてしまう。
アグインは根っから女王様的な女だったのだ。こんな男勝りな女の子は滅多にいない。普通、女の子はもっと控え目なものだ。
だが、アグインにはもう一面、とても女の子らしい所があった。
彼女はよく少女マンガを読んでいた。そして少女マンガに出てくるような素敵な王子様に出会って恋する事を夢見ていた。
また、こんな事もあった。
ある時、彼女は「口づけ」とかいう題のレコードを持って来て、かけてもらっていた。それが寮中を流れて何度か私もその歌を聞いた。今でもそのメロディーと歌詞は覚えている。私は「口づけ」という言葉の意味がわからなかった。それで多分、それは福神漬けの一種だろうと思っていた。たそがれ時の福神漬けが何でロマンチックなのかわからなかった。後になってそれが、kissである事を知って彼女の早熟さに驚いた。もっとも、彼女も「口づけ」の意味が何かわかっていたか、どうかはわからないが。
また、こんな事もあった。ある時、学校で私はノートにネコの絵を私のトレードマークとして書いていた。それをアグインが見て可愛いと言って喜んだ。そして彼女も自分のノートに自分のトレードマークのネコを書き出した。
私はアグインとの付き合いで、その時が一番、嬉しかった。女の子は素直なのが一番いい。
アグインは病気を患っていた。それは喘息だった。喘息発作は時々アグインにあらわれてはアグインを苦しめた。
アグインに限らず発作が起こっている時の喘息児は本当にかわいそうである。寝ることも横になる事も出来ず、ベッドの上で船漕ぎ運動をしながら喘ぎ苦しむのである。
発作が起こっている時のアグインは見ていて本当にかわいそうだった。
だが発作が治まれば、またいつもの彼女にもどり、顔から笑いが絶える事はなかった。
だがしばらくして彼女の病気はひどく悪化した。彼女の父親が迎えに来て彼女を明石に連れて帰った。
それからしばらくして彼女が死んだという知らせを聞いた。
最期は大変な苦しみようであったそうだ。
やがて私も小学三年のおわりにそこの施設を出た。
そして10年以上の歳月が過ぎた。
私は今、大学三年である。
最近、なぜだか妙にアグインを懐かしむ気持ちが起こる。
そして彼女の人生は一体、何だったんだろうという疑問が起こってきた。
恋も知らず、結婚、家庭、という女の幸福を経験することなくアグインは死んでいった。
彼女は一体、何のためにこの世に生まれてきたのだろう。
私にはわからない。
だが彼女は病気を背負いながらも精一杯生きた。
短くはあったが美しく完結した人生だった。
二年前の夏、いとこの小学五年の女の子が家に来た。
目がパッチリしていてかわいかった。
その時は気づかなかったが、今、考えてみると顔も性格もアグインに似ている所があった。
テレビである女優を見た。何故かアグインが思い出された。
アグインは死んでもうこの世にいない。
しかし私は彼女の死が実感できない。
彼女の生命の燈は消えていないような気がする。
彼女と同じ心を持った女の子の心の中で。

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参考書の誤り

2008-11-15 20:19:27 | 考察文
参考書の誤り

「私の医学部合格体験記」などを読んでいると、いい参考書と皆が言ってるものの中に、たいして、いい参考書ではないものもあるのがある。まず、大学に合格するには、いかにいい参考書を使ったかではなく、本試験で、いかに高得点をもぎとれるかが全てである。当然の事であるが、その方法として、「合格体験記」などで書かれている、いい参考書を使えば学力が上がるだろうと考えるのは、あまりにも単純である。人はみな違う。自分に一番使いやすい参考書こそが、その人にとって一番いい参考書である。
「英文解釈教室」という参考書があって、あれは非常にいい参考書らしい。名著らしい。しかし私はそうは全く思っていない。むしろ悪い参考書だとさえも思っている。
その理由。
「英文解釈教室」を書いた著者は、駿台予備校の講師である。彼は英語の能力は優れていて、どんな難解な英文でも簡単に読みこなせる。もう英文など飽き飽きするほどの能力である。彼の仕事は、英語を教えることと、それ以外に、英文を翻訳する仕事もあっただろう。彼の一番、興味のある事は、いかに名訳をするか、である。確かに氏の訳はうまい。そして、参考書も訳にポイントを置き過ぎている。しかし、そんな氏のマニア的な好みに付き合うのは時間の無駄である。どこの大学の英語の試験でも、悠長に名訳を考えてる時間などない。試験の得点は答案に書かれている事が全てである。直訳で十分かまわないのである。英文を理解できているという事を示す事に全力を尽くすべきなのだ。

そういう事はいくらでもある。私はZ回は、どんなものだか知らないが、全く無意味だと思ってるし、「大学への数学」なんかも全く無意味だと思っている。模擬試験は駿台より代々木ゼミナールの方が良質だと思う。ただ、代々木ゼミナールの模擬試験は受ける人のレベルが低いから判定は当てにならない。正しい自分の偏差値を知るためには駿台の模擬試験を受けなくてはならない。

英語でいいのは、原仙作の「英文標準問題精講」である。あれの最初の50問は素晴らしい。何がいいといって、選んでいる英文がいい。熟語は、駿台の「基本英文700選」で覚えてもいいが、「試験に出る英熟語」で覚えてもいい。

私は、「合格体験記」などで書かれている参考書など全く無視した。私は我が道を行く、主義である。

参考書や問題集は、うすっぺらいのを一冊、決め、暗記するまで完全に繰り返した。そうすると頭に基本のストックが出来る。基本の一冊を一分以内でパラパラめくるだけで、全てが解るまでにした。

そして頭に基本的なストックが出来ると、他にどんどん参考書を増やしていける。悪問、愚問はとばし、いい問題だけ、覚えるのである。

分厚い参考書を一度、通してやっても、やりっぱなしで忘れてしまったのでは意味がない。覚えてしまう事が大切なのである。

くれぐれも変な、参考書マニアにならない事が大切である。






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まだ秋である

2008-11-14 21:29:32 | Weblog
まだ秋である。
シャワーが使える。
日中の気温は7~14℃
前回、体調が悪くなったが、治った。
季節の変わり目で体調を崩しただけだったのだろう。
巨峰がうまい。
来年のカレンダーを買った。
人間、何事も無くしてみてはじめてわかる。
健康が全てである。

私の箴言

「死により近い人間は真実により近い」

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池見酉次郎

2008-11-05 22:39:45 | 医学・病気
11月になって体調が崩れだした。今年は夏、体を焼いてうんと泳いで体力をつけておいたので、秋ものきりきれるだろうと思っていたが、あまかった。やはり寒いのは駄目である。少なくとも私は男はどんなに辛くても弱音を吐くべきじゃないと思っている。が、ブログは記録になるので書いておこう。
アレルギー性鼻炎。朝晩の冷え。
寒さのため、思考が働かない。発想力、思考力、記憶力、記名力、すべてが低下しだした。前頭前野の機能低下である。こういう時には、何も出来ない。まあ、毎年、ずっとつづいてる事なので、仕方がない。やはり日本の四季なんか無い方がいい。一年中、夏の方がいい。

私が一番、尊敬している医学者は、池見酉次郎先生である。
世間では日野原重明先生を医学の神様のように言っているが、私は池見酉次郎先生の方が日野原先生より、遥かに上だと思っている。日野原先生は自身、健康で、健康な人は、どうしても患者の気持ちまではわからないのである。また、医学者としても、そのエネルギーは、病気を持っている人の方が遥かに上なのである。

私が池見先生を敬するのは、池見先生が、内向的な性格で過敏性腸症候群を一生、持って人生を生きぬいたからである。しかも、池見先生は、病気のハンデによって、学者として劣るどころか、心身医学では、全てを解明してしまっている。「愛」さえ、科学的に、その原理を解明している。もはや、池見先生に答えられない事というのは無いと言ってもいい。全知全能の神である。
私にとって池見先生の本は、まさに座右の書だった。
世間では内向的な性格をネクラと言って救いようのない欠点のように言う。
内向的な性格の人間には、何のメリットも無いよう言われている。
実際、人間および生物は、そもそも外向的であるべきなのだ。これは真実である。
しかし内向的な人間にも素晴らしい長所がある事を池見先生は堂々と主張している。
池見先生の本、「心身セルフ・コントロール法」(主婦の友社)の中で、池見先生は、過敏性腸について、研究した事を述べている所がある。その中で、池見先生は言っている。
「優秀な人に多い過敏性腸」
内容は、細かく書かないが、私は、この所にどれだけ力づけられたことか。
そもそも学者や研究者には内向的な性格の人間の方が向くのである。
そして私が池見先生に傾倒するのは、内向的で過敏性腸、繊細でクラスや社会にうちとけない、孤独、など性格的に似ていて共感するからである。

精神科医なら、誰でも神経症の森田正馬の名前を知っている。
しかし心療内科と標榜して、池見酉次郎の名前を知らない医者が多いのである。
なにも私の贔屓目ではなく、池見先生は日本に心療内科をつくった創始者であり、学者としても、超一流。文章力も優れていて、感動的なほどである。
池見先生の研究はミクロ的ではなく、マクロ的である。
学問はミクロになりやすい。
自分の専門や視点からの研究になりやすい。
池見先生の本は、心身医学の永遠の温故知新の書と言えるだろう。

苦しむ患者にとって大切な事は、病気の微視的な原理が解明される事ではなく、病気が改善される、当然の事だが、このことに尽きる。

ブルース・リーの格言にもこういうのがある。
「真実は、単純な日常の動作の中にこそある。触れ、感じ、見ることで手中に出来るはずの真実を、大半の武術家は、全体ではく一点を掻き回すことで、知りそこなっている」

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文学には最終的な責任がない

2008-11-01 22:36:51 | 考察文
文学には最終的な責任がない。

これは、三島由紀夫の発言だが、この意味がわからない人もいるのではないか、と思うので、この意味をわかりやすく説明しておこう。文学というものは、ストーリーのあるお話である。読者に対するエンターテイメントである。しかし、文学は、作者の思想の表現でもある。主張したい思想があるから、作者は小説を書くのである。文学というものは、お話という形式による作者の思想の表現である。だから、作者は、自分の思想を小説という形式で主張しているのである。自分が思想を主張したら、それを行動しなくてはならない。自分の思想を主張して、その思想を行動しなかったら、これほど矛盾した事はない。
しかし、一般には、作家は、小説を書く時、そんな義務感を持っていない。し、また、持つ必要も無いのである。小説は、何をどう書くか、全く制限がなく、自由なのである。作家は作品に対して責任を持つ必要がないのである。
ただ、小説において一つの問題点がある事があるのである。それは、文学が芸術作品である、という事である。芸術作品というものは、どんなジャンルにおいても、作品それ自体に価値があるか、どうか、という事が問題になるのである。一度、完成された芸術作品は作者の手を離れて、作品それ自体の価値が問題となるのである。だから、作者は、自分のつくった小説に対して、責任を持つ必要もなく、また、持つ事も出来ないのである。つまり、作者と作品はつながりが、なくなってしまうのである。また、芸術というものは、本来、そうでなくてはならないものなのである。
ある例を挙げれば、たとえば、医者でない人、たとえば、八百屋の親父が、医療の事を取材して、医療の名エッセイを書いたとする。エッセイも、もちろん芸術である。この場合、作品の出来がよく、すぐれた医療名エッセイなら、その作品は、芸術として、価値があるのである。もし、作者が、医者ではなく、八百屋のおやじ、だと、後で、わかっても、それでも、作品の価値が下がる事はないのである。
逆に名医が、医療エッセイを書いても、書いた医者に文章力がなく、作品が不出来であれば、それは、価値のない作品なのである。
現代の文学界は、その事を、かなり、いいかげんにしているケースがある。それどころか、逆に間違ったことさえ、積極的にしている。
つまり、作品を評価するのに、作者との関係で評価しては、いけないのに、むしろ、積極的に、作品の評価を、作者との関係で、評価してしまっている事があるのである。つまり、作品は、まず、作者の素性を見ないで、一切の先入観を入れないで作品を評価すべきなに、作品を作者との関係で、その価値を評価してしまっているケースがあるのである。
作者が人格者や、名のある人だと、それだけで、作品の出来が悪くても、評価してしまっているケースがあるのである。
昔は、現代よりは、その点は、よかった。
例を挙げると、金沢の作家、島田清次郎の「地上」は、そのはじめの一巻は、文学的価値があって文壇から認められた。しかし、島田清次郎の人格は必ずしもいいものではなかった。そのため、「地上」は、悪く言われもした。小説で、偉そうな事を言っているのに、作者の人格がよくないため、作品を批判する評論家もいた。しかし、「地上」は、まぎれもなく、文学作品であり、後世では、しっかりと、その作品の価値が評価されている。
 

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