日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

注意認知の具体的学習始まりか・・。 20181214

2018-10-30 23:51:22 | 日記
幼い頃に診断された事をハッキリと思い出すとはどういう事か。

何時から思い出したのだろうか。ハッキリと口にしたのは学友と話していた時だと思う。3月頃に大きな活動をして居る人と話して居る時にも口にしたか。その時か?


違うな、大きな行動を起こす事を考へ、そして自己を振り返って決断したときか。それで自分の命は元々無かったんだなって二重に感じてしまったときか。それで死を抱えていると身体的に考えてしまったということか。


だが実際に現在分かってから検査してもらったら、幼い頃に医者から診断された事は治ることもあると言われ、良い方に傾いていたということが結果だったという訳か。

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混乱と混沌からの漸進 20181028

2018-10-27 06:53:05 | 日記
 26日にロシア人の動画を見てしまう理由が漸く分かった。

祖母と同じ母語であって、その上から日本語を話していたということだったんだと。祖母は完璧な発音の筈の日本語で、今回気付けたのは奇妙な間違えをしたことがあったのを思い出したからだ。ということは完璧だと思っていても、音域パターンが何かしらの特徴があるということか?それ故に何か掴みきれない様な感覚かあったのだろうか?


そう言えば祖母は叔母と話している時に聞いたこともない言葉で話していた事も思い出した。その聞いたことのない言葉の発音の中にロシア人ユーチューバーの話していた言葉の発音があって思い出し、確信したのだ。


そんな事を思い出すと、祖母の話してくれた事で祖父との馴れ初めの話を思い出す。その時の話が何だが奇妙に感じたのは出来過ぎていた様に思ったからだ。恐らく何か辻褄が合わない事があるのだろうという感じ。


そこで言語学習する上で、一番効果的という話を聞いたことを思い出す。一番効果的なのは言語の互いの交換というか学習であると。以前マックで働いていて一念発起して、ブログに書いていた人が教えてくれた事と繋がる。何処かの大学でも推奨していたんじゃなかったか。その大学の問題も内情を知る教授から直接聞いて確かにという確信も得たが。


そして、此処まで分かってきたのは武田邦彦の誠を重んじてきたからだなっと改めて気付かされる。


初めの時点で狂っていたので何が重きを置く事なのか解らなくなって居たというのは大いにある。言葉と行動が伴っていなかったのでソレそのものが曖昧になり、実感出来なかったということか。それ故に、何がソレで存在しても、ソレだと気付かず思えず、混乱と混沌の海へと言う感じか。
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数学の歴史と記号論理学

2018-10-19 14:02:38 | 日記
 数学の歴史と記号論理学を学んでいると、あっ此れだったかという思いにさせる。考えを進めるとき何か今ひとつ段階がある気がしてならなかったが、論理学の話と通じるとは思わなかったと言うか、不足していたと言うか、それを認識し注意が向いたという事なのだろう。


学んだ論理学だけでは不足で、記号論理学を学ぶことで本質に迫る手法か技術を獲得できるということになるんだと感覚的理解をした。考えと感覚が常にズレていていつもそれを近付けようとしてきて、求めていたものの一つが、ようやく見つけられたということか。


しばらく前は記号論理学を学ぼうとしても、全く頭に入らず何故記号を使うのか全然承服出来なくて、その段階で進めてみても何をやっているのか全く解らない状態だったものな。


数学の歴史と記号論理学を同時に進めることで、全体と部分とが交互に噛み合う感じが掴める。更に、情報の計算事始めがイマイチ自分の腹の中に入ってこないことが、数学の歴史と繋がり幹のようなしっかりとした感覚になる。


長岡亮介の心の本のお陰だな。此れ程の事が小学年次に円グラフという形で目眩ましをされているんだもんな。彷徨ってしまうよ本当に。


日本の文系理系と言われるモノの自分の頭の纏める段階に入ってきたのかな。
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数学史 その八   文系理系   20200119‐20(校訂)

2018-10-13 18:44:46 | 日記
 暫く前から、文系的人間というものについて考えていた。何故かと言えば、文系的人間という奇妙な言葉が世に溢れている事への不思議さという疑問があった。

此れについて正しくはどういう事なのかと言うのが正確に認識したい事柄だった。それは人によって定義が違う事や、具体例を出されたりするが今一理解できない状態が中学時代から続いて、愈々問題になったのが高校時代だった。

そして、その後に小学時代の理系院にも行った友人にも聞いたが、明確ではなく私は文系じゃないかと思っているという話をしたら彼からは私は理系だと言う旨の話をされ、此処に来て混乱が深まった。

そして同様の話題に付いて武田邦彦が再び話し、大学教授も同様の話題について話して居たが、それぞれに違った内容だったことを思い出し、その時に二人とも東大で教授としてあっても結論が統一されていないとは益々混乱し根本的な問題じゃないだろうかという疑問になった。

(校訂)「一度は結論が出た事柄だったが、それでも判然とせず自分の中でどうすれば解決できるか解らない事だった。」そのことがあるにも拘らず、どちらかにきめる、或いは他者に判断される、そんな曖昧なモノなのに、人生の選択に迫られて、選択が別れるのはおかしいというのが結論だった。

けれども、その事が解決されたのは研究課題を問い直している時で、その過程で解決された。即ち武田邦彦の話して居たことが正しかったという事だ。

文系理系どちらに分かれるという事自体が誤った認識だったということで、明治時代に学問と言う型も日本は輸入したが、其処に問題があり、抽象というものについてよく理解されなかったと言う事。この事は武士の実態を知れば当然の結果なのだが...


それが数学史で理解できるとはね。。。。


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