西部邁のゼミナールという番組が以前にあり、そこで社会の運動が止まっているという話があった。
(校正)その時にその運動について調べたが、それらしい人がいなかったという話があり、その時に思はず顔を伏せてしまった事があった。
正にその話の内容の人物というのが私の祖父に中る人だからだ。
その時に、(追記16)(反応として)何故顔を伏せてしまったんだろうと後から思ったのだが、周知されることについて思ってもみなかったということなのだろうか?
今思うとその時に何か西部邁に連絡なり取ればよかったのだろうかとも思うが、取る手段が想像がつかなかったが、インターネットで調べて連絡しても良かったのかなとも思う。
しかし、私は当時(状態)は精神の(か)頭のと言っても良いが混乱状態であったので、纏めては話せない状態であったのでどうしようも無かったのかなとも思う。
その混乱状態は長岡亮介の「数学の2つの心」の本でその切掛けとはなり、「数学の認知科学」「記号論理学」がその手助けとなり鎮静化に向かいつつある(追記)が、今だにそのことに付いて形に為っていない。
いま必死に、形にしようとはしているが。
そのことを形にすることに付いて実行することその理由は、伯父さんとの約束でもあるから。
亡くなってしまっているけれども、私は人の死はその人を知る人物がこの世に一人もいなく成った時が本当の死ではないかと思っているから。
何処かで、人はこの世に何か情報を残すことを運命付けられた存在だと聞いたことがあるがその片鱗なのかもしれない。
そして、葬送のフリーレンでも語られている亡くなった人のことを想うこと。それが人間という存在だと。あの言葉にはアニメではあるけどグッとくるモノがあった。
話は戻り、けれど何と言っても、私が中学校に入る前の話で、初めは囲炉裏側で話し始めた所から始まる家長との話だから。
その家長は明治時代半の頃に生まれて、明治維新の残り香で空気感みたいなものも何となく解る世代だという。