日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

系統学習と系列学習  (訂正)20220529

2022-05-28 16:11:45 | 日記
昌かの系統学習すらも罠だとは確信出来なかったな。変だな変だな~という感覚だけはあったが此処までとはという感じでソレを誰も訂正しないし、修正もしないという。

系統学習は(訂正)18世紀に確立された学習方法で明治期にも教え方に付いては疑問は持たれていたそうだ。社会・教育・制度という講義でその事に付いては指摘もしていて、その時はどの様なものが良いのかは話されて居なかったが、そういう話を今思えばしたかったんじゃないかな。

此処まで来ると驚きを超え過ぎて感想もないと言うのが正直な所。人と言うか日本人と言うべきなのだろうが「真直ぐさと誠実さ」を失うと此処まで来るという事なんだろうな。

正しい在り方は系列学習ということで。何故これかと言えば系列学習こそ物事の性質に着目したものだからであったということ。

この系列学習と言うことを見ていくと、特に数学の認知科学という中で一番初めの所の記述で指摘されている概略と言えば。

人間の抱く抽象概念は感覚を通し運動経験から推論様式を取り込んでくる概念メタファーで示せて精密に定式化可能な認知メカニズムで成り立つともあり、感覚を得るためにはそのもの性質に多く触れる必要があると取れる。

もちろん多く触れさせるのは感覚の感じ方が人によって違うからで、性質の種類ごとに整理してという事に為る。

そこで整合性はどう執るんだと思ったら取っていないと来たからな。系統学習に何かしらの有益性があるんだと思ったら唯単に行為に耐えさせる自律性と来たもんだ。何なんだ此れはという感じ(笑)

そんなので自律性なんか付かないつうの(苦笑)

しかも、系統を整理する「中心」に付いては明確ではないと来たもんだ。何を以て系統学習とするかという定義が曖昧という。

馬鹿馬鹿しくて笑ってしまったよ(笑)

数学史でもわかる通り抽象的な理解をする時には基準か比較か大きさかが必要なのに、それについて今迄の受けて来た授業ではそこすらも任意に為っている嫌いがあったし。

提示から始まる5つの事が必ず行われている訳じゃなかったものな。解りやすい教師はソレが出来ていた。

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学習と爺さんと繋がるもの

2022-05-17 17:45:34 | 日記
 前回投稿した理系が恋に落ちたので証明してみたと繋がるものの続編とたる。そこで書いた続きで爺さんが観えたものに学習した物事に付いて二つのものになっているという話をしていたそうで、一つ目が記号的なものと二つ目が図形的なものということだった。

これが未だによく解らない私の中での課題の一つでそれぞれは数学で言えば代数学的と幾何学的な話という事に為るのだろう事は解るのだがどうしてそうなるのかが未だに解らない。それは当時聞いた伯父にも解らないという話でその事を私に問われた。

祖父は飛び抜けて頭が良かったらしく、そこに戦前の誠があった教育が合ったのだろうと思う。戦前の教育で感覚と理論の融合を中心とした教育という事で、学習中に何回かこういう事なんじゃないかと思う瞬間が訪れソレを強め重ねていくとする事が行なわれていたという。

正に人間の在り方を中心とした教育だと思ったものだ。現在こそそう言う修得主義型教育が特に必要なんじゃないだろうかと思う。個性を重視しつつ更には情報機関が必要なんて言っているんだからね。

 最近矢鱈と防衛省戦略企画課企画官という募集の宣伝が入って来るのだが何か意味があるのか?(笑)
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理系が恋に落ちたので証明してみたと繋がるもの

2022-05-16 16:16:48 | 日記
 理系が恋に落ちたので証明してみたという作品は滅茶苦茶面白いと思うが、実は全く面白くないという人が身近な肉親に存在していて驚きを受けた。だから異性親として昔から合わない訳だよなという思いにもなった。

けれども私自身がこの主人公の雪村心夜の様な見方をしているとは全く想像もしないんだろうなそれに身長も殆ど同じだし(笑)。この様な見方に成ったのは何時頃からだろうかとも思うが、元々あったものが徐々にというのが正確な所だろうか。

 第一段としては小学時代から、歪められて来たのは間違いがない。その時に比の理解の仕方を誤ってしまったという所が事の始まりだったんじゃなかろうか。

それが円の理解ではなく、ブロックでの大きさのものであれば理解の誤りはしなかっただろう。だが未だに甥の教えている様子をみるとそれは続けられていて、此処にも日本人の数学的認知の様子が歪められているんじゃないだろうかと思わずにはいられない。

漸くその辞書みたいな本の読み方が解って来たのだが。数学の認知科学であるが。

 第二段階は爺さんの話か。私が一番爺さん似ていると様々な人に言われて為らば見方も当然そうなるという思いにさせた小学後半時代から中学時代。

中学時代に女子に質問された内容の答えが正に前述の雪村心夜だったもんな。そして次の定量化の話もな(笑)

そして高校時代では結局高校数学では何を問われていたんだと言うのが卒業時に思った事と数列を考えて学習していた時の目の前の暗転だ。

その事からも所謂理系脳という日本での表現に成るんだろうが、日本語でグダグダ表現するより遥かに処理が高速に為るという意味では当たり前の事なんだけどな。数学史を学ぶと良く解ったこと。

そして爺さんが観えた話に続くか・・。

でも一時期自分は文系だと強く思っていたんだよな、でも何が文系か何が理系か解らなかったから自身が文系的でありたいという願望に過ぎなかったという事になるのだが(笑)
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徳川家康と磯田道史と繋がるもの

2022-05-10 18:43:21 | 日記
 又しても不意に思ってしまって繋がった事がある。思い出そうと思えば何時でも思い出せる事ではあるが、現実との繋がりが分断し昔から悩ましいことの一つの話であって伯父から色々と小学生時代から炉端で聞いた話の事である。

その中で徳川家康の語った事と爺さんの認知に付いて唐突に繋がる様に思ってしまった事だった。

嘘でも何でもなく徳川家康は千葉方面に来る時は他の場所は点々としていても、必ず私の本家には寄って行ったという話であった。

抜けていたのは徳川家康本人は寿命があればどんな国にしたかったかという話であった。磯田道史の言う様に何重にも平和への安全装置を用意していた。

けれども、それは結果的にそうせざる負えなかったという事が抜けているなというもの。どういう事と言えば日本人全員に武士に為って欲しいというもの。侍ではなくね。

徳川家康のその時の様子も聞いている。悩んでいるでは無いが何か溜まっている様子で、毎回来る時はそうだったということだった他にも色々あるが。

当時の私は武士と侍の違いが何とか解りかけていた時だったからギリギリ理解し憶えているという所だろうか。当時もギリギリ解るという感覚があってそれは今でも鮮明に憶えている。

そのギリギリ解る理由は何と時代劇の桃太郎侍を観ていたから解ったという所だろうか(笑)。

しかし、私の世代周辺が大東亜戦争の実態を知っている人の話を聞けた最後の世代だと思うけどそういう事に関心のない人も大勢いるだろうからな。祖父の話は次か。
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