日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

突然目が冴え眠れなくなったことの纏め。

2013-11-29 02:10:12 | 日記
何故急に、前の職場の出来事を思い出してしまったのだろうか。あの時の心の状況はよく覚えている。それと近い心境だからか?



今回思い出したのは年上の人のことだった。何何知らないのか?っていう話。自分に語ってくれるものも居なかったし。。



まあ、今思えば何かしらの人伝えの方法が必要であったのであったのであろうが、どうもイマイチその手の事と成ると上手く行く場合とそうでな無い場合の落差が大きい。この課題は中学時代でも感じてたことでもあるが。。



中学時代何か場違いな場所というのか、それ迄の楽しげだった雰囲気が消えてしまった様な気がしていた。まあ実際に真実であったのだが。。中学は県でも上位校であったらしい。上位の3分の1に入って居たとか・・。


結局この感覚のまとめは小さい頃、伯父さんが自分に語って居た事だった。自分の事を、自分の様には成ってはいけないと。そのことを思い出したのはこの記事の日付けの5日後だった。
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謙虚さ

2013-11-29 00:30:46 | 日記
伯父さんがトキ的であること。


父の危ないめにあった日。この日に私も不謹慎な発言をしてしまった。死をおちょくる発言をし訂正した。

こういう日は何かあったりするんだと思いながら過ごし、バイクで暗い何時もと違う道を走ることになり、同名の苗字の墓がある急なカーブの直前で思い出し、速度を緩めた。


乗っているバイクがスクーターでカーブが弱い事を思い出したのだった。カーブになると金属を擦って曲がれなくなる。あのスピードだったら単独事故に成るところだった。その部分だけ濡れていたし。


父は車の前になんの前触れもなく、人が止まることもなく、横のアパートから飛び出し走りしてきたらしい。私が訂正した1時間後だった。


 謙虚さを失ってはいけない。
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祖母と伯父さんの重要なエピソード 継ぐ5

2013-11-26 12:15:00 | 日記
 亡くなっ二人について考えていた。


どちらも自分にとってとても大きな存在だった。そこで二人が関わることは何だったであろうかと考えた時、幼い時にたまたま二人に話したことが合った。


それは食パンについてであった。以前の記事で美味しいパンを買ってきたという話を書いた。その時に「パンって美味しいの?」と自分からパンが好きではない。寧ろ嫌いな方だと祖母と伯父さんに話したことがあった。


理由が、初めからどんな味付けをしてもそんなにご飯の様に甘みも出ないし、風味も出ず、冷めればグニャグニャに成ってマーガリンを塗ってあれば更に不味くなる。


その点ご飯は冷めてもそれ程不味くならず、乾燥しても水分を足せばすぐに戻る。というような話をしたことが合ったんだった。食べなかったパンはどうしてるんだって、聞かれラッキーにあげてるよ(微笑)と。勿論これ程正確には話せなかったと思うが概ね伝わった。
    


こんな話が出るのは母が、父が起きる時間に全ての食パンを焼いてしまうからだった。父は5時に起きて5:45分に出ていた。パンその事に付いて話しても変わることは無かった。小学校二年生の前半頃だった。その日から、時間が遅い時以外は毎朝ラッキーにパンをあげるのが日課に成った。(笑)ラッキーというのは犬の名前である。ラッキーはとても喜んだ。自分が嫌な思いをするより、喜んでいる姿を見て朝を通学した方が余程気分が良く充実した空気の朝に成った。



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記憶と現実の狭間  継ぐその3

2013-11-22 00:51:48 | 日記
 久しぶりの操作系。こういう瞬間懐かしい。延びそうでお金も掛かりそうだが、感覚を取り戻すというつもりが一番の内的な目的でもあるので、大変都合がいい。


時間の限られた時というもので、集中という意味で一番集中できる。この慣れない時のギリギリの感覚が好きなんだ。本当に。


学ぶという最大限の記憶の書き込み感覚が思い出させてくれる。





 そしていつか行こうと思っていた伯父さんの長女のお墓。名前を書き間違えてしまった。昔この漢字だったら良かったんじゃないっという漢字を書いてしまった(苦笑)なにか違う感じはしたのだがまあ仕方がない。私の父はしっかり覚えていたが。


でも、漸く行くことが出来た。伯父さんの代わりにと言う思いもあるし、私自身の思いもある。



かなり大きい場所で聞かなければ分からなかった。向こうの母親は伯父さんのお参りを望んでいないということで教えて貰えなかったということだ。私もその親類に当たるので、良い思いはしないかもしれないが。。


けれども、次女の娘には了解は取ってあるからよしとしよう。




私は亡くなった娘が、より可愛そうだと思うがね。。娘は実はお父さんのこと本当は嫌いじゃい、寧ろ好きなんだと聞かされたことがある。でもお母さんが生活を支えているからそんな事を言えないとも話してくれたことがある。




 伯父さんも見栄っ張りな処があるから自分が中卒であったことなんて言えなかったのだろう。これも飛騨に行った時次男の伯父さんに聞いたことだった。マサカという感じであったが。




伯父さんは歯が治せないということを奥さんに責められていた。兄に頼めばタダで治してくれるからと。でも実際に伯父さんに聞いた話はその時はお金を払わなくてもいいけど後から払ってくれって言われたと聞いたことがある。資金の無い伯父さんはどう考えたのだろうか。結構なお金に成るだろうから伯父さんだったら、何もせずに遊びにお金を回してしまうだろう。



あの世代は戦争で価値観がひっくり返り、全てが無意味に感じるように成るという精神状態らしい。だったら楽しもうやと言う感じだろう。そして外国のトンガなどを見てきた、今で言えばバックッパッカーだから究極を見てもしまったのだろう。



 その後は分からない。伯父さんは健康保険を払っていないとか何とか言っていたので、その辺りなのかもしれない。皆保険の始まる前の人はどうなってしまうんだろうか。。



やっぱり、法律なんだろうけど私も知って置かないとな。。



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念願の墓参り

2013-11-21 16:28:12 | 日記
伯父さんの子の妹に許可を得ていたので、帰りに墓参りに行く。

出来れば他の誰かと来たかったが、場所もままならないので分かってからと思って行ったのだ。全く想像もして居なかったが、何処かのなにか気になる事の途中だという感覚の夢はココだったのかという感覚に成った。


何時も通り過ぎていた場所に居たとはという感じだ。


伯父さんも行きたがっていたので、代わりに参ってあげることが出来ただろか。



私には本当に実感が無かった。本当にお葬式の亡骸を見て、遺骨にした。亡骸はとても痩せていた。これがあの子なのかという感じでまるで別人のようにも感じていた。20歳で亡くなるなんて・・。お墓も見ていなかったので分かっていてもどうしても、どこかでっという思いも合った。


しかし、実際に墓石を見ることでそういう、思いも消える思いだ。


妹は何時も姉の影に隠れ、昔私の本家の祖父のお兄さんの葬式が合った時姉の側で隠れる様に走ったり、手を引いて貰っている姿の妹は相当衝撃的であったに違いない事は想像できる。


丁度、私が資金が漸く貯まり、自分が出来る限界の戦いをしている時だった。。
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