記号論理学を遣ると何に為って行くのかという話を教授に質問したことがあるが、人工知能に繋がると話されていて、意外だった記憶がある。続けて、此れを学ぶと何が解るのかという質問には明確な答えは無かった。
というのも、質問の意図がくみ取れない風と言うのが真意そうだが、私自身も解るという言葉の意味が明確ではなかった気がする。というのも感覚的に当たり前の事だったから。
その時の答えはそれは自分自身で出す答えだねっと感じの良い返答の答えで、私自身もとても感じがよくて気分が良かった。その時の答えが、漸く今頃になって自分自身で出た気がして、それはメタ認知を弄る試みであったのだなという事。
まあ、確かに浮かぶものや、何故か長年理解できない状態であったこと等々考えれば当然といえば当然だが、メタ認知に意識的で意図的に繋がる事が如何に困難であったという事か。メタ認知自身は学び始める前から本で知ったり、教授から言葉としての認識として課外授業の時に随分前に初めて知ったが、それを1:感覚から、2:意識に昇らせ、3:意識させ、4:意図にするのに本当に苦労したよな。
というのも、質問の意図がくみ取れない風と言うのが真意そうだが、私自身も解るという言葉の意味が明確ではなかった気がする。というのも感覚的に当たり前の事だったから。
その時の答えはそれは自分自身で出す答えだねっと感じの良い返答の答えで、私自身もとても感じがよくて気分が良かった。その時の答えが、漸く今頃になって自分自身で出た気がして、それはメタ認知を弄る試みであったのだなという事。
まあ、確かに浮かぶものや、何故か長年理解できない状態であったこと等々考えれば当然といえば当然だが、メタ認知に意識的で意図的に繋がる事が如何に困難であったという事か。メタ認知自身は学び始める前から本で知ったり、教授から言葉としての認識として課外授業の時に随分前に初めて知ったが、それを1:感覚から、2:意識に昇らせ、3:意識させ、4:意図にするのに本当に苦労したよな。