日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

先生と発達とマコトとアルス・マグナへ  202211301206

2022-11-29 17:38:04 | 日記
 課題を考えている時、様々な事が頭を過る。過去での経験や学習してきた過程やその時の疑問や先生に問うた時の応答としての返事。

勿論問うて応答してくれない先生や、その事ではないのになと言う様な応答をしてくる先生や、そんな事を聞くなと言う驚きの反応を示す、到底先生とは思えない反応の先生もいた。その有り得なく思えない反応を示したのは高校の頃で今の段階視点では先生ではなく教師だな。

そう言えば高校(追記・での)その存在は自分で先生ではなく、教師だといい放っていたか。その英語教師。

そんな事を思っていると教師という存在は学年が上がって行くに従って、先生と呼べる存在から教師と呼ぶ存在へと変化して来たんだなと、主観的な観測者としての視点では思える。詰まりは対象者として個の独立存在という事なのだろう。

この段階を経ると私の場合はマコトから先生と呼べる、或は思えるのは自分にとって、身体性の近しい存在で、且つその要素を受け容れ取り込みたい、或は通じる要素が何かしらあるということが必要なのだろうということ。

そして、この考えている時の中で頭は絶えず、小さい方へ小さい方へと焦点や視点が引っ張られるのでその度に、広角で見なければと意識して持っていき、その度に具体的な方法を試す。

(追記・それはあらゆるモノに当て嵌まり,夢中に為りそうな時に傍と気付き,)そうすると先程の書いていたものは中次のものであったなと認識し、又遣ってしまったと時間の経過に焦るのだ。

追記 何とか為らんものかなこの時間の浪費.解ってはいるがという感じか.此れであるな.
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睡眠と日常生活と思考  追記 20221129

2022-11-27 13:11:17 | 日記
 頭に思う文章の組み立てる速さが、改善したと思ったら今度は季節に対応できなくなって、水の様に血を便所に流すようになって一週間半くらい毎回行く度で身体が、貧血になってしまって、脈拍が上がり、息苦しくて、胸が痛く成るというかなりやばい状態になる。

しまいには変な眠気と思考出来なくなって、愈々やばいなと言う状況で、必死に考えると煎餅布団で寝ていた状態の屯田兵の話を思い出し、これが原因だという思いに居たり、圧迫が原因だなという思いにも至る。

貧血は本当にやばいな。現代は座る事が本当に多いからなだから負担がかかると症状が起きたりする。それから睡眠環境はこれからどういう状況に為るのかを意識しなければならないということを改めて認識させられた。

それで最近に為って漸く普通の思考に戻って来て考えられる様に成って来た。追い詰められるとそういう日常生活の事に目が向かなくなるから、危ないよな。
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表情の意味と文章組み立てと構造  20221127.28

2022-11-08 18:11:54 | 日記
 やはり段々と慣れてくると早くなってくるな.それに根本の原理を自分の思考に求められるというのは新たな挑戦だったのかもしれない.この事を考えた事によって自分が何を研究したかったのか浜崎洋介の話も含めて何だか全体像が朧げに見えてきた気がする.

今更かよと言う気もしなくもないが,この事が決まらなくて研究職を挫折する人も居る位だしな.全く愚かしいと言う程でもないのかもしれない.

何だか,文章が自然と発生する感覚を得る様になるというのも一つの成果だったしな.自分が日本語文法に付いての理解が不十分だったと言う事を改めて認識させられることに為るとはと言う感じだ.

一つ思ったのが何故古文が昔はよく取りあげられていたのかと言う事だよな.最近少しやってみて,古文が外国語の文章を学習する前段階にもなりうると言う事と情操と言う面にも向かう可能性があると言う事か.

だけど此れは自分で総合的に捉えるという姿勢で性質というモノに目が向いて居ないと非常に厳しいものだよな.小学生の頃に周りに性質ってどういう事なの?っと聞いて周ったが誰も明確に答える人が居なかったんだよな.その時にも祖父ならその質問に的確に答えられただろうねという祖母の悲哀な表情が忘れられない.

そういう顔の表情が昔は解らなかったんだから.
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頭の開拓と開墾か    校正20221108

2022-11-01 17:53:21 | 日記
 中々に読み慣れてもいなく,未知の分野でもあり,且つ,一冊と言う長い教科書からの課題というモノに付いて取掛かりと手法について考えあぐねていた状況からは随分と進んだ気がするが,これ程に大量の出力を求められた事が無かったので中々に負荷が強いものなんだな.更にはその負荷が強いからより速度を上げねばならんと言う事も要求されているのであって良い訓練になるのかもしれない.

自分の国語力が不足していたとは課題に取り組んでみて初めて体感できた気がするな.なまじ聞く速度が人の2倍でも遅いと感じ,聞いたことは大体憶えて記憶してしまうから,文字情報からの読み込み理解も知っている内容だと殆ど流し読みで頭に入ってしまうから,苦労する事もないし,更には数学書は論理がしっかりした定形型があるから,何処を読んで理解すれば良いかも解りやすいしな.

もっと理解しやすいのは,数式が書いてあるから更に解りやすい.更には数式によって(誤字)齟齬が無い様にも理解と確認が取れるという.

学習していくと,とても親切とも思える構成に為っていて段々と楽しくなってくるんだよな.其処に美しさとの表裏一体があり,ここではそれが何処かななんて思ったりするのを観たりして.


何事も初めては本当に大事なことだよな.小学校の時の初めの理解の分かれ道の時に,間違ってしまったからな.これを修正するのに随分と時間が掛かってしまい,苦労した


米国の場合は更にもう一段踏み間違えているんだものな.

頭の開拓に時間が掛かったという所かな.そして今は開墾の段階に進んでいるという感じか.
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