日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

図形思考型

2021-07-18 23:28:46 | 日記
 あるサイトと言ってもQuoraというサイトなのだが天才型は図形思考型が優位だと言う。そういう話を読んだことがあるのは二コラ・テスラ位だと思うが心理学ではどうだったと思うが未だ途中なんだよな。

認知科学の基本は取ったが、応用迄は未だに届いていない事で、数学の認知科学の本も未だ読み途中。何故かと言えば読んで理解し学習する本が多すぎ故なのだが。

その前述したサイトに答えていたのは東大生とあったので恐らく事実だとして、その事と今回記録して置きたい事との繋がりはと言えば、私の性質に付いてある。

私が図形認知なのは疑い様がなく、幼い頃から人の話に付いてのある事柄は以前記述した事がある筈のことだからというのが根拠となる。

思い出した事で、そう言えば講義と教科書で性質に付いては遺伝するとあったが、ただ単純な性質というモノを少々の性格的なものにプラスした限定と捉えて居たが、理解が間違っていたようだ。

いい加減に聞いていたわけでは無いが、初めに学んだ時は革新が起きる前だったし、性質と性格をいい加減に学んでいたしな。それが重要な事であったのだが。

そこで、遺伝であるとは解ったが、祖父の話を「本の紋様と感覚からの」でも書いた通り図形として、その先を祖父は4次元を所々と認識出来ていた様で、全てでは無かったらしいが。そして私はその先の事をここ何日かで漸く感覚的に認識出来た気がする。

大学の数学概論講義で教授に質問した事が有る事で、先生に4次元以上の場合どの様に図形で描けるのかと問うて、その事が基礎となって認識出来た事ではあるが。そこで小学校時代の話となるが、その男性の先生はその当時図形の問題や問が度々あり、水道方式という話は授業中でこそしなかったが、個人的な質問をした時には水道方式というモノに言及したことも有った事を思い出した。

当時何の事を言っているのか解らず、水道という言葉で当時の言葉を思い出した。「教えてはイケないという言葉と共に、個人で勉強する分には構わない」と言う話だった。その時は水道という言葉に心を奪われて居た事は言うまでもない事なのだが(笑)

それから当然に、私はその真意を理解出来る筈もなく、教えてはいけないという意味も、学習指導要領の事を指していることも理解出来ず、先生が良心の心の在り方に戻ってきてくれるだろうと勝手に思ってしまった。実際にはそれは良心ではなく、「誠実性」というモノだったのだが(苦笑)

ここでも、武田邦彦の「誠人間と為人間」の話のお陰で、有り難い事に滅茶苦茶だった頭の整理出来る。

そして、その良心と思ってしまったモノが、大人への信頼というか、よく言えば幼さ、悪く言えば盲目さということか。

環境が違えばもっと違った結果になったのかな・・・・。というのが疑問か。。
コメント
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