私は現在も生きている。
小学時代のの白髪の話は書いた。更に加えて当時は同時に重い病気の恐れがあり、本格的に病気に成り病状がでたら17歳から21歳位迄しか生きられないだろうと医者から告げられた事がある。
もちろん重大な病気だが重大とは言われずで、当時私は医者が何を言って居るのか意味が解らなかった。と言うよりも言って居る言葉の表面上の意味は解るのだが、その告げていることが自分の事だとは思えなかった。今で言えば認識出来なかったという事なのだろう。
私が病院に行った切っ掛けは他の子が走ったり運動している所が、私だけ動けなくなる事がしばしばあったり、非常に薄着にすると病気に成り易いと言う幼い頃からの特徴が有ったからだった。
その後の生活は一変した。人よりも服を厚着する様になり、自分でも気を付けるのだぞと言われるが具体的に何をすれば良いのかは分からないという状態だ。
暫くすると、私だけがその事に気を使っている様に為り誰も意識していないという事に、傷付いて居たのだろう。それから当時は自分の感じている気持ちが解らなかったので次第に意識もしなくなっていた。
当時の自身にとって感じている気持ちが解らないのは当然かもしれない。母には傷付く事ばかりされて来た憶えがある。
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長くなったので今回はこの辺りか。
小学時代のの白髪の話は書いた。更に加えて当時は同時に重い病気の恐れがあり、本格的に病気に成り病状がでたら17歳から21歳位迄しか生きられないだろうと医者から告げられた事がある。
もちろん重大な病気だが重大とは言われずで、当時私は医者が何を言って居るのか意味が解らなかった。と言うよりも言って居る言葉の表面上の意味は解るのだが、その告げていることが自分の事だとは思えなかった。今で言えば認識出来なかったという事なのだろう。
私が病院に行った切っ掛けは他の子が走ったり運動している所が、私だけ動けなくなる事がしばしばあったり、非常に薄着にすると病気に成り易いと言う幼い頃からの特徴が有ったからだった。
その後の生活は一変した。人よりも服を厚着する様になり、自分でも気を付けるのだぞと言われるが具体的に何をすれば良いのかは分からないという状態だ。
暫くすると、私だけがその事に気を使っている様に為り誰も意識していないという事に、傷付いて居たのだろう。それから当時は自分の感じている気持ちが解らなかったので次第に意識もしなくなっていた。
当時の自身にとって感じている気持ちが解らないのは当然かもしれない。母には傷付く事ばかりされて来た憶えがある。
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長くなったので今回はこの辺りか。