課題を考えている時、様々な事が頭を過る。過去での経験や学習してきた過程やその時の疑問や先生に問うた時の応答としての返事。
勿論問うて応答してくれない先生や、その事ではないのになと言う様な応答をしてくる先生や、そんな事を聞くなと言う驚きの反応を示す、到底先生とは思えない反応の先生もいた。その有り得なく思えない反応を示したのは高校の頃で今の段階視点では先生ではなく教師だな。
そう言えば高校(追記・での)その存在は自分で先生ではなく、教師だといい放っていたか。その英語教師。
そんな事を思っていると教師という存在は学年が上がって行くに従って、先生と呼べる存在から教師と呼ぶ存在へと変化して来たんだなと、主観的な観測者としての視点では思える。詰まりは対象者として個の独立存在という事なのだろう。
この段階を経ると私の場合はマコトから先生と呼べる、或は思えるのは自分にとって、身体性の近しい存在で、且つその要素を受け容れ取り込みたい、或は通じる要素が何かしらあるということが必要なのだろうということ。
そして、この考えている時の中で頭は絶えず、小さい方へ小さい方へと焦点や視点が引っ張られるのでその度に、広角で見なければと意識して持っていき、その度に具体的な方法を試す。
(追記・それはあらゆるモノに当て嵌まり,夢中に為りそうな時に傍と気付き,)そうすると先程の書いていたものは中次のものであったなと認識し、又遣ってしまったと時間の経過に焦るのだ。
追記 何とか為らんものかなこの時間の浪費.解ってはいるがという感じか.此れであるな.
勿論問うて応答してくれない先生や、その事ではないのになと言う様な応答をしてくる先生や、そんな事を聞くなと言う驚きの反応を示す、到底先生とは思えない反応の先生もいた。その有り得なく思えない反応を示したのは高校の頃で今の段階視点では先生ではなく教師だな。
そう言えば高校(追記・での)その存在は自分で先生ではなく、教師だといい放っていたか。その英語教師。
そんな事を思っていると教師という存在は学年が上がって行くに従って、先生と呼べる存在から教師と呼ぶ存在へと変化して来たんだなと、主観的な観測者としての視点では思える。詰まりは対象者として個の独立存在という事なのだろう。
この段階を経ると私の場合はマコトから先生と呼べる、或は思えるのは自分にとって、身体性の近しい存在で、且つその要素を受け容れ取り込みたい、或は通じる要素が何かしらあるということが必要なのだろうということ。
そして、この考えている時の中で頭は絶えず、小さい方へ小さい方へと焦点や視点が引っ張られるのでその度に、広角で見なければと意識して持っていき、その度に具体的な方法を試す。
(追記・それはあらゆるモノに当て嵌まり,夢中に為りそうな時に傍と気付き,)そうすると先程の書いていたものは中次のものであったなと認識し、又遣ってしまったと時間の経過に焦るのだ。
追記 何とか為らんものかなこの時間の浪費.解ってはいるがという感じか.此れであるな.