日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

現実世界の空間と時間と運動  20241106

2023-08-06 04:09:46 | 日記
 制限された空間での運動に付いておかしいと修正しようとしても、その制限の中であって、修正が修正にならないのは数学で見ても明らかだろう。

この場合を考えるときに現実世界ではどうするかという課題は2023年8月からの課題だったんだな。この根源的な問題を考える時に何をすれば実態と合うのかを探していたという訳になるのか。

それが正に数学から派生している哲学の思想体系ということに為るんだものな。昌かという感じだよな。

哲学がどういう風に繋がって行くのかということは長年考えていた事ではあったが、哲学を初めて聞いたのが何と小学生時代だものな。小学生時代は何時かは詳しく遣ることが教育課程の中で入っているものだと思ってしまったが、これが無いんだものな。

哲学の内容を戦前は中学時代からその片鱗が入り始めたというし。その片鱗に対応するために、当時は小学生時代からその道標を与えていたというのに、当然そのことが与えられないから当時も妙だとは思ったが、一気に遣るものなのかと良いように解釈してしまったものな。

何と言っても時代や或いは時間が進んでいるんだから劣化や退化している筈がない、何と言っても学問を学ぶところなんだからと。

この事でも取り違いが幾つも起こっているんだものな。もちろん当時は気付かないわけであるのだが。

その取り違いが、学校は学校ではなく、書院に過ぎないということで、それが連なっているだけ。

学問を遣るところではなく書を読み解くだけということ。

さらに言えば先生は先生ではなく、書生だということで、書生授をしているだけだということ。


現実世界では制限の中の空間と時間と運動ということだものな。。
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